■概要
豊臣秀吉の甥・秀次が自身の居城として築いた城です。
秀次は、秀吉による紀州征伐・四国征伐の論功行賞で、近江八幡43万石が与えられ、安土城の間近にある八幡山の山頂に山城を築きました。実際に普請の指揮を執ったのは秀吉です。
当初、安土城は、本能寺の変のドサクサで火事になって以降、清州会議で織田信長の後継者に決定した三法師の居城として再建される予定でした。
しかし、賤ヶ岳の戦いで秀吉が織田家筆頭家老の柴田勝家に勝利したことにより、信長の実質的な後継者は秀吉となります。
秀吉は、交通の要衝である近江国の押さえを重視しましたが、押さえの城としては、かつて織田家のシンボルであった安土城の再建ではなく、新たに築城することを選びます。
豊臣秀吉は子宝に恵まれなかったことにより、豊臣秀次を自身の後継者とするべく、自身の関白職を秀次に譲りますが、その後に秀吉に子供が出来たことにより、秀次は乱心し、最終的に切腹に追い込まれることとなります(秀次事件)。
秀次の切腹後、京都の聚楽第とともに八幡山城も廃城となり、築城からわずか10年でその歴史を終えることとなります。
■見どころ
戦国時代も末期になり、防衛のための城の主体が、攻めにくさを主眼とした山城から、持久戦に主眼を置いた巨大な平城に移りつつある中で築かれた、本格的な防衛用の山城です。
山頂部分の本丸を中心としてY字型に北ノ丸・西ノ丸・二ノ丸といった防衛用の曲輪を配し、それらの間を「帯曲輪」と呼ばれる通路でつなぐことによって兵士の移動や連絡を容易にしています。
また、要となる本丸に至るルートは何度も折り曲げられた複雑な食い違い虎口によって守られていて、容易に攻め落とすことが困難なことが分かります。
秀吉は自らの普請で難攻不落の山城を築き、自身の後継者を置いたことから、いかにこの東国・西国・北国をつなぐこの近江の地を軍事・経済の要衝として重視していたかが分かります。
■写真&散策記
つい「やはたやま」と言ってしまいますが、「はちまんやま」が正しい読み方です。
八幡山城に上るには、徒歩、ロープウェイの二つの手段がありますが、いずれも、まず麓の「日牟禮八幡宮」付近に行きます。
管理人は、朝佐和山城に登って登山服のままなので、徒歩で登ることに。
登山口は、日牟禮八幡宮の境内奥にあります。神門をくぐっていきます。
ハイキングコースの看板です。
ハイキングコースは八幡山城よりずっと奥まで続いている模様です。
登っていきます。
ゆるやかなハイキングコースです。
若干岩肌がゴツゴツしています。
山頂の瑞龍寺の山門的なものでしょうか?
山門?をくぐってどんどん登っていきます。
ずーっとゆるやかに尾根を登っていく感じです。
岩肌むき出しの狭い道を伝っていきます。
鳥居をくぐると地元の信仰の場である「大日大聖不動明王」に通じています。
左の門をくぐると八幡山城です。
管理人夫妻は間違えて不動明王の方に行ってしまいました。
途中に「出世不動明王」というのがありました。
秋に受ける社内試験の合格を祈ってお祈り。
さらに先に進んで行くと建屋があります。
なにやらお経と金物が鳴らされる音が聞こえてきます。
ここまでは、てっきりお城が近いものと勘違いしてました。
階段を少し登ってチラ見してみると、お堂の中で読経されていました。
こんな人が誰も通らない山奥で宗教行事がされているとは、神秘的なものを感じます。
行き止まりのようなので戻ることに。。
気を取り直して先ほどの鳥居があった分岐まで戻ります。
それにしても折角の舗装路がボコボコ。。
安全のための舗装なんでしょうが、逆に怖いです。
分岐まで戻ってきました!
こちらの「瑞龍寺」「村雲御所」と書かれている方が山城行きです。
ここから急に険しい登山道になります。
少し頑張って登ると、二の丸のあった場所に立つロープウェイ山上駅に着きます。
やっと石垣が見えてきます。
山城跡の散策は、山頂駅から一周歩いて30分程度のコースです。
本丸の高石垣が見えてきます。
かなりの大規模でテンションが上がります。
本丸(瑞龍寺門跡)へ向かって登っていきます。
90度折れ曲がった虎口になっています。
奥に見えるのが本丸虎口(現在は瑞龍寺の山門)です。
こちらも90度折れ曲がって敵の侵入の勢いを弱める構造です。
ようやく本丸に到着!
