原城 ~日本最大級の一揆が籠城した悲劇の城

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■概要

日本史上最大規模の一揆として有名な「島原の乱」の舞台となった城です。
島原の乱というと、キリスト教の悲劇の殉教とイメージされる方が多いと思いますが、実態は領主の圧政に耐えかねた旧武士を中心とした領民による高度に組織化された一揆であり、原城が海を背にした堅城であったことや、幕府軍は大軍といえど寄せ集めであったことも相まって討伐には時間を要しました。

原城は島原地方を治めていた有馬氏が日野江城の支城として1496年(明応5年)に築城しましたが、有馬氏が1616年(元和2年)に延岡城に転封となったことにより、代わって松倉重政が入封します。その後、一国一城令により日野江城が廃城となると、原城も廃城となります。

この地はキリシタン大名として知られる有馬氏が治めていたことから領民にもキリスト教徒が多かったのですが、松倉氏は、幕府の江戸城築城への協力や島原城の築城により領民に苛烈な年貢の取り立てを行い、その中で多くのキリスト教徒が拷問・処刑されました。

島原・天草の領民は、松倉氏の圧政に耐えかねて次第に不満を募らせ、秘密裡に一揆を組織していきます。島原の領民には、旧有馬家家臣から帰農した者や、九州の大大名だったが改易された小西家・加藤家・佐々家の旧家臣が多く含まれており、武装組織を作るにはとても適していました。

彼らは、地元のキリシタンの中でカリスマ的存在となっていた当時16歳の天草四郎時貞をリーダーに担ぎ上げて蜂起し、1637年(寛永14年)の天草村の代官所襲撃を皮切りに島原の乱が勃発します。

<天草四郎時貞の肖像画>
女性と見まごうほど容姿端麗で、5歳で書を書いたとか、海の上を歩いて渡ったとか、病人の頭に手を置いて治したなど数々の逸話が残っています。豊臣秀頼の隠し子であったという説も。
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一揆は島原城・本渡城・富岡城など幕府側の城を次々に攻撃し、島原・天草地方一帯に戦線を拡大し、一時は長崎に攻め込む勢いまで見せますが、迫る幕府の大軍を前に自軍の不利を悟り、廃城となっていた原城への籠城を決定します。

一揆討伐軍の上使として幕府から派遣された板倉重昌は禄高わずか1.5万石であったことから、討伐軍を構成していた九州の並みいる数十万石の大大名たち(立花・鍋島・細川ら)の士気は振るわず、討伐軍は原城への総攻撃を複数試みるも籠城軍にあっけなく退けられます。幕府は大軍をもってしても一揆を鎮圧できない重昌に業を煮やし、代わりに、幕府ナンバー2である老中・松平信綱を上使として派遣します。
自信の更迭を知った重昌は信綱到着までに一揆を鎮圧すべく突撃を試みますが、籠城軍の鉄砲によりあえなく討ち死にします。

<一揆討伐のリーダーに任命された板倉重昌>
功を焦って原城に突撃するもあえなく討ち死に・・・
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重昌に代わって着任した信綱は、忍者を使った諜報活動により原城内に残りの兵糧が少ないことを知り、陸海から原城を包囲し、兵糧攻めに切り替えることを決定します。兵糧攻めから2か月が経過し、信綱は小競合いにより死んだ籠城兵を解剖し、胃の中に海藻しか残っていないことを知ります。信綱はもはや城内には兵糧が尽きたことを確信し、討伐軍に総攻撃を指示します。そして、1638年(寛永15年)2月27日、天草四郎は討ち取られ、原城は落城します。

<信綱による原城攻めの布陣>
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幕府は一揆に加わった者を容赦なく処刑し、天草四郎の首は長崎でさらされました。わずかに生き残ったキリスト教徒は「隠れキリシタン」としてこの地方に潜伏し、独自の文化を形成していくことになります。また、幕府は一国一城令により廃城となった城が反乱の拠点として今後使わられることがないよう、全国の廃城の徹底的な破却が進むことになります。そして、キリスト教の影響力を恐れた幕府は、翌年に「鎖国」を決定することになるなど、この一揆が与えた社会的影響は非常に大きなものでした。

