本日のテーマは『金ヶ崎撤退戦ツーリング』!
金ヶ崎撤退戦は「金ヶ崎の退き口」とも呼ばれ、日本史を代表する撤退戦の一つです。
※金ヶ崎撤退戦とは?
元亀元年(1570年)将軍御座所の京都を抑えて天下に号令した織田信長は周辺諸国の大名に服従を迫ったが、越前(現在の福井県など)に代々続く名家の朝倉氏はこれを拒絶。
口実を得た信長は京を発して越前討伐に乗り出し、越前の入り口である金ヶ崎城(敦賀)に迫った
当初戦闘は信長軍有利で進められたが、妹・お市を嫁がせて同盟関係にあった近江(滋賀県)の浅井氏が朝倉方に寝返り、信長の背後を突くべく金ヶ崎城に向かったことで、信長軍は絶体絶命の状況に。
朝倉・浅井からの前後からの挟み撃ちを恐れた信長は即時撤退を決意し、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)をわずかな兵ととともに殿(しんがり)大将として残し、朽木越え(現在の鯖街道)を通って京都へ帰還。
撤退戦において敵の追い打ちを防ぎながら本隊を逃がす役目の殿(しんがり)は戦働きの中で最も難しいとされ、秀吉には万に一つも生還の可能性は無いと思われていたが、秀吉は浅井・朝倉軍の猛攻を巧みに防ぎながら信長本隊を無傷で撤退させ、秀吉自身も奇跡的に生還した。
今回は、当時の信長と同じように、京都を出て湖西(琵琶湖の西側)を通って金ヶ崎城に向かい、朽木越え(鯖街道)を通って京都に帰ってくるというルートです。
まずは、往路から。
朝8時頃に自宅のある東大阪北インターから名神高速を通って京都東インターを下車。バイパスを経由して湖西道路へ向かい、そこから一路、敦賀に向けて北進します。
途中、「近畿の厳島」との呼び声が高い(?)白髭神社にお参り。
本来であれば、マキノより西近江路を経由して敦賀に抜けるルートが一般的なのですが、今回は信長の進軍路であったと思われる若狭路(国道303号)を経由するため、マキノより一旦西へ折れて若狭路を進み、若狭町三宅より再度北進し、丹後街道(国道27号)を通って、11時頃に金ヶ崎へ到着。
金ヶ崎城は半島に突き出た山城です。
勢いあまってトンネルを抜けて山の反対側に出てしまいました。
山肌がむき出しになっていてなかなか迫力があります。
正面(金ヶ崎緑地)から見た金ヶ崎山はこちら。
城跡は山の先端部分付近にあります。
金ヶ崎緑地の近くにある赤レンガ倉庫に愛馬を停めて撮影してみました。
ちなみに愛馬はハーレーダビッドソン2010年式FXDL(ローライダー)です。
ここから、金ヶ崎公園駐車場にバイクを停めて城攻めに向かいます。
金ヶ崎公園の駐車場はややわかりにくいので念のため案内板を載せときます。。
金ヶ崎公園の案内図はこちら。
まずは、順路に従って金ヶ崎宮にお参りです。
金ヶ崎宮は、戦国時代よりさらにさかのぼる南北朝時代に、足利尊氏率いる北朝方に京都を追い出され、金ヶ崎城で自害に追い込まれた南朝方の恒良親王、尊良親王が主祭神として祀られている神社です。
ここで売られているお守りは難関突破お守りと言って、信長が浅井・朝倉に挟撃されながらも奇跡的に京都へ脱出したことにあやかったものです。
(金ヶ崎宮公式HPより)
ちなみに、このお守りは両端の口を縛っている袋の形ですが、浅井家に嫁いでいた信長の妹・お市は浅井家に悟られずに信長に危急を知らせるために、陣中見舞いとして両端を縛った小豆の袋を送って、浅井・朝倉の挟み撃ちにあうことを事前に伝えたといわれています。
金ヶ崎宮は、駐車場から石段を少し登ったところにあります。
金ヶ崎宮を抜けてからは、山を北側にぐるっと半周する形で城跡散策です。
金ヶ崎城の石垣跡がわずかですが、残っています。
野面積みですね。
城跡から信長の撤退方面となった若狭方面を望みます。
浅井家の寝返りの報を聞いた信長はここから撤退方面を眺めたのでしょうか。
さらに坂と階段を登って金ヶ崎城跡へ向かいます。
城があったとされる場所です。
遺構も何も残ってませんが、周りを崖に囲まれた窪地になっています。
海側に突き出た半島の端に近い方ですし、攻めにくい感はあります。
少し登ったところに、金ヶ崎で尊良親王が自害した墓所の「見込地」があります。
だいぶ昔のことですし、場所ははっきりしていないんでしょうね。
金ヶ崎古戦場跡の碑ですが、これはあくまで南北朝時代の「金ヶ崎の戦い」のものです。
(戦国時代の信長vs朝倉のものではありません。悪しからず)
公園の一番高いところに、月見櫓と呼ばれる場所です。
戦国時代にも武将たちが月見をした場所といわれています。
月見櫓からの景色です。
残念ながら完全に近代化してしまっています。。
下に見えるは敦賀セメント(株)の工場です。
タンカーが横付けしてますが、原料の配達でしょうか。
月見櫓から山を少し下ると、三の木戸跡があります。
水の手といって、湧水が出たそうです。
籠城の際の生命線となった場所ですね。
三の木戸からさらに下ると、「焼米石出土跡」があります。
