■概要
元亀2年(1571年)の織田信長による比叡山の焼き討ちの後に、信長より近江国を任された光秀が築いた城です。当時の一大寺社勢力であった比叡山延暦寺を監視するために比叡山の麓に築かれ、琵琶湖の水運とも接続された水城でした。光秀は近江国の平定をめざし、ここから水軍を出して浅井長政を攻めたと言われています。
しかし、天正10年(1582年)、信長より中国攻めを指示された光秀は、中国には向かわずに京の本能寺に宿泊していた信長及び、二条城に宿泊していた嫡男・信忠親子を急襲し、自害に追い込みます。(本能寺の変)
しかし、備中高松城にて毛利軍と対峙してい織田家の中国方面軍団長・羽柴秀吉は、信長親子の死を知って急遽毛利軍と和睦、電光石火の速さで大坂に戻り(中国大返し)、大山崎で明智軍を破ります(山崎の戦い)。光秀は、坂本城に引き返すところを落ち武者狩りにあって落命し、光秀の家臣・明智秀満が安土城より坂本城に移って守りを固めるも、秀吉方の堀秀政に攻められて、自害・落城しました。
明智家滅亡後、秀吉方の丹羽長秀が入城し、賤ケ岳の戦いの際の軍事拠点となります。その後、浅野長政が城主となりますが、長政が秀吉の命により大津城を築城し、居城を移転したことにより坂本城は廃城となり、廃材は大津城築城に使われることとなりました。
■見どころ
坂本城は当時の絵図などが残っておらず、遺構もほとんど残っていない「幻の城」です。
しかしながら、当時日本にいた宣教師ルイス・フロイスの記録によると、「安土城に次ぐ豪華な城」だったと記されています。
来年よりいよいよ光秀が主役となる大河ドラマ「麒麟がくる」が始まりますが、琵琶湖岸の幻の城で歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
■写真&散策記
まずは案内板。
本丸の真ん中を国道161号線が貫通しております。
本丸の東側は琵琶湖に接続されていて、比叡山側(西側)を二ノ丸・三ノ丸がガードする造りになっています。
そして、実は城址公園は坂本城外に設置されていて、実際の本丸の場所は城址公園の北にあるキーエンス社の保養所にあたるとのこと・・・残念すぎる。
まずは城址碑公園で光秀像がお出迎えです。
ずんぐりむっくりでハニワみたいな光秀です。
光秀を想って地元の作詞家が歌にした「光秀(おとこ)の意地」の歌詞が書かれた碑があります。
「光秀」と書いて「おとこ」と読めるんですね。
手前のボタンを押すと、鳥羽一郎による歌を聴くことができます。シブいです。
公園内には、船着き場の石垣跡があります。
光秀はこのあたりから浅井攻めの水軍を繰り出したのでしょうか。
城址公園を出て少し比叡山の方に歩いてみます。
二ノ丸と三ノ丸の間の中堀のあたりにも城址碑があります。
国道161号線の方に戻って「明智塚」です。
ここは坂本城落城の際に、光秀の脇差や宝器類が埋められた場所と伝えられているとのことです。
最後に、本丸のあった場所とされているキーエンス保養所へ行きます。
キーエンスは社員を分刻みで管理することで、莫大な業績を出している京都の会社です。
当然中には入れませんが、本丸跡を示す碑があります。
しかし、どう撮影しても何が書いているのかさっぱり読めません。
保養所奥の湖底には本丸の石垣が眠っていて、夏の渇水時には稀に湖面に顔を出すそうです。
滋賀県民でも見ることは困難だそうです。
湖上にわずかに顔を出す本丸石垣。
(出典:「お城めぐりFAN」さんのサイトより)
遺構がほとんど見れないのが残念でしたが、明智の歴史に思いを馳せることができました。
これにて散策終了!
- 城名 坂本城
- 種別 平城、水城
- 登城日 2019年4月6日(土)
- 住所 滋賀県大津市下阪本3丁目1(城址公園)
- 電話番号 077-578-6565(坂本観光案内所)
- 公式HP 滋賀・びわ湖観光情報
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 50分程度
- 混雑度 中(城址公園は釣り人など城に関係ない客多し)
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★☆☆☆(不明ですが、光秀の城なので難攻不落か!?)
- 歴史に浸れる度 ★★☆☆☆(想像力が重要です)
- 他では見れない度 ★☆☆☆☆(ここでも何も見れません)
- 総合評価 ★★☆☆☆
- アクセス性 ★★★☆☆(関西からも来やすい位置です)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(国道161号線の横断が少し危ないですが)
- 分かりやすさ度 ★★★☆☆(もう少し盛り上げてほしい)
- 景観度 ★★☆☆☆(琵琶湖の景色は良いですが)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(厳しいですな・・・)
- 総合評価 ★★☆☆☆
コメント