概要
天下統一の寸前にして家臣の明智光秀に討たれた織田信長の弔い合戦で、のちに信長の後継者を選ぶうえで重要な位置づけとなった「山崎の合戦」の舞台となった古戦場です。
1582年(天正10年)6月2日、羽柴秀吉の毛利攻めに加勢する途上に京の本能寺に宿泊した織田信長は、重臣の明智光秀に襲撃され、天下統一の志半ばにして命を落とします。(本能寺の変)
当時、毛利攻めの総司令官として毛利軍の最前線である備中高松城を包囲していた羽柴秀吉は、本能寺の変の知らせを受け、即座に毛利軍と和睦し、信長の仇討ちのために驚くべき速さで畿内へ戻ります。(中国大返し)
光秀はあまりにも早い秀吉の到着のため迎撃の体制を整えられないまま、この山崎の地で秀吉軍と激突しますが、秀吉軍の兵力の前に敗れ、本陣を置いていた勝竜寺城に引き返し、その後自身の本拠地である坂本に向かう途中で落ち武者狩りにあい落命します。
見どころ
当時、光秀軍1万6千と秀吉軍4万は、この山崎古戦場跡の横を流れる小泉川(当時は円明寺川)を挟んで対峙しましたが、今は関西の交通の要衝である大山崎ジャンクションの直下のひっそりとした公園になっています。ぜひ、天下分け目の激戦にぜひ思いを馳せてみてください。
写真&散策記
山崎の戦いゆかりの地巡りその2です。
秀吉本陣跡(恵解山古墳)から両軍が激突した山崎合戦古戦場に来ました。
場所としては、ちょうど両軍が小泉川(当時は円明寺川)を挟んで対峙していたちょうど真ん中あたりにあります。
本当に高速道路の高架下を有効活用した公園という感じです。人も誰もいませんでした。
遊具がいくつかあります。普段は子供が遊んでいるのでしょうか?
トイレの裏に押したらラジオ体操が流れるスイッチがありました。
毎朝近所のご老人方の憩いの場になっているのかもしれません。
古戦場跡の碑がひっそりと建っています。
隣は中学校になっています。
川の向こうには羽柴秀長らが布陣した天王山が見えます。
ここ一番の勝負どころのことを「天王山」というあれです。
川を挟んで秀吉軍と対峙した小泉川(当時は円明寺川)です。
こちら側(公園側)は光秀軍側です。
両軍が対峙した緊迫感にぜひ思いを馳せてみてください!
古戦場データ
- スポット名 山崎合戦古戦場(天王山夢ほたる公園)
- 種別 古戦場
- 登城日 2019年1月27日(日)
- 住所 〒618-0091 京都府乙訓郡大山崎町円明寺松田
- 電話番号 なし
- 公式HP 大山崎町観光サイト
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 10分程度
- 混雑度 極少
- 注意点 特になし
※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。
管理人の勝手な評価
~城として~
- 難攻不落度 ★★☆☆☆(小泉川を挟んで両軍が対峙しました)
- 歴史に浸れる度 ★★☆☆☆(両軍が対峙した緊迫感を味わえます)
- 他では見れない度 ★☆☆☆☆(特筆すべきものはないです)
- 総合評価 ★★☆☆☆
~行楽地として~
- アクセス性 ★★★★☆(大山崎ICの真下にあります)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(楽々です)
- 分かりやすさ度 ★★★☆☆(解説板もあります)
- 景観度 ★☆☆☆☆(ジャンクションの真下なので・・・)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(何しに来たん?と言われるでしょう)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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