手取川古戦場跡 ~信長と「軍神」上杉謙信激突の地

■概要

1577年(天正5年)能登を支配下に置こうとする上杉謙信に七尾城を囲まれた畠山氏の重臣・長続連はかねてから誼を通じていた織田信長に救援を依頼。謙信の勢力拡大を快く思わない信長は、筆頭家老の柴田勝家を七尾城救援に派遣する。七尾城に籠る畠山家臣団は、徹底抗戦を唱える長続連と謙信への降伏を唱える遊佐続光の派閥に分かれており、遊佐続光らは長続連の一族を殺して謙信へ降伏し、七尾城は陥落する。そして、謙信は織田軍が能登をめがけて北上していることを知り、七尾城陥落を秘匿しつつ、織田軍を迎撃すべく七尾城を出撃して南下を開始。

七尾城落城を知らない柴田勝家率いる織田軍は、能登に向けて進軍を続けるが、手取川を越えたところで七尾城落城を知り即座に撤退を下知するが間に合わず、折りしもの大雨で川が増水する中で目前に迫った謙信軍に追撃され、数千人が討ち死にもしくは手取川を泳いで撤退する途中に溺死する大敗を喫した。

信長は軍神と称された上杉謙信との戦いを生涯避け続け、「手取川の戦い」は信長・謙信が激突したたった一度の貴重な合戦である。手取川の戦い後信長は謙信とは二度と戦わないことを心に誓ったといわれる。

■見どころ

合戦のあった場所は手取川の河口付近に位置するため、織田・浅井が激突した姉川の合戦で知られる姉川古戦場などとは違い、とても川幅が広い。また手取川は通称「暴れ川」とも呼ばれ、過去幾度となく氾濫を繰り返している川でもあり、洪水により増水する中での織田軍の撤退は悲惨なものであったと推測される。天候をも味方につけた上杉謙信の「軍神」ぶりに思いを馳せて頂ければと思う。

河川敷の近くにある呉竹文庫という施設の駐車場に古戦場碑が建っているほかは、特に遺構などは無い普通の大型河川であり、管理人が訪問した時は河川敷はサケ釣りの客で賑わっていた。

<呉竹文庫駐車場にある古戦場碑>
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手取川の戦い後、京都などで流行した狂歌が記されている。
『上杉に 逢うては織田も 名取川 はねる謙信 逃ぐるとぶ長』
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<手取川古戦場付近の風景>
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通称「暴れ川」と呼ばれる手取川は現代は増水した際にサイレンが鳴るとのこと。
勝家も増水するのを察知して手取川を越えなければ被害はなかったのかもしれませんが・・・
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古戦場付近には間近にJR北陸線が走っている。
写真は大阪~金沢を結ぶ特急サンダーバード。
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■あわせて巡りたい

七尾城<日本百名城No.34>
謙信が能登を制するために攻めた畠山氏の中心拠点。
謙信は兵糧攻めによって陥落させ、北上する織田軍を迎撃すべく七尾城より出撃して手取川に向かった。

■事前学習推奨コンテンツ
  

・宮下英樹「センゴク 天正記」7巻、8巻
七尾城の戦い~手取川の戦いまでの上杉謙信の活躍が描かれています。

Kエンタープライズ
2014



■施設データ

  • 施設名       手取川古戦場跡
  • 訪問日       2017年10月28日(土)
  • 住所        白山市湊町ヨ146番地(呉竹文庫)
  • 電話番号      076-278-6252(呉竹文庫)
  • 公式HP      ほっと石川旅ねっと
  • 入場料       無料
  • 駐車場       なし(河川敷路駐もしくは呉竹文庫P)
  • 所要時間      30分程度
  • 注意点       特に無し
■管理人の勝手な評価

~歴史スポットとして~
  • 歴史に浸れる度   ★☆☆☆☆(七尾城とセットで。事前学習していきましょう)
  • 他では見れない度  ★☆☆☆☆(普通の河川です)
  • 総合評価      ★☆☆☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★☆☆☆(北陸自動車道美川ICより約8分)
  • 分かりやすさ度   ★☆☆☆☆(解説・案内などほぼありません)
  • 景観度       ★☆☆☆☆(ごく普通の河川敷です)
  • 女性と行ける度   ★☆☆☆☆(ごく普通の河川敷です)
  • 総合評価      ★☆☆☆☆

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