日本百名城

No.96 飫肥城 ~島津と伊東が争った辺境の巨城

概要 南北朝時代に日向の名家である土持氏が築城したお城です。飫肥の町は、品質の高い木材として知られる「飫肥杉」の産地と、河川舟運に適した酒谷川が隣接した要地で、飫肥城は酒谷川を天然の堀として、シラス台地(火山の噴出物が積もっ...

No.88 吉野ケ里遺跡 ~「城」のルーツになった古代集落

日本の城の起源ともされる弥生時代の環濠集落で、佐賀県屈指の観光スポットです。広大な敷地に3重の濠を巡らせた巨大集落で、城柵、環濠、祭殿などが復元されています。

佐賀城 ~「肥前の熊」龍造寺氏の居城を原点とする城

佐賀市内の中心部に位置する佐賀藩主・鍋島氏の居城であり政治の中心となっていた平城。もとは戦国時代に肥前国を支配した龍造寺氏の居城であった村中城であり、江戸時代に佐賀藩によって再普請された。日本百名城に認定されている。

島原城 ~活火山・雲仙をバックにした力強い巨城

■概要 江戸時代に島原藩の政庁として建てられた城です。島原藩の初代藩主は、キリシタン大名として有名な有馬氏だったが、有馬氏は延岡に転封となったことで、松倉重政が大阪夏の陣の功により4万石で入封しました。 重政は、一国一城令に従って、...

中城城 ~護佐丸が築いた琉球最大規模のグスク

■概要14世紀後半頃迄に先中城按司(さちなかぐずくあじ)が数世代にわたり南の郭・西の郭・一の郭・二の郭の主要部分を築いたのが、中城城(なかぐすくじょう)の始まりといわれています。当時貿易港であった屋宜港から2kmと近く、標高160mの見晴ら...

首里城 ~琉球王国の栄華を誇った豪華絢爛な王宮

■概要約500年という長きにわたり琉球王朝の中心拠点となった城(ぐすく)で、県内最大規模を誇ります。築城年代は、定かではありませんが14世紀頃と言われています。琉球の三国志時代にあたる、三山時代においては、中山の本拠地となりました。その後、...

根室半島チャシ跡群 ~日本の最東端に眠るアイヌ民族の砦跡

■概要「チャシ」はアイヌ語で「砦」を意味し、アイヌ民族の祭祀の場、見張りの場として使われたといわれていますが、研究が始まったのが遅く、詳しいことはあまり分かっていません。13~19世紀にかけて北海道全域に700程度のチャシが作られましたが、...

箕輪城 ~名将・長野業正が信玄を六度退けた巨大な平山城

■概要永正9(1512)年、当地(上野)を支配する長野氏によって築かれた平山城です。戦国時代初期においては、関東管領・山内上杉家の支配が及んでいましたが、永禄元(1558)年、山内上杉家15代当主・上杉憲政が越後に亡命した後は、憲政から関東...

備中松山城 ~備中の覇者・三村元親の一大要塞

■概要備中国の戦国大名・三村元親が本城とした城で、貴重な現存12天守の一つであります。仁治元年(1240年)、秋庭三郎重信が備中有漢郷(現・岡山県高梁市有漢町)の地頭に任ぜられて臥牛山の大松山に砦を築いたのが発端となり、その後時代の流れとと...

福山城 ~江戸幕府による西国外様大名の抑えの城

■概要江戸時代に、毛利氏をはじめとする西国の外様大名への抑えとして築かれた城です。戦国時代、中国地方はすべからく毛利氏の支配下にありましたが、関ヶ原の戦いで西軍の総大将となったことで毛利氏は周防・長門二ヶ国に減封となり、備後国は東軍の先鋒と...
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