信長が城攻めを行った際に焼けた兵糧庫から、のちに焼米が出土したとされています。
うーん、ロマンを感じます。
もう少し下ると二の木戸跡。
そこから急坂を下りて金ヶ崎宮の社務所付近に戻ってこれます。
なんだかんだでもう1時頃。お腹が減ってきましたので、管理人が愛してやまない「海鮮丼」を食らいに行きます。
敦賀は日本海に面していてお魚が美味しいことで有名です。
いつもであれば、このあたりでは超メジャーな「日本海さかな市場」の海鮮丼を食べに行くところですが、今日は少し趣向を変えて、敦賀漁港にある有名店「どんと屋」にお邪魔しました。
平日でも少し並んでますが、20分足らずで入店。
行列の出来る店なのに、店員さんも愛想が良くとても行き届いてます。
1500円でなかなかボリューミイな海鮮丼です。
鯛の炙りなんかも入っていて、味も上々です。
LINEでお友達登録をすると、100円引きになって1400円とさらにお値打ちなので、敦賀に来られた際にはぜひご賞味を。
待ち時間はありますが、待合ベンチにはとても人懐っこい猫が居て時間を忘れることができます。
管理人が座ってスマホをいじっていると、わざわざ近くに寄ってきて爪とぎを始めました。
不覚にもかわいい・・
それにしても海鮮丼屋に飼われている(?)猫って毎日好物の魚が食べれて幸せやなーとか考えてました。
腹ごしらえの後は、信長の撤退路に沿って京都方面へ。
元来た丹後街道を通って若狭方面に西進し、三方五湖から南へ折れ、若狭路を東に進みます。
さらに途中で南に折れ、朽木越え(鯖街道)をひたすら南に向かいます。
それまでの開放的な道路から打って変わって、見通しの悪い山中です。
信長も必死の思いで、生還を期してここを駆け抜けたのだと思うと、感慨深いですね。
信長は朽木越えにあたって、このあたりの領主であった朽木元網に支援を求めます。
(ていうか、朽木を味方につけないと京都まで無事に抜けることができなかった)
そこで、信長はかの有名な大悪党であり、越前攻めの際には自身の側近として従軍させていた「松永久秀」に朽木元網の説得へ向かわせます。
朽木元網は、信長軍が越前で浅井・朝倉に挟撃され瀕死の状態であることを知っていたため、助力することをためらいますが、松永久秀に利害を説かれ、信長を支援することを決意します。
信長が、松永久秀が朽木元網を説得するまでの間身を隠した場所と伝えられる「信長の隠れ岩」と呼ばれる場所が、鯖街道のすぐ脇にあります。
説得に向かった松永久秀が逆に裏切ってしまう可能性も十分にあったと思われるので、この岩陰で待つ信長の心境は非常に心細いものだったのではないでしょうか。
そんなことに思いを馳せつつ、朽木元網の居館のあった、朽木陣屋跡に向かいます。
朽木陣屋跡は、鯖街道から山神神社を西に折れて少し行ったところにあります。
ここで松永久秀が信長の助命を交渉したのでしょうか。
戦国時代の裏切り王と言われた久秀ですが、どんな思いで滅亡寸前の信長の助命を交渉したのでしょうか。
ちなみに、石垣や堀などの遺構も少し残っているそうですが、案内板も無く見つけられませんでした。平日とは言え、人の気配も全くなく、ゆっくり散策できます。
朽木陣屋を出たあたりで15時半ごろでしたが、途中にちょくちょくある鯖寿司の売店の誘惑にも負けず、一路鯖街道を南下して京都に帰還します。
信長の撤退に思いを馳せつつ、17時前には無事に京都に生還することができました。
戦国をテーマにしたツーリングははじめてでしたが、当時と同じ風を感じつつ、進軍路を進むのはなかなか面白いと思いました。実際の金ヶ崎の退き口での移動手段は馬だったと思われるので、まさに現代版の「鉄馬」での撤退戦再現です。
興味ある方はぜひお試しください。
■事前学習推奨コンテンツ
・宮下英樹「センゴク」3巻、4巻
(宮下英樹「センゴク」第3巻より)
・NHK大河ドラマ「功名が辻」
信長・家康・秀吉の三代に仕えた山内一豊の最初の武功が朝倉氏攻めの金ヶ崎の戦いであり、金ヶ崎が一豊の「功名が辻」であったという由来です。金ヶ崎山に隣接する手筒山から金ヶ崎を見下ろす景色がCG加工されてドラマに使われています。
■ツーリングデータ
- ツーリング日 2017年9月15日(金)
- 走行距離 83.6km(京都東インター出発、京都御所帰着)
- 所要時間 8時間程度
~歴史ツーリングとして~
- 歴史に浸れる度 ★★★★★(信長の撤退路を鉄馬で駆け抜けましょう)
- 他では見れない度 ★★☆☆☆(そんなに目新しいものはありません)
- 総合評価 ★★★☆☆
- アクセス性 ★★★★☆(大きな混雑もないスムーズなルートです)
- 分かりやすさ度 ★★☆☆☆(事前学習していきましょう)
- 景観度 ★★★☆☆(絶景は無いですが気持ちのいいルートです)
- 女性と行ける度 ★★★★☆(ツーリングとしても十分に良コースかと)
- 総合評価 ★★★★☆
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