■概要
三方ヶ原の戦いは、西上作戦により上洛をめざす武田信玄と、上洛ルートに位置する浜松城を守る徳川家康の本隊同士が激突し、家康が歴史的敗退を喫した戦いです。
3万の軍勢を率いて甲府を出発し、家康領の遠江を踏みつぶしながら西へ西へ進む信玄に対し、はじめ家康は浜松城で籠城戦の構えをみせますが、予想に反して信玄は家康を無視するかのように浜松城を素通りして西へ向かおうとします。
これに激高した家康は、浜松城の西側にある祝田の坂を下って西へ向かう武田本隊を背後から急襲するべく1万の兵を率いて浜松城を出発しますが、祝田の坂を下った三方ヶ原台地で信玄本隊は3万の軍勢で魚鱗の陣をひいて万全の状態で待ち構えており、虚をつかれた家康本隊は大混乱に陥り、2千以上の兵士を失って家康は命からがら浜松城に逃げ帰ります。
(宮下英樹「センゴク」10巻より)
(宮下英樹「センゴク」10巻より)
(宮下英樹「センゴク」10巻より)
家康は命からがら浜松城に帰りますが、あまりの恐怖に馬の鞍に脱糞してしまったと言います。
浜松城に逃げ帰ったのち、家康はその日の屈辱と教訓を忘れないよう、絵師に自分の肖像画を描かせたといいます。教科書などでも出てくる家康の肖像画として最も有名この「しかみ像」だと思います。
後世に残るほど、家康の生涯忘れられない思い出になったということです。
■写真&散策記
家康が歴史的大敗を喫した有名な古戦場ながら、古戦場跡には当時を偲ばせるものは何も残っていません。浜松市内の「三方原墓苑」のすみっこにポツンと碑が建っているのみです。
三方原墓苑はかなり大きい墓地なので、休日には家族連れが墓参りに多数訪れていますが、古戦場跡の碑のあたりは閑散としています。
実際、三方ヶ原の戦いについては実際に両軍が激突した場所などが特定できていないそうで、三方原墓苑の古戦場碑についても「だいたいこのへん?」程度のものだそうです。
今後詳しく解明されて、古戦場巡りができる日が来ることを願っています。
■事前学習コンテンツ
・宮下英樹「センゴク」9巻&10巻
主人公・仙石秀久は佐久間信盛隊の一員として家康隊に後詰めして、家康とともに脱糞します。
武田軍がいかに強かったか、漫画を読んでいただくと良くお分かりかと思います。
- 城名 三方ヶ原古戦場跡
- 種別 古戦場
- 登城日 2018年月3日17日(土)
- 住所 静岡県浜松市北区根洗町(三方原墓苑)
- 電話番号 053-437-8108(三方原墓苑)
- 公式HP 浜松市公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 無料(三方原墓苑)
- 所要時間の目安 5分程度
- 混雑度 無
- 注意点 特に無し
~古戦場として~
- 難攻不落度 ★☆☆☆☆(不明です)
- 歴史に浸れる度 ★☆☆☆☆(遺構は何もありません)
- 他では見れない度 ★☆☆☆☆(碑が建つのみ)
- 総合評価 ★☆☆☆☆
- アクセス性 ★★★☆☆(浜松市街地からほど近い)
- 散策のしやすさ度 ★★★★★(瞬殺です)
- 分かりやすさ度 ★★☆☆☆(解説板が一つ立つのみです)
- 景観度 ★☆☆☆☆(何もありません)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(墓参りとセットで!?)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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