■写真&散策記

島原城から南下して県道沿いに駐車場がありますが、どうやら大手口付近まで車で行けるようです。
なんと本丸までのシャトルバスもあるとのこと。

<県道沿いの駐車場から眺める原城>
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大手口の原城温泉真砂まで移動します。シャトルバスも出ていますが、歩いても本丸まで20分程度とのことなので、散策がてら歩くことにします。続日本百名城のスタンプは、車で少し離れた有馬キリシタン遺産記念館に行く必要があります。

原城温泉真砂から歩いて登城スタート!
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本丸まで歩いて1km程度とのことです。
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大手口を通過します。
原城の大手門は海側に作られており、本城である日野江城の側を向いていたことから日上口とも呼ばれました。
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右側に三ノ丸跡が見えます。
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三ノ丸跡。
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シャトルバスが登っていきます。
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本当に何もない原っぱです。
幕府により徹底的に破却されたことが垣間見えます。
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こちらが二ノ丸跡。頂上に近づいてきました。
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攻め寄せる討伐軍の方を向くとこんな感じです。
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二ノ丸は畑になってしまっています。
激戦の跡も今はとてものどかです。
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いよいよ本丸に到着。
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本丸正門跡です。
原城の正門跡は近畿地方の城郭を参考にして作られた当時最先端のもので、櫓門は外観を重視して作られていたため、有明海を航行する船からもその威容が見えたと言われています。
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本丸虎口です。
本丸の面積の約半分を占めており、当時最大と言われていた肥前名護屋城をしのぐ国内最大級の虎口でした。
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本丸に至るまでの道を五回も折り曲げるという徹底した非常に堅固な虎口でした。
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本丸に入って二番目の門にあたる「埋門」跡です。
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海側に石垣の石が並べられています。幕府によって埋められていた石垣を発掘したものと思われます。
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本丸の石垣群。
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虎口を抜けてようやく本丸の門に到着です。

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天守三階櫓の建っていた場所です。
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櫓台跡です。
幕府に要請されたオランダ船が原城に艦砲射撃を行ったと言われています。
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本丸は半分を虎口に占められているためそれほど広くはありません。
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本丸に天草四郎の像があります。
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アーメン。
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一揆の象徴だったキリスト教の十字架も。
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天草四郎の墓碑。
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原城本丸の三か所の門のうちの一つ「池尻門」跡です。
こちらも幕府により徹底的に破却され、わずかな遺構が残るのみです。
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池尻門を下りたところから。
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本丸正門に戻ります。
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正門の石垣群が見えてきます。
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幕府によって破壊された石垣です。一揆の怨念を断ち切るため、石を何度も突き崩したうえで埋めるという徹底した破却ぶりでした。
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正門石垣に戻ってきました。
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再度本丸方面をパシャリ。
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名残惜しいですが、本丸を後にします。
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最後に、本丸と二ノ丸を分断していた空堀跡です。
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地方の城とは思えない巨大な堀です。
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以上で散策終了!

「キリシタンによる一揆の籠城」という全国でも類を見ない特殊な歴史をもつお城です。

続百名城とは思えない濃厚なお城でした。

今では広大な原っぱにしか見えないあたりが、幕府による徹底的な破却ぶりを伺わせ、壮絶な戦いが行われたことが感じられます。

■公式パンフレット

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■城データ
  • 城名        原城(日暮城)<続・日本百名城No.188>
  • 種別        平山城
  • 登城日       2019年12月21日(土)
  • 住所        長崎県南島原市南有馬町丁133(原城温泉真砂)
  • 電話番号      0957-85-3155(原城温泉真砂)
  • スタンプ設置場所  南島原市有馬キリシタン遺産記念館
              (住所:長崎県南島原市南有馬町1395 電話:0957-85-3217)
  • 公式HP      ながさき旅ネット
  • 入場料       無料
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   60分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★★☆(海を背にした天然の堅城、巨大な虎口)
  • 歴史に浸れる度   ★★★★☆(キリシタン一揆の重い歴史)
  • 他では見れない度  ★★★★☆(キリシタン一揆が籠城した城)
  • 総合評価      ★★★★☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★☆☆☆(長崎県の中でもかなりの遠方)
  • 登城のしやすさ度  ★★★★☆(整備されていて散策しやすい)
  • 分かりやすさ度   ★★★★☆(解説なども適切)
  • 景観度       ★★★☆☆(のどかな風景)
  • 女性と行ける度   ★★☆☆☆(隠れキリシタンの世界遺産巡りで)
  • 総合評価      ★★☆☆☆

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