松の木の奥に近江平野と琵琶湖が映えます。
本丸跡の看板。
ちなみに、豊臣秀次の上にある家紋は豊臣家の家紋「五七の桐」と似ていますが、「沢瀉(おもだか)」紋と呼ばれる別の家紋です。賤ケ岳七本槍の福島正則の家紋ですが、秀次も旗印として使っていました。
豊臣秀次公を祀った「村雲御所 瑞龍寺門跡」です。
秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が切腹した秀次の菩提を弔うために京都・嵯峨の村雲という地に建立した寺を、秀次ゆかりの八幡山に移設したものです。
一般のお寺の中でも特に寺格の高い「門跡寺院」です。
門跡寺院はすべての仏教宗派を合わせても全国に40ほどしかなく、日蓮宗の門跡寺院は全国でもこの瑞龍寺だけだそうです。
奥の寺務所が続日本百名城スタンプ設置場所です。
やれやれ、一息ついてスタンプを押そうと思ったら、なんと!
スタンプ帳を麓に停めた車に忘れてくるという不祥事が発覚・・・
山城で山頂にスタンプ設置場所があるのはむしろ珍しいケースなので油断してました。
受付のお姉さんに聞いてみたところ、この本丸の案内所かロープウェイ山頂駅にしかスタンプは無いそうです・・・というわけで、一回下山してスタンプ帳を取って再び戻ってくるしかありません。
やれやれ、どうしようか。。
悩んでいても仕方がないので散策を再開することに。
本丸にある開山塔です。
「戦国の階段」とは!?
気になりますが、由来は分かりませんでした。
「金生稲荷堂」と呼ばれる社です。
本丸の出っ張った部分にあるので、当時は隅櫓が建っていた部分と思われます。
本丸を下りて北の丸址に向かいます。
野面積みの荒々しい石垣が迫力あって良いです。
戦国時代末期ですが、隅石ですら算木積みで整えていないワイルドな石垣。
こちらは北ノ丸址。Y字型になっている八幡山城の右上部分を守る曲輪です。
北ノ丸にある残念なモニュメント。
貴重な歴史スポットなのに、役所も何を考えているのだか・・・
本丸の周りをぐるっと回ってY字の左上にあたる西の丸へ。
八幡山城は「帯曲輪」といって、本丸を中心として、周囲の北ノ丸~西ノ丸~二ノ丸が通路で結ばれていて、籠城の際の兵士の移動や連絡が容易となっています。
このあたりで見ると本丸石垣も隅石が整えられているように見えます。
場所によって随分違いますね。
こちらにはさらに残念なモニュメントが・・・
まあ城巡りではなく、単なる夜景スポットとして訪れるカップルにも対応したいのでしょうが、歴史ファンとしては非常に残念の一言です。
西ノ丸は八幡山城の中でも最も眺望が良いです。
琵琶湖と近江の穀倉地帯の風景が一望できます。
本丸の周りを一周して下山路へ。
本丸の西側は高石垣のようになっていて、こちらも迫力があって素晴らしいです。
ここから30分程度かけて一旦下山しますが、もう一度登ってスタンプをゲットしてくるというミッションが・・・
もう一度足で登る気力は無いので文明の力に頼ることにします。。
なんと!
通常だと山頂までの往復880円と結構高額なんですが、先週西武ライオンズのリーグ優勝が決まった記念に620円に割り引かれていました。八幡山ロープウェイを運営している近江鉄道が西武グループだそう。
ラッキー♪
ロープウェイ待合室にて。
7月15日は秀次公の命日とのことで、瑞龍寺では法要が行われているとのこと。
スタンプ帳を手にいざ再び山頂へ!
(恥ずかしい写真は妻に撮影してもらいました)
山頂でスタンプだけ押してそのロープウェイでそのまま戻ります。
だいぶ不審者に見られたやろうなぁ。
気にせず、待ち時間に索道を見下ろしたショットをパシャリ。
そんなこんなで二度も八幡山登頂を満喫した半日でした!
- 城名 八幡山城(八幡城、近江八幡城)<続日本百名城No.157>
- 種別 山城
- 登城日 2018年10月7日(日)
- 住所 滋賀県近江八幡市宮内町257(日牟禮八幡宮)
- 電話番号 0748-32-3151(日牟禮八幡宮)
- スタンプ設置場所 ロープウェイ山上駅、瑞龍寺寺務所
- 公式HP 滋賀・びわ湖観光情報サイト
- 入場料 無料(ロープウェイは有料(大人片道490円、往復880円))
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 90分程度(徒歩の場合)、60分程度(ロープウェイ利用の場合)
- 混雑度 中
- 注意点 徒歩の場合は、登山に適した服装で!
※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。
■管理人の勝手な評価
~城として~
- 難攻不落度 ★★★★☆(秀吉が直接普請の指揮にあたった山城です)
- 歴史に浸れる度 ★★★☆☆(秀次の悲しい歴史が偲ばれる城です)
- 他では見れない度 ★★★★☆(戦国時代末期では珍しい山城です)
- 総合評価 ★★★★☆
- アクセス性 ★★★☆☆(東海道本線や高速道路からも近いです)
- 登城のしやすさ度 ★★☆☆☆(ロープウェイならば楽です)
- 分かりやすさ度 ★★★☆☆(解説や案内もそれなりにあります)
- 景観度 ★★★★☆(特に北ノ丸からの眺望は格別です)
- 女性と行ける度 ★★★★☆(北ノ丸のLOVEめざして行きましょう)
- 総合評価 ★★★☆☆
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