■概要
江戸時代に島原藩の政庁として建てられた城です。島原藩の初代藩主は、キリシタン大名として有名な有馬氏だったが、有馬氏は延岡に転封となったことで、松倉重政が大阪夏の陣の功により4万石で入封しました。
重政は、一国一城令に従って、それまで島原藩の本城であった日野江城と支城の原城を廃して、島原城を築城します。しかし、島原城の地は雲仙の火山灰により築城困難な地盤であり、また、4万石の松倉家に分不相応な10万石大名クラスの大規模な城を建設したことから、領内に過酷な負担を強いることとなりました。
そうした不満が鬱積し、2代目松倉勝家のときについにかの有名な島原の乱が勃発します(1637年(寛永14年))。籠城する討伐軍に対して、一揆は島原城下にも押し寄せますが、何とか守り抜きます。その後も、1792年(寛政4年)には大地震と大津波が立て続けに発生するなど災難に見舞われますが、それも耐え抜きました。
明治維新により廃城となり、払い下げ、解体されますが、戦後に天守閣が復元され、現在に至ります。
■見どころ
町の規模に似つかわしくない(失礼)、大規模な水堀に囲まれた五重五階の巨大な天守閣や圧倒されます。
島原の町は、一度来ていただくと分かりますがはかなり寂しい町です。そもそも長崎県自体が交通の便があまりよくなく、外界と隔絶されている感じが強いですが、島原は長崎県の中でも更に隔絶された感があります(勿論それが良いところでもありますが)。
そうした地方の小さな町にこれだけ巨大な城があるというところが、特筆すべきかと思います。
また、天守閣を囲っている巨大な水堀は、大部分が公園となっていて下りることができます。こうした平城で堀の中から城を見上げるというのも中々できない体験ではないでしょうか。
最後に、天守から西側を望むと1991年に全国ニュースで噴火が報じられた雲仙普賢岳が迫っています。
西側を火山、東側を海に面したところにそびえたつ力強い五重の天守閣が島原城だと言えるでしょう。
■写真&散策記
やってきました島原城。
駐車場は有料ですが、なんと本丸内まで車で進入できるようになっています。
坂を車で登っていきます。
博物館となっている城内を一通り観覧した跡は、天守の裏側に回ってみます。
資料館になっている櫓がちらほら建っています。
当時は50近くの櫓が城内に建っていたとのこと。
本丸正門となっていた石垣。確かに4万石規模の大名とは思えない重厚さ。
本丸正門石垣の「鏡石」。こうした巨石を城門に用いるのが当時の大名のステータスになっていました。
二ノ丸まで渡ったところから本丸を望みます。
ここに廊下橋がかかっていましたが、二ノ丸まで攻め寄せた敵が、逆に本丸に攻め寄せる際に矢玉から守ってもらえるという欠陥建築だったと言われています。
水堀は公園になっていて下りることができます。
この城のオススメポイントの一つです。
お堀の中から石垣を眺めるというのもなかなかできない体験です。
天守の南東隅から。このあたりの堀には水が入っています。
本丸の真ん前にあるご当地グルメ「具雑煮」が食べられる姫松屋でランチ。
具雑煮とは餅や野菜を鍋にぎゅうぎゅうに詰めて煮込んだ鍋料理で、島原の乱における原城籠城の際に、一揆のリーダーであった天草四郎が、農民達にもちを兵糧として貯えさせ山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら約3ヶ月も戦ったことが発祥とされています。
なかなかボリューミーかつ美味でした。
食後は腹ごなしにお城の北西方面にある武家屋敷町並み保存地区へ。
ここはアスファルト舗装がされておらず、街路の中央に用水路が通り、当時の雰囲気が残っています。
ところどころに屋敷の門があります。
こんな狭いところを時折車も通っていました。
なんと!今も住んでいる方がおられるようです。
武家の末裔の方にあたるのでしょうか?
本物っぽい槍も飾られています。
夫婦喧嘩したときが怖いですね。
というわけで散策終了!
次は更に南下して、島原の乱のクライマックス・原城に向かいます。
- 城名 島原城(森岳城)<日本百名城No.91>
- 種別 平城
- 登城日 2019年12月21日(土)
- 住所 長崎県島原市城内1丁目1183-1
- 電話番号 (0957)62-4766(天守閣事務所)
- スタンプ設置場所 天守閣入口
- 公式HP 島原城公式HP
- 入場料 有料・大人550円
- 駐車場 有料・1回330円
- 所要時間の目安 80分程度
- 混雑度 小
- 注意点 特に無し
~城として~
コメント