千早城 ~「難攻不落」の代名詞となった畿内の山城

スタンプ

■概要

鎌倉時代に討幕軍の名将・楠木正成が幕府軍から防衛するために築いた山城であり、難攻不落の城の代名詞とされる。

鎌倉時代末期、元寇により弱体化した鎌倉幕府の討幕をめざす後醍醐天皇の呼びかけに応じた楠木正成は畿内で挙兵し、畿内の反幕府勢力の増殖を恐れた鎌倉幕府・北条高時は数十万の兵を畿内に差し向けた。

正成は攻め寄せる鎌倉幕府軍からの防衛線(千早城の戦い)において、下赤坂城を前衛拠点・上赤坂城を本城、千早城を全体指揮所として防衛ラインを敷いた。

下赤坂城・上赤坂城は善戦するも幕府軍に奪われ、残すは千早城のみとなったが、千早城の正成軍は大量の水と食料を持ち込んで籠城しており、急峻な地形を利用した落石や倒木などのゲリラ戦法によりわずか800の守備兵で10万の幕府軍を足止めし、その隙に隠岐に配流されていた討幕の発起人・後醍醐天皇が隠岐を脱出し、全国に討幕の綸旨を発し各地の武将が討幕軍を起こすと幕府軍は鎌倉に引き上げ、最終的に千早城防衛は成功に終わる。しかし、後醍醐天皇による討幕後、後醍醐天皇の建武の新政に反感を持った足利尊氏を筆頭とする北朝勢力によって滅ぼされ、61年に及ぶ歴史に幕を閉じる。

■見どころ

本丸跡は現在は千早神社になっている。本丸の奥の方は聖域であるため立ち入りが制限されている。
金剛山の急峻な地形を利用した難攻不落の山城を体感して頂きたい。
100名城スタンプの設置場所である金剛山麓「まつまさ」から600段の階段を上るが約15分程度で本丸にたどり着く。

<千早城案内図>
今回は山麓まつまさに車を停めて裏参道から登城
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<裏参道入口:ここから600段程度の階段が続く>
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<途中で見下ろすと急峻な崖>
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<本丸跡にある千早神社>
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<本丸にある千早城碑>
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<カカシの形をしたソーラーパネル>
楠木正成はカカシを使って