概要
根室半島チャシ跡群と並んで日本百名城の中でも異色の「城」です。
邪馬台国や卑弥呼で有名な弥生時代に佐賀県吉野ヶ里町の丘陵地帯に造られた広大な環濠集落で、堀や櫓、逆茂木などの防衛施設があり、戦国時代の城のルーツとなっています。
広さは約117ヘクタールと、秀吉の築いた大阪城(106ヘクタール)よりさらに広くなっています。
縄文時代に、このあたりは当時海が近かったことから海産物が豊富にとれることから人が住むようになり、弥生時代になると稲作が始まり大規模な集落が形成されていきます。弥生時代には、日本史上初の戦乱といわれる「倭国大乱」も始まり、集落を防衛するための堀、柵、土塁、物見櫓といった防衛施設が整備されていきます。
その後、倭国大乱は邪馬台国が勝利して戦乱の世が終わり、古墳時代がはじまる頃には、防衛の必要がなくなったことから、人々は丘陵地帯から、より稲作に適した平地に移住を始め、吉野ケ里の集落は急速に衰退していき、「城」としての役目は終えることになります。
見どころ
古代にタイムスリップした気持ちを味いつつ、「城」のルーツとなった防衛施設をたっぷりと堪能できます。
写真&散策記
豊後国・大分からはるばる佐賀までやってきました!
佐賀といえば、九州ヒエラルキーの中でも大分と下位を争う県ですが、観光資源も少なく福岡に近いことを除けば特段特長のない県です。
(参考)九州ヒエラルキー
ただ、吉野ケ里遺跡は、その佐賀県の中でも屈指の観光スポットで、整備にもかなり力が入っています。まずは駐車場に車を停めて園の入り口に向かいます。
古代遺跡に似つかわしくない大げさなアーチ状の入り口が見えてきます。
園の入り口で園内マップをもらいます。吉野ケ里歴史公園として整備されていますが、あまりに広大(阪神甲子園球場30個分)のため、園内はバスも運行されています。ただ歴史に関係のあるゾーンは1/3ぐらいで、それ以外は遊具やバーベキュー場などが多くを占めています。
先に歴史公園センターで腹ごしらえをします。
弥生時代の料理を再現した「古代貝汁御膳」を頂きます。
おにぎりの下でけしずみのようになっているやつは「ムツゴロウの素揚げ」です。
ガソリンも満タンになったので、入り口に向かいます。今日はあいにくの雨です。
大分を出るときは天気良かったのですが。
古代っぽいノボリが気分を盛り上げてくれます。
いよいよ環濠集落の内部へ!柵があって山城の入り口みたいですね。
柵の内部には敵の侵入を阻むバリケードの役割を果たす「逆茂木(乱杭)」が設けられています。
環濠の中に入り進んでいきます。
広場の向こうに南のムラが見えてきます。
広場にはテントが張られていて弥生時代の暮らし体験的なイベントをやっていました。
火おこし体験とか興味ありましたが、ちびっ子ばっかりだったのでやめときました。
展示館も見ていきます。
あまり中身覚えてませんが、弥生時代の歴史と土器とか出土品とかがいっぱい展示されてました。(多分)
続いて南のムラへ向かいます。
南のムラです。
ここでは昔の住居(竪穴式住居)とか倉庫(高床式倉庫)が再現されていて、弥生時代にタイムスリップした気分を味わえます。
こちらは竪穴式住居です。中に入ることができます。
こちらが内部です。
現代の便利な暮らしに比べると比べるべくもありません。
何して過ごしていたんでしょうか??
