松代城(海津城) ~信玄が謙信と対峙した最前線の城

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■概要

信濃国を統一に向けて北進を続けた武田信玄が、北信濃の豪族を庇護する終生のライバル・上杉謙信との決戦に備えて越後との国境に設けた城であり、当時は「海津城」と名付けられた。信濃・越後の国境は常に不穏であったことから、信玄は山本勘助に命じて80日で築城したといわれる。信玄・謙信が一騎打ちを行った伝説で有名な「第四次川中島の戦い」において、高坂弾正昌信が海津城城代を努め、謙信の侵攻を見て躑躅ヶ崎に狼煙を送り、自身は城に立て籠って信玄本隊の到着を待った。

武田氏滅亡後は、織田家・上杉家と城主が移り、江戸時代には上田城主・真田信之が移封されて以後250年間松代藩の藩主として真田家がこの地を治めることになる。

■見どころ

この辺りは善光寺平(長野盆地)とよばれ周囲を山に囲まれた盆地であり、海津城は完全な平城である。千曲川を背負っていること以外防衛設備としては特筆すべきものは見られないが、ぜひ武田家の最前線基地としての海津城の歴史に思いを馳せて頂きたい。

城内(本丸内)石垣が復元されているが、中はがらっとしていて建造物などもみられない。

ただ、櫓台に立ってみると謙信の領土であった北信濃の山々や川中島合戦地となった八幡原・善光寺は目と鼻の先であり、武田家最前線の緊迫感を感じることができる。管理人は見たことは無いが、現代で言うと韓国・北朝鮮の国境38度線の板門店のイメージか?

第四次川中島の合戦においては、海津城の西側の妻女山に本陣を張った謙信は、海津城から炊煙の上がるのをみてその夜に夜襲があることを喝破したといわれている。妻女山に登ってみるとわかるが、妻女山の展望台からは海津城を間近に見下ろす形になっており、確かにこの距離なら炊煙も見えたかもしれないと感じることができる。

なお、松代城近辺には、真田宝物館や真田邸、文武学校など松代藩主を長く務めた真田家に関する施設が多数存在するが、高坂昌信や山本勘助が守備した戦国時代にまつわるものはほとんど展示されていない。

真田(特に信之)ファンの方はご堪能頂き、それ以外の戦国ファンの皆さんは、ぜひ妻女山や川中島古戦場(八幡原)と一緒に回って頂き、戦国の歴史に思いを馳せて頂きたい。

<松代城:太鼓門(正門)>
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<松代城:本丸堀>
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<松代城:東不明門>
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<松代城:城址碑>
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<松代城:戌亥隅櫓台と石碑>
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<松代城:搦手側の北不明門>
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<真田邸(松代藩主・真田家の公邸)>※100名城スタンプ設置場所
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<公式パンフレット(真田宝物館)>
パンフ表
パンフ裏2
パンフ裏1

■あわせて巡りたい

上杉との攻防の歴史に関する史跡をあわせて巡って頂きたい。いずれも付近にある。

・妻女山
・川中島古戦場(八幡原史跡公園) など

■おすすめグルメ

・日暮し庵
蕎麦と麦とろの店です。少々高いですが、「真田定食」がイチオシ。 

■城データ
  • 施設名       松代城(海津城)<日本百名城No.26>
  • 登城日       2017年8月18日(金)
  • 住所        長野県長野市松代町松代44
  • 電話番号       026−278−2801(真田宝物館)
  • 公式HP      真田宝物館公式HP
  • 入場料       無料
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   60分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★☆☆☆(普通の平城です)
  • 歴史に浸れる度   ★★★★☆(信濃・越後攻防戦の最前線基地です)
  • 他では見れない度  ★★★☆☆(この緊迫感は他では味わえないかと)
  • 総合評価      ★★★☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★★★☆(長野インターからほど近い、駐車場広し)
  • 登城のしやすさ度  ★★★★★(広くないし、平坦です)
  • 分かりやすさ度   ★★☆☆☆(解説はそんなに無いです)
  • 景観度       ★★☆☆☆(一般的な景観としては・・・)
  • 女性と行ける度   ★☆☆☆☆(何しに来たのか理解されないかも)
  • 総合評価      ★★☆☆☆
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