多気北畠氏城館(霧山御所+霧山城) ~信長によって滅ぼされた伊勢の名家・北畠氏の本城

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■概要

南北朝時代に南朝方の重臣として活躍した北畠親房の三男・顕能が伊勢の国司に任じられ、多気北畠氏を開きますが、当時の本拠は田丸城でした。その後、田丸城は北朝方に攻め落とされ、顕能はこの多気の地に逃れて城を築いたと言われています。

城は、麓に平時のための国司の居館(霧山御所)を設け、標高560mの山頂に有事の際の防衛施設である山城(霧山城)を設けました。

以降、多気北畠氏は、ここ多気を本拠として、8代230年間にわたって伊勢の名家として存続しますが、戦国時代に天下布武を狙う隣国・尾張の織田信長によって攻められ、当主・北畠具房の養子に信長の次男・茶筅丸(後の信雄)を迎え、具房の後継とすることで和睦しました。

茶筅丸が元服して北畠具豊になると同時に、信長は具房を隠居に追い込み、具房を北畠家の当主としますが、これにより立場を失った具房の父・具教は、西上作戦で織田・徳川連合軍を攻略中の武田信玄に使者を送り、信玄上洛に協力する旨を申し伝えます。

しかし、具教が信玄による信長包囲網の一角に加わろうとしたことはすぐに信長に漏れ、信長は家臣に具教が住む三瀬御所を襲わせて殺害に追い込みます。

織田家による一連の粛清を逃れた北畠家臣団は、防御力の高い霧山城に立て籠もって抵抗しますが、羽柴秀吉ら1万5千の兵に攻められて落城し、そのまま廃城となります。

これにより反織田派の北畠一門・家臣団はすべて伊勢から駆逐され、伊勢の名家・北畠家は信長によって完全に乗っ取られることになります。

■見どころ

城館跡である霧山御所は、「御所」と言われるだけあって、日本庭園があり、戦国大名の城とは思えない優雅なたたずまいです。室町時代、伊勢国司の北畠晴具の養父・細川高国が作ったと言われる武家式庭園です。苔むした素朴な庭園で、時間を忘れて過ごすことが出来ます。

詰めの城である霧山城は、急峻な山の上にある堅固な山城で、麓の居館とは対照的な荒々しい姿を見ることができます。

霧山御所は、周囲を七つの峠という天然の要害に囲まれることによって230年もの間「都」として栄えてきましたが、やがて新興勢力の織田家によって滅ぼされてしまいます。城の作りから滅亡に至るまで、越前・朝倉家の「一乗谷」と近いものがあるでしょうか。

居館跡の北畠神社の解説板などは、伊勢国司であった北畠氏の功績を称え、織田信長については謀略によって伊勢国を乗っ取った悪者として書かれています。南北朝時代からの名家であった北畠家からすれば、家格の低い織田家に家を乗っ取られるのはとても屈辱であったに違いありません。
北畠家臣団は、最後まで信長に降らず、それぞれの城で最後まで抵抗したと書かれてあることから、忠義に厚い武家でもあったと思われます。

ぜひ、文武に優れた名家・北畠家の栄枯盛衰の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

■写真&散策記

「信長の野望 創造」で三重の山奥に「霧山御所」という城を見てから、ずっと気になっていた城です。(しかも本城扱いで、人口や兵数も多いという)

