岡崎城 ~泰平の世を築いた家康出生の城

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■概要

天下統一の偉業を成し遂げたあの徳川家康が生まれた城として有名です。
元々は三河国守護代の西郷頼嗣が築城した城ですが、家康の祖父にあたる松平清康が奪い取り、以降は松平家(徳川家)の三河支配の本拠となります。

余談ですが、この家康のおじいちゃんの松平清康はとんでもない武将で、わずか12歳で家督を継ぎ、即座に岡崎領主であった西郷氏を武力で屈服させて岡崎城を奪い取って本拠とし、その後、鈴木氏、戸田氏、熊谷氏といった三河(現在の愛知県東部)の地方領主を攻め滅ぼし、わずか18歳で三河国を統一しました。

その後尾張国(現在の愛知県西部)をも統一するべく西に向かって快進撃を続け、守山城に攻めかかった際に、ちょっとした行き違いで配下の武将に斬られてしまい、24歳という若さで最期を迎えます(守山崩れ)。

この清康という武将は大変なカリスマ性のある武将であったといわれ、三河武士の気骨や忠誠心は清康の時代に培われたといわれています。歴史にIFはありませんが、清康が生きていたら、その後の戦国の歴史も変わっていたかもしれません。それほどの武将だったと言われています。

その後は、残念ながらボンクラで有名な清康の息子・広忠がわずか10歳で跡を継ぎ岡崎の主となりますが、当然のように衰退を続け、松平家は今川氏の傘下に入ります。

そして、広忠の嫡男となる竹千代(家康の幼名)はここ岡崎城で産声を上げます。

ボ〇クラで弱弱しい広忠を主とする松平家家臣にとって竹千代は待望のお世継ぎでしたが、すぐに人質として今川家に送られ、竹千代は今川家の本拠である駿府で幼少期を過ごすこととなります。

その後、広忠も24歳の若さで早世したことにより家康は岡崎城に返され、桶狭間の戦いをきっかけに主家であった今川氏が没落してから、岡崎城を本拠として三河を再度統一し、松平家は大名として再度独立を果たします。

三河統一後は、家康はお隣の吉田城に本拠を移しますが、岡崎城はその後も徳川家および三河武士にとって精神的な支柱としてあり続けました。

江戸時代以降は、岡崎城は「神君出生の地」として神聖な地として扱われ、本多氏・水野氏・松平氏など、家格の高い譜代大名が城主となりました。5万石と石高は少ないものの、岡崎の城主に任命されるということは、幕臣としては大変な誇りであったと言われています。

■見どころ

戦国時代を統一した不世出の英雄である家康出生の地として思いを馳せて頂きたい。

天守は残念ながらコンクリート再建であるが、家康館(資料館)で松平家の歴史を学んだり、産湯の井戸などもみることができ、家康出生から天下統一に至る過程までを堪能することができます。

「神君出生の地」でありながら全体的にこじんまりとして無骨な印象を受けるのは、「質素・倹約」を旨とした家康のポリシーを反映しているのか!?と思いました。

<公式パンフレット>
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■散策記&写真

駐車場に車を停めて東隅櫓から入ります。
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桝形虎口になっています。
後ろのタワーマンションとのコラボがなかなか壮観。。
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お約束の家康像のお出迎えです。
駿府城にあった家康像も同じようなものだった気が。。
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家康さんと岡崎像の2ショット。
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二の丸御殿の井戸跡です。
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家康さんと管理人の背比べです。
家康の身長は159cmということなので、だいたい管理人の妻(女子の中でもそんなに高い方でない)と同じぐらいです。
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こちらは「家康に過ぎたるもの」と言われた徳川家最強の猛将の本多忠勝の像です。
兜のバランスが悪くて首がおかしくならないのでしょうか??心配になります。
ちなみに忠勝の由来は、戦に「ただ勝つ→忠勝」だそうです。シンプルです。
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いよいよ本丸方面へ。
空堀と石垣が気分を盛り上げてくれます。
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東照公(=家康)産湯の井戸です。
竹千代が生まれた場所に思いを馳せましょう。
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本丸へ続く橋。
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本丸への入り口。なかなか急坂です。
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家康の遺言と見上げる天守。
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家康の遺言は以下の通り。

『わが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、

将軍斯くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、
艱難(かんなん)することあらんには、たれにても
其の任に変らるべし、天下は一人の天下に非ず
天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務を
とりたりとも四條安穏にして万人その仁恵を蒙らば
もとより、家康が本意にしていささかもうらみに
思うことなし』

世襲が当たり前だった戦国時代では画期的な考え方だったのかと。
これが秀吉・信長とは違い、天下統一が長持ちした秘訣だったのでしょう。

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有名な家康の遺訓も隣にあります。

社会人であれば心に留めておきたい名言ではないでしょうか。

『人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし。

いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵とおもえ、勝つ事ばかり知りて、
負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな、
及ばざるは過ぎたるよりまされり』

岡崎城の解説板です。
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岡崎城内に家康が建立した東照宮に本多忠勝を合祀した龍城神社と岡崎城。
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アラモの碑です。
岡崎出身で有名な地理学者が、アメリカのテキサス独立戦争と長篠の戦いの類似点に感銘を受けて建立した碑だそうです。
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本丸裏の空堀と岡崎城天守。
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本丸裏の空堀。
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またまた空堀と天守。
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最後に空堀と橋と天守です。
こちらの橋は現在使えません。
本丸裏は人も少なく、苔むしていてなかなか雰囲気があります。
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■事前学習コンテンツ

・徳川家康 全26巻(山岡荘八)

徳川家康 文庫 全26巻 完結セット (山岡荘八歴史文庫)
山岡 荘八
講談社
家康出生から死までを26巻で書かれた大作です。
岡崎城がいかに松平家(徳川家)にとって精神的に重要な城であったかが、この書を読めば良く分かるかと思います。戦国時代全体が描かれているので、戦国時代の全体概要をざっくり小説で学びたい方にもおススメです。
ただ、長く続いた戦国時代を終結させ泰平の世を築いた家康を「平和の象徴」として、かなり聖人化・美化して書かれた書です。
実際の家康はもっと老獪で腹黒い「たぬきおやじ」だったに違いありません。

・大河ドラマ「徳川家康」



上記の山岡小説を大河化した作品です。
全50話なので、1冊を2話のペースで描いています。
やはり小説のほうが没頭できるしょうが、映像の方が入りが良い方にはこちらもおススメです。

■城データ
  • 城名        岡崎城(龍城)<日本百名城No.45>
  • 種別        平城
  • 登城日       2018年5月4日(金)
  • 住所        愛知県岡崎市康生町561-1(岡崎公園)
  • 電話番号      0564-22-2122(岡崎城)
  • スタンプ設置場所  天守1階(城内)
  • 公式HP      岡崎市観光サイト
  • 入場料       有料
  • 駐車場       有料
  • 所要時間の目安   120分程度
  • 混雑度       中
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★☆☆☆(あまり感じられませんでした)
  • 歴史に浸れる度   ★★★★★(家康出生の地です)
  • 他では見れない度  ★★★☆☆(城自体はまあ普通)
  • 総合評価      ★★★☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★★☆☆(岡崎インターから少し遠い)
  • 登城のしやすさ度  ★★★★★(こじんまりした平城)
  • 分かりやすさ度   ★★★★☆(解説は十分にあります)
  • 景観度       ★★★☆☆(まあ普通です)
  • 女性と行ける度   ★★★☆☆(特に問題はないでしょう)
  • 総合評価      ★★★★☆
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