2018-10

赤木城 ~北山一揆の鎮圧拠点となった天空の城

■概要戦国時代に、羽柴秀吉の弟で紀伊国を治めていた秀長が、当地で発生していた熊野牢人衆の一揆(天正の北山一揆)を鎮圧する目的で、天正17年(1589年)頃に、築城名人・藤堂高虎に命じて作らせた堅固な山城です。後に関ケ原の戦いの功で、浅野家当...
その他

大津城 ~関ヶ原の戦いの前哨戦の舞台

■概要元々近江の中心拠点は、明智光秀が築いた坂本城でしたが、豊臣秀吉によって廃城にされ、この大津に城が築かれました。廃城となった理由は明らかにされていませんが、大坂城を築城したことにより、淀川や東海道を通じた北陸地方からの物資の運搬などの利...

若狭鬼ヶ城 ~山中鹿之助が活躍した尼子家再興の舞台

■概要中世にこの地方の国人・矢部氏が築城したといわれるが定かではありません。戦国時代には、毛利家により山陰を追われた尼子氏一門・山中鹿之助が、尼子家再興(二度目)のために拠点としましたが、毛利軍に攻められ翌年には落城します。後に、中国地方に...

八幡山城 ~秀吉に切腹に追い込まれた関白秀次の居城

■概要豊臣秀吉の甥・秀次が自身の居城として築いた城です。秀次は、秀吉による紀州征伐・四国征伐の論功行賞で、近江八幡43万石が与えられ、安土城の間近にある八幡山の山頂に山城を築きました。実際に普請の指揮を執ったのは秀吉です。当初、安土城は、本...

多気北畠氏城館(霧山御所+霧山城) ~信長によって滅ぼされた伊勢の名家・北畠氏の本城

■概要南北朝時代に南朝方の重臣として活躍した北畠親房の三男・顕能が伊勢の国司に任じられ、多気北畠氏を開きますが、当時の本拠は田丸城でした。その後、田丸城は北朝方に攻め落とされ、顕能はこの多気の地に逃れて城を築いたと言われています。城は、麓に...
タイトルとURLをコピーしました