岩国城 ~鬼吉川氏による泰平の山城

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■概要

関ヶ原の戦いで西軍に味方して敗れた毛利家の分家である吉川家当主・広家が米子より岩国に減封になり、築城した山城です。

関ヶ原の戦いの折、毛利家は西軍総大将のポジションでしたが、西軍として積極的な参戦を主張する安国寺恵瓊の派閥と、東軍からの誘いもあり参戦に消極的な吉川広家の派閥に割れており、結局関ヶ原に参陣した毛利秀元は広家の消極策に押され、最後まで陣を動かしませんでした(催促されても「弁当を食っている!」といって動かなかった(「宰相の空弁当」として有名))。

関ヶ原の戦いの後、吉川家は東軍としては参戦しなかったものの、西軍総大将であった毛利家の参戦を阻止した功を買われ、広家の交渉により、毛利家は改易を免れ、自身も岩国へ減封されたとはいえ、一城の主を保つことができました(毛利家112万石→37万石、吉川家12万石→6万石と、本家よりもきっちり石高を保っています)。

そんな広家が岩国に入封して築城したのがこの岩国城ですが、防衛用のための山頂の山城と、日常使いのために山麓の居館を設けました。既に泰平の世になりつつあるのに、防衛中心の山城を作ったのは全国的にも非常に珍しいといわれています。やはり「鬼吉川」で知られる吉川元春の血筋がそうさせるのでしょうか?しかし、その事が災いしたのか、江戸幕府を開いた徳川家康による一国一城令により、築城からわずか7年で破却される運命となります(山麓の居館は継続)。

現在の岩国城は再建天守ですが、城下町にある観光名所「錦帯橋」から見えるように場所を若干移動して再建されています。

■見どころ

合戦を経験していないお城ですが、城下町を流れる錦川を外堀として、急峻な山に建てられた山城で、難攻不落ぶりをうかがわせます。

天守の周りには急峻な崖に櫓を張り巡らし、側面には空堀を配し、天守には狭間や石落としがしっかりと設置されています。

また落城の際には、脱出ルートとなる井戸まで設置されています。前述のとおり、すでに泰平の世が始まる江戸時代初期に築城した城としては、若干やりすぎ感があります(だから幕府によって破却されたのでしょうが・・・)。

戦国時代の城ではありませんが、「鬼吉川」の山城として戦国ファンも十分に楽しめるかと思います。

ちなみに天守が少し変わった風貌をしていて、当時の普通の城は上階に行くにしたがってフロアが小さくなっていくのですが、岩国城は四階より五階が広くなっています(南蛮造だそうです)。

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他にも、鬼吉川の家風を示したスポットが錦帯橋のそばにあります。

「槍倒しの松」といって、錦帯橋のうえにちょうど枝がかかるように松の木が植えられています。

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なぜこんなところに松を植えていたのかというと、通常、参勤交代で藩内を通過する他藩の武士は、槍を倒して通過するのがマナーとされていましたが、岩国藩はわずか6万石の小藩だったため、他藩も岩国藩を舐めて、槍を立てて通過していったといわれています。

それに腹を立てた、岩国藩の武士は槍を立てて通過できないように橋の上を枝が横切るように松の木を植えたのが、「槍倒しの松」と言われる由来です。

ぜひ岩国城とセットで、「負けず嫌い」と言われた吉川家の家風を感じて頂ければと思います。

■散策記&写真

天守のある山頂までは麓からロープウェイで行けます。
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ロープウェイ降り場から天守までは山伝いに歩いていくルートと、舗装路の楽なルートがありますが、城ファンの方は当時の石垣跡や空堀を堪能できる山伝いルートをおススメします。

山道を進んで行くと、早速ところどころに当時のものと思われる石垣の跡が見えます。
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「岩国」という地名は岩が良く取れたことに由来するとか。
最初の築城のときも、再建の時も岩の調達には困らなかったとか。
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もう少し歩くと二の丸石垣が見えてきます。
ところどころ苔がむしていていい感じです。
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石垣のアップ。
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石垣のうえに櫓が見えてきます。
ここから攻め上るのは大変そうです。
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空堀をぐるっと回って天守に向かいます。
写真では伝わりづらいですが、結構深いです。
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天守に向かう途中に、当時の石垣跡があります。
再建天守は、麓から見えるように位置がずらしてあります。
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ようやく天守(再建)に到着!
三層目がぼっこり載っている変わった構造です。
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狭間や石落としも完備です。
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最上階から見た岩国市街地の景色です。
ロープウェイから見えなかった錦川や錦帯橋もくっきりと見えます。
錦川は岩国城の外堀の役割を果たしています。
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裏側から見た岩国城。
両サイド石落とし完備です。
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城の大手門です。板戸ですが、復元と思われます。
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大手門を下ったところから見上げた図。
右側は本丸石垣です。
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城の裏側に戻って、階段を下りていくと大釣井(井戸)があります。
城内の水の確保のほかに、非常時の武具庫や落城時の脱出ルートになっていたといわれています。
穴に刺さった松がなんとも不思議な感じです。
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大釣井からは舗装路でロープウェイ乗り場に戻れます。
帰りは舗装路で良いかもしれません。

ロープウェイを下りて、麓から岩国城を見上げると豆粒のようです。
でも、麓から見えるようにわざわざ再建時に天守の位置を動かしたというから、ご苦労様です。
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麓にある家老屋敷跡。
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おまけ。中国地方が誇る屈指の観光名所「錦帯橋」です。
写真で見るより実物は普通です。
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錦帯橋と岩国城のコラボです。
遠ざかっているはずなのに、なぜか麓からより岩国城が大きく見えます。
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■公式パンフレット
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■あわせて巡りたい

・いろり山賊(居酒屋?レストラン?)

岩国が誇るグルメスポットですが、完全に常軌を逸しています。
年中祭りのようなお店です。
戦国ファンにはぜひおススメしたいお店ですが、ここでは語りつくせないので別記事をご覧ください。

■城データ

  • 城名        岩国城(横山城)<日本百名城No.74>
  • 種別        山城
  • 登城日       2018年1月6日(土)
  • 住所        山口県岩国市横山3
  • 電話番号      0827-41-1477(錦川鉄道株式会社)
  • スタンプ設置場所  岩国城受付窓口(城内)
  • 公式HP      岩国市公式観光案内HP
  • 入場料       有料
  • 駐車場       無料(ロープウェイは有料)
  • 所要時間の目安   180分程度
  • 混雑度       中
  • 注意点       城は人少ないですが、錦帯橋はそこそこ人います。
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★★☆(完全に防衛主体の山城です)
  • 歴史に浸れる度   ★★★☆☆(戦を経験していないのが残念)
  • 他では見れない度  ★★★☆☆(江戸初期に作られた数少ない山城)
  • 総合評価      ★★★☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★★★☆(山陽道岩国インターからほど近い)
  • 登城のしやすさ度  ★★☆☆☆(ロープウェイはあれどまあまあ大変)
  • 分かりやすさ度   ★★★★☆(解説などは豊富)
  • 景観度       ★★★★★(城下町や錦帯橋を一望できます)
  • 女性と行ける度   ★★★★★(ライトアップも良いかも)
  • 総合評価      ★★★★☆
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