続・日本百名城

沼田城 ~武田・上杉・北条が奪い合った上州の要衝

■概要関東から北陸へ抜ける街道沿いの沼田盆地に位置し、戦国時代には越後の上杉氏、信濃の武田氏、関東の北条氏の三大勢力によって激しい争奪戦が繰り広げられたお城です。天文元(1532)年ごろに、当地を治めた沼田氏12代当主・万鬼斎顕泰により築城...

龍岡城 ~未完に終わった信州の「五稜郭」

■概要日本に2つしかない五芒星形の星形要塞で、もう一つはあの有名な「函館五稜郭」です。<龍岡城空撮写真(Wikipediaより)>徳川家康の五代前の分家にあたる大給松平家の最後の当主にあたる松平乗謨(のりかた)は、三河国奥殿藩の藩主でしたが...

名胡桃城 ~戦国時代が終わるきっかけを作った真田の城

■概要戦国時代、武田氏から沼田城攻略を指示された真田氏が天正7年(1579年)、沼田城と利根川を挟んだ対岸の段丘に築いた山城です。その後、真田氏は沼田城を奪取しますが、沼田城を巡って北条氏との争いは絶えませんでした。戦国時代の終わりごろ、天...

岩櫃城 ~「真田丸」の舞台となった天険の要害

■概要南北朝時代のころに築城されたと言われている上州では最大規模を誇る山城です。城の南西側を標高802mの岩櫃山、南側を吾妻川に下りる急斜面、北側をこの地方独特の岩山に囲まれた天然の要害です。戦国時代には、上杉家に従う地元の将・斉藤氏が治め...

田丸城 ~信長の次男・信雄が治めた伊勢の本拠

■概要南北朝時代に、南朝方の拠点として北畠親房が延元元年(1336年)に築いた砦が起源となっています。伊勢神宮を抑える拠点として、南北朝の間で激しい争奪戦が繰り広げられました。その後、砦は北朝方に攻め落とされますが、北畠氏の城として、田丸氏...

備中高松城 ~秀吉・官兵衛による奇策「水攻め」の舞台

■概要 世界でも唯一の成功例となる「水攻め」で落城したことで有名な備中国(岡山県)の城です。 築城時期は不明ですが、備中国守護代で三村氏の家臣であった石川氏が築いた城です。 石川氏は三村氏ともども毛利氏に滅ぼされ、その後は毛利方の名...

中津城 ~軍師官兵衛が九州から天下を狙った海城

■概要築城者は、秀吉の天下統一後、豊前国12万石に封じられた稀代の軍師「黒田官兵衛(如水)孝高」ですが、国人一揆に悩まされて工事は停滞し、最終的に完成させたのは関ヶ原の合戦における東軍功労者の細川忠興です。梯郭式の平城ですが、中津川に面して...

臼杵城 ~北部九州最強キリシタン大名・大友宗麟の「海城」

■概要 豊後の戦国大名で一時は九州の北半分を制覇した大友宗麟が、中国地方より海を渡って北九州に攻め込んで来た毛利氏との合戦に敗れ、これまで本拠地としていた府内館(現在の大分市)を息子の義統に譲って、自身の居城として築いた城です。 現...

延岡城 ~九州の「陸の孤島」に建つ千人殺しの石垣

■概要日向国松尾城の城主だった高橋元種が、関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返ったことで本領を安堵され、この日向国北部の延岡の地に築いた城です。当時は、「縣(あがた)城」呼ばれ「縣藩」の政庁となりますが、後にこの地は「延岡」に改称され、「延岡藩...

小倉城 ~九州の玄関口に細川忠興が築いた惣構えの城

■概要元々は、中国地方と北九州地方を制した毛利氏が築いた城で、高橋鑑種(大友氏)や毛利勝信(豊臣氏)らが城主を務めました。関ヶ原の戦いの後に、東軍で参戦した功により細川忠興が豊前・豊後39万9千石で入封し、1602年に掛けて改築に着手し、7...
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