伊勢本街道で、「道の駅美杉」の交差点を北に北畠神社の鳥居の前の、「JA三重中央やまゆり」の前に無料駐車場があります。

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入館する前にまずは解説板。
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城館跡のある北畠神社の鳥居をくぐっていきます。
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右に行けば城館(霧山御所)跡、左に行けば山城(霧山城)跡です。
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まずは城館跡に向かいます。
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城館は少しだけ土地を上げてあります。
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鳥居をくぐって城館内部(神社境内)へ。
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読みづらくなっていますが、「名勝・史蹟 北畠氏館址」と書いてあります。
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入って正面の奥に北畠氏を祀る北畠神社の本殿があります。
写真に写ってませんが、右側の社務所で続日本百名城のスタンプが押せます。
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社務所にはやはり続百名城のポスターが。
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北畠神社のご由緒。
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多気北畠家の祖・北畠顕能の兄で本家嫡男の顕家の像です。
なぜ顕能の像ではないのか?という疑問。
確かに兄の方が有名人やけどね。
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このあたりは入口跡だったようです。
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こちらは顕能の歌碑。
一応顕能のもあることに一安心。
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城館の石垣は日本最古だそうです。
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こちらは礎石の上に建物が建っていた「礎石建物跡」です。
礎石を打っていたことから、格調の高い建物であったかと思われます。
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こちらは北畠一族および家臣団の戦没者を祀る「留魂社」です。
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織田家への恨みつらみが書かれています。
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こちらは忠魂碑。
北畠神社自体が一族を祀るものですが、念が入っています。
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最後に本殿の方に戻って城館方面をパシャリ。
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続いて見どころの日本庭園へ。
先ほどの社務所で入場料300円を支払ってから入ります。
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こちらの日本庭園は見事!の一言です。
小ぢんまりとした庭園ですが、苔むしていて時間を忘れることができます。
平日でお客さんが一人もいなかったのも大きい。
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紅葉の時期はさらに良さそうですね。
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築山には野面積みの石垣もあります。
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管理人は日本三大庭園の「兼六園」などより余程好きです。
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神社の入り口に戻って今度は山城(霧山城)に向かいます。
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いざ霧山城へ!
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案内板は朽ちています。。
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急なつづら折りを登っていきます。
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少し登ると「詰城跡」が見えてきます。
霧山城よりはるかに小さいですが、御所の防衛用の曲輪の一つであったと思われます。
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景観がなかなか良いです。
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霧山城へ向けてさらに登っていきます。
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平坦な道と勾配が繰り返します。
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ところどころに階段も。
下りは膝に来そうです。。
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小休止しつつどんどん登っていきます。
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晴れの日でもジメジメしている道も。
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霧山城までもうすぐ、もうすぐですよ。
分かれ道注意の看板を軽く見ていましたが、この後後悔することに。。
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急な階段を上っていきます。
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「スズメバチ注意!!」の看板。
「ゆうてもおらんやろ~」と高をくくっていましたが、マジで居ました。。2匹も。
しかも登城路をふさぐように旋回していてなかなかどいてくれません。
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スズメバチをなんとかやり過ごしてまっすぐ鐘突堂へ向かいます。
ちなみに右に行けば本丸です。
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今が左下の鐘突堂の前のあたり。まだまだ先は長いです。
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鐘突堂です。
何かあったときに本丸に知らせる役目です。
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なかなかの眺望です。
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鐘突堂の碑です。
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それにしても天気が良いです。
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先ほどの地図を見ると鐘突堂をまっすぐ抜けると本丸へ行けそうな気がしてくるのですが、全然辿りつけず30分程度尾根をさまようことに。途中で気付いて戻ってきました。
(後で見ると攻城団の口コミにも同じような方がいました)
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鐘突堂の看板まで戻ってきました。
右に行けば本丸です。
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鐘突堂の曲輪を左手に見ながら少し暗い林を抜けていきます。
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林を抜けると一気に視界が開けます。
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小道を進んで行きます。
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どんどん行きます。
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城館から1.3km登山してきたことになります。
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本丸の前に矢倉跡に向かいます。
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矢倉跡からの眺望もなかなか良いです。
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続いて本丸に向かいます。
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なんとなく虎口っぽい入り口です。
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本丸です。
見えにくいですが、碑は「史蹟霧山城址」となっています。
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本丸からは山々が良く見えます。
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本丸はなかなかの広さです。
霧山城にが16,000騎を収容できたといいます。
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米倉跡です。
本丸の端にあります。
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もはや何が書かれているか良くわかりません。
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状態の良い「霧山城址碑」
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そのまま同じ道を1.6km下山して散策終了!
帰りは神社内にある、「雪姫亭」で食事。

城館あり、日本庭園あり、山城ありでとても濃密な攻城でした。

雪姫は信長によって殺された北畠具教の4女で、織田信雄(茶筅丸)の正室です。
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食事は天ぷら定食が680円と、結構お得ですが、内容は普通でした。
メニューにある「舌代」という言い回しが独特で印象的でした。
「お品書き」の意味だそう。
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■公式パンフレット
パンフ表

パンフ裏


■城データ
  • 城名        多気北畠氏城館(霧山御所、霧山城)<続日本百名城No.153>
  • 種別        平城+山城
  • 登城日       2018年9月28日(金)
  • 住所        三重県津市美杉町上多気1148
  • 電話番号      059-275-0615
  • スタンプ設置場所  北畠神社社務所
  • 公式HP      津市観光サイト
  • 入場料       無料(日本庭園は300円要)
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       霧山城に行く方は登山ができる服装で。
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★★☆(霧山城は盤石の防衛設備です)
  • 歴史に浸れる度   ★★★★☆(北畠氏の興亡の歴史に思いを馳せましょう)
  • 他では見れない度  ★★★★☆(日本庭園が見事です。山城も見ごたえアリ)
  • 総合評価      ★★★★☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★☆☆☆☆(とても不便な場所にあります)
  • 登城のしやすさ度  ★★☆☆☆(霧山城はなかなか難攻不落)
  • 分かりやすさ度   ★★★☆☆(城館はともかく山城の解説は少なめです)
  • 景観度       ★★★★★(霧山城本丸からの眺望は抜群)
  • 女性と行ける度   ★★★☆☆(日本庭園と神社だけなら・・・)
  • 総合評価      ★★★☆☆
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