古戦場

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山崎合戦古戦場 ~「天王山の戦い」光秀vs秀吉激突の地

概要 天下統一の寸前にして家臣の明智光秀に討たれた織田信長の弔い合戦で、のちに信長の後継者を選ぶうえで重要な位置づけとなった「山崎の合戦」の舞台となった古戦場です。1582年(天正10年)6月2日、羽柴秀吉の毛利攻めに加勢する途上に...
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長篠・設楽原古戦場 ~織田・徳川vs武田激突の近代戦発祥の地

■概要西上作戦の途上で亡くなった武田信玄の跡を継いだ勝頼は、武田家臣団を掌握するため、外征による領国拡大にひた走ります。しかし、もともと地方豪族の集まりであり、信玄の強烈なカリスマによってかろうじて求心力を保っていた武田家中の分裂は避けるこ...
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三方ヶ原古戦場 ~家康が脱糞するほど大敗した信玄との激突の地

■概要三方ヶ原の戦いは、西上作戦により上洛をめざす武田信玄と、上洛ルートに位置する浜松城を守る徳川家康の本隊同士が激突し、家康が歴史的敗退を喫した戦いです。3万の軍勢を率いて甲府を出発し、家康領の遠江を踏みつぶしながら西へ西へ進む信玄に対し...
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手取川古戦場跡 ~信長と「軍神」上杉謙信激突の地

■概要1577年(天正5年)能登を支配下に置こうとする上杉謙信に七尾城を囲まれた畠山氏の重臣・長続連はかねてから誼を通じていた織田信長に救援を依頼。謙信の勢力拡大を快く思わない信長は、筆頭家老の柴田勝家を七尾城救援に派遣する。七尾城に籠る畠...
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雨宮の渡し ~謙信が信玄本陣めがけて千曲川を渡った場所

■概要第4次川中島合戦において、上杉謙信が千曲川を渡ったとされる場所。謙信は信玄の啄木鳥(キツツキ)戦法を事前に見破り、妻女山を下りて千曲川を渡り八幡原に向かった。第4次川中島合戦について、詳しくは川中島古戦場跡のページをご覧ください。■見...
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妻女山 ~謙信が川中島を見下ろした本陣跡

■概要第4次川中島合戦において、上杉謙信が本陣を置いた場所。謙信は信玄の啄木鳥(キツツキ)戦法を事前に見破り、妻女山を下りて八幡原に向かった。第4次川中島合戦について、詳しくは川中島古戦場跡のページをご覧ください。■見どころ謙信が本陣を置い...
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川中島古戦場跡(八幡原史跡公園)~信玄・謙信激突の地

■概要 永禄4年(1561年)甲斐の虎・武田信玄と越後の竜・上杉謙信という戦国時代における最強の二人が激突した第4次川中島の戦いの跡地。現在、八幡原史跡公園となっている場所は武田信玄が本陣を置いたとされる場所。 弱体化した関東管領上杉憲...
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摺上原古戦場跡 ~奥州の覇権を争った決戦場

■概要伊達輝宗より米沢の家督を継いだ政宗は、積極的な領土拡大政策をとったために周辺大名より疎まれ、父輝宗を畠山義継によって殺害され、それを好機と見た佐竹連合軍の大軍に攻め寄せられるなど、孤立無援の状態にあった。かわって南の隣国である会津の蘆...
その他

金ヶ崎撤退戦ツーリング

9月の秋晴れなので、日帰りツーリングに行ってきました。本日のテーマは『金ヶ崎撤退戦ツーリング』!金ヶ崎撤退戦は「金ヶ崎の退き口」とも呼ばれ、日本史を代表する撤退戦の一つです。※金ヶ崎撤退戦とは?元亀元年(1570年)将軍御座所の京都を抑えて...
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関ヶ原古戦場跡 ~天下分け目の「町丸ごと古戦場」

概要 岐阜県不破郡関ヶ原町にある、言わずと知れた天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」が行われた場所。 笹尾山の石田三成陣所跡をはじめとして東軍・西軍各将の陣所跡・墓地や開戦地の碑などがあり、このあたり一帯26万平方キロメートルが国の史跡に指定...
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