採光口はここだけですが、意外と中は明るいです。
当日は雨でしたが、雨が入ってくることもありませんでした。
なんと中で食事もできるとのことです。
こういうところは普通は飲食禁止なので珍しいですね。
歴史公園センターの食事もテイクアウトしてここで食べられるようにしたら良いと思いますが・・・
土器や石製のナイフなどのレプリカもあります。
他の竪穴住居では食事ができないところもありますので、ご注意あそばせ。
高床式倉庫の中には入れませんでしたが、保管されている穀物を狙うをネズミの侵入を防ぐ「ネズミ返し」が再現されていました。
南のムラを出て水田に向かいます。
こちらも見張りのためと思われる櫓があり、戦国時代の山城と似たものを感じます。
最初百名城に吉野ケ里遺跡が含まれていることを知ったときは「なぜ?」と思いましたが、こうやってみると立派な城です。
南のムラを出て水田に向かいます。
池がきれいです。ここは普通の公園な感じです。
水田に着きました!弥生時代の水田といっても今と見た目は変わらないですね。(若干荒れてますが・・・)
本当に田植えをしているのかどうか気になります。
「倉と市」を目指して、再び環濠の中に戻ります。
倉と市に到着しました!弥生時代の商店街になります。
いくつかの倉は内部を見ることができます。
こちらは穀物倉庫です。
こちらは周りの倉とは少し違った外観をしていますが、市の見張りを行う市楼(しろう)になります。
市楼(しろう)は内部を見学することができます。
二階には見張りの兵士を配置するための櫓があり、市の開催を知らせる太鼓が置かれています。
(実際に叩けます)
倉と市を出て南内郭(みなみないかく)に向かいます。
南内郭は王たちの居住空間になっており、20棟の建物が復元されています。
この入り口もさながら戦国時代の山城のようで雰囲気出ています。
堀を掘って出た土を埋め立てて土塁を作っている「環濠と土塁」群です。
戦国時代の山城の原点です。
南内郭の物見櫓です。
おそらく吉野ケ里遺跡で一番高いところになります。登れます。
南内郭物見櫓からの景色。晴れていればもっと良い景色なんでしょうね。
南内郭に並んでいる家にも入ることができます。
外交を取り仕切っている偉い人の「大人(たいじん)の家」を見学します。
家に入ると薄暗い中に人形があってぎょっとします。ちょっと怖いです。
次は吉野ケ里集落で最も重要で神聖な場所といわれる北内郭へ。
ちょっと今までの農村っぽい雰囲気から趣が変わって無骨な雰囲気の郭です。
北内郭でも最も重要な施設となる主祭殿です。
吉野ケ里集落のまつりごとを司る施設で、指導者たちが話し合ったり、祖先に祈りを捧げたりしていた場所です。
主祭殿も上ることができます。
当時の儀式(打合せ?)の様子が再現されています。こちらも結構怖いです。
最上階は当時最も神聖とされていた巫女が先祖の霊と交信してお告げを授かる「神がかり」が再現されています。いい加減不気味なので帰りたくなってきました・・・
北内郭を出て最後のスポットである歴代王が埋葬された北墳丘墓へ向かいます。
道の途中300メートルにわたって甕(かめかんふんぼ)と呼ばれる墓が続きます。
当時はさすがに埋まってたんですよね??路上に墓がこんなに露出してたらだいぶ怖いですが・・・
吉野ケ里遺跡巡り最後のスポット「北墳丘墓」に到着~。
北墳丘墓には、先ほどの甕棺墳墓と異なり、約2100年前の歴代の王やそれに近い身分の人たちが埋葬されています。現在14基の甕棺が出土し、うち1基には青銅の剣やガラスの玉が副葬されていてかなり高貴な人が埋まっていたというのがうかがえます。
甕棺の出土品(レプリカ?)です。
甕棺への埋葬の再現です。なんかこの遺跡の再現系は不気味でちょっと苦手です。。。
散策終了して帰路へ。
向こうに発掘調査現場が見えます。まだまだ発掘が続いているんですねー。
以上で散策終了です!佐賀県屈指の観光スポットを堪能しました。
今までの城巡りの中でも最も異色でとても興味深いスポットでした~。
公式パンフレット
城データ
- 城名 吉野ケ里 <日本百名城No.88>
- 種別 環濠集落(平城)
- 登城日 2022年9月23日(金)
- 住所 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
- 電話番号 0952-55-9333
- スタンプ設置場所 吉野ケ里歴史公園 東口・西口
- 公式HP 吉野ケ里歴史公園
- 入場料 460円(大人)
- 駐車場 有料・310円
- 所要時間の目安 3時間程度
- 混雑度 少
- 注意点 とても広いので時間に余裕をもってめぐりましょう
※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。
管理人の勝手な評価
~城として~
- 難攻不落度 ★★★★☆(意外と堅牢な造り)
- 歴史に浸れる度 ★★★★★(弥生人になった気分を味わえます)
- 他では見れない度 ★★★★★(チャシと並ぶ唯一無二の城)
- 総合評価 ★★★★★
~行楽地として~
- アクセス性 ★★★★☆(佐賀ではありますが十分便利な場所)
- 登城のしやすさ度 ★★★★☆(広いですが平らでめぐりやすい)
- 分かりやすさ度 ★★★★★(解説板多数)
- 景観度 ★★★☆☆(まぁ・・・それなりです)
- 女性と行ける度 ★★★★☆(ファミリー層多数)
- 総合評価 ★★★★☆
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