■概要
京極高次が、関ヶ原の戦いで東軍として活躍した功を認められて築城した城です。
「小浜」といえば、オバマ氏がアメリカ大統領になるときになぜかフィーバーした節操の無い町です。
京極家は元々近江国の守護という名門でしたが、家臣である浅井家の下克上を受けて、逆に浅井家の庇護を受けることとなり、高次は浅井家の本城である小谷城の京極丸で誕生しました。
高次は、幼少期は人質として織田家に送られていたことから、そのまま織田信長の下で仕えますが、本能寺の変の後は明智光秀に与し、若狭武田家の武田元明とともに秀吉の長浜城を攻めます。光秀が山崎の戦いで秀吉に敗れた後は窮地に陥りますが、高次の妹が秀吉の側室として嫁いだことから許され、近江国支配に京極家のネームバリューを活用したい秀吉の思惑もあって、従三位まで出世することとなります。
<信長の野望・大志に見る可もなく不可もない京極高次のステータス>
秀吉の死後は家康方の東軍に与し、大坂から関ヶ原に向かう毛利元康・立花宗茂の大軍を大津城で食い止めた功により若狭国を与えられます。
高次ははじめ後瀬山城を本拠としますが、戦の世が終わり、山城は政治拠点としてふさわしくないことから、小浜湾に面した雲浜に小浜城の築城を始めます。しかし、高次は築城途中に松江藩に転封となり、代わって徳川家譜代の酒井忠勝が入城します。忠勝は、高次の後を引き継いで城の整備を進め、三層三重の天守閣を完成させます。その後、幕末まで酒井家が城主を務めますが、明治維新後は大坂鎮台の分営が築かれる間に出火し、そのまま廃城となります。
■写真&散策記
小浜をバイクでツーリング中に、浜辺に城のような一帯を発見し、予定外でしたが行ってみることに。
本丸跡は神社になっています。
マップです。本丸がそのまま小浜神社になっていて、石垣などの遺構を見ることができます。
まずは小浜湾側の石垣に登ってみます。左側の櫓部分は天守台です。
天守台に人がいますが、何とバーベキューをやっているようです・・・
天守台に到着!
BBQの人たちは終盤だったようで、管理人が天守台に登るとそそくさと片付けて去っていきました。
本丸の石垣スレスレまで民家が建っています。
本当に民家と紙一重です。
最後に蜘蛛手櫓(くもてやぐら)です。
櫓の横にお地蔵様がありますが、これは小浜城築城の際に人柱として捧げられた娘を供養するための地蔵尊です。小浜城完成後、蜘蛛手櫓のあたりから夜な夜な女の泣き声が聞こえることから、当時の城代・三浦帯刀によって供養のため建立されました。
以上で散策終了です!
- 城名 小浜城(雲浜城)
- 種別 平城、海城
- 登城日 2019年4月6日(土)
- 住所 福井県小浜市城内1丁目7−55
- 電話番号 0770-52-1920(小浜神社)
- 公式HP 福井県小浜市公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 30分程度
- 混雑度 極小
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★☆☆☆(政治に重きが置かれた城)
- 歴史に浸れる度 ★★☆☆☆(京極高次の歴史に思いを馳せましょう)
- 他では見れない度 ★★☆☆☆(小ぢんまりとした平城です)
- 総合評価 ★★☆☆☆
- アクセス性 ★★☆☆☆(周囲の道や駐車場も狭し)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(小さな平城です)
- 分かりやすさ度 ★★☆☆☆(遺構の解説はもう少し欲しいところです)
- 景観度 ★★★☆☆(小浜湾が綺麗に見えます)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(厳しいでしょう)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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