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清州城 ~信長天下取りの足掛かりとなった尾張の城

■概要「清州城」「清須城」両方の書き方がありますが、どっちでも良いようです。本記事は清「州」城で統一しております。室町時代の1405年(応永12年)尾張国の守護であった斯波義重が、守護所であった下津城の別郭として建設したのが清州城の始まりと...
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中山城(群馬)~真田・北条の国境に建つ最前線の城

■概要1582年(天正10年)頃に、北条氏によって築かれた平山城です。1582年(天正10年)、織田信長が本能寺の変で倒れたことにより無主の地となった甲斐・信濃・上野で天正壬午の乱が勃発。真田氏は一度は北条氏に降るも、家康に鞍替えしたことに...
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小浜城 ~復活した近江の名門・京極家による海城

■概要京極高次が、関ヶ原の戦いで東軍として活躍した功を認められて築城した城です。「小浜」といえば、オバマ氏がアメリカ大統領になるときになぜかフィーバーした節操の無い町です。京極家は元々近江国の守護という名門でしたが、家臣である浅井家の下克上...
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坂本城 ~明智光秀が比叡山の麓に築いた幻の水城

■概要元亀2年(1571年)の織田信長による比叡山の焼き討ちの後に、信長より近江国を任された光秀が築いた城です。当時の一大寺社勢力であった比叡山延暦寺を監視するために比叡山の麓に築かれ、琵琶湖の水運とも接続された水城でした。光秀は近江国の平...
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有岡城 ~信長によって散った荒木村重の名城跡

■概要南北朝時代に摂津国人の伊丹氏が築城したお城で当時は「伊丹城」と呼ばれました。その後、織田信長配下の摂津池田城主・荒木村重によって攻め落とされます。荒木村重は、伊丹城を南北1.7km、東西0.8kmの広大な惣構えの城に改修し、「有岡城」...
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大友氏館 ~九州を制覇したキリシタン大名・宗麟公の居館

■概要中世に豊後国の守護であった大友氏泰が自身の居館として築いた館で、この館を中心に「府内」と呼ばれる城下町が作られました。九州北半分を制した第22代大友家当主の義鎮(宗麟)は、キリスト教を保護し、南蛮貿易を行ったため、城下町には教会や神学...
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佐和山城 ~国宝彦根城の裏にひっそりと佇む石田三成の遺構

■概要関ケ原の戦いで西軍の盟主となって敗れた石田三成の居城として有名で、「三成に過ぎたるものは島の左近と佐和山の城」と言われたほどの名城です。現在は佐和山城址の周囲は完全な陸地になっていますが、戦国時代には佐和山の西側のほとりまで湖が迫って...
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長浜城 ~「秀吉の出世城」と呼ばれる湖岸の城

■概要豊臣(羽柴)秀吉が初めて城持ち大名となった記念すべき城で、滋賀県北部の琵琶湖岸に建てられていました。織田信長は、自身の妹・お市を嫁がせながらも信長を裏切った北近江の覇者・浅井長政を小谷城に滅ぼし、浅井攻めに大功のあった秀吉に北近江の地...
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大津城 ~関ヶ原の戦いの前哨戦の舞台

■概要元々近江の中心拠点は、明智光秀が築いた坂本城でしたが、豊臣秀吉によって廃城にされ、この大津に城が築かれました。廃城となった理由は明らかにされていませんが、大坂城を築城したことにより、淀川や東海道を通じた北陸地方からの物資の運搬などの利...
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真田山(真田丸跡) ~「日本一の兵」真田幸村が徳川軍を撃退した最強の出城

(三光神社「真田幸村像」と「真田の抜け穴」)■概要豊臣秀吉の亡き後、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」で勝利し、天下の覇権を握った徳川家康が、豊臣家を滅亡に追い込むために起こした「大坂冬の陣」で、激戦となった出城「真田丸」のあった場所です。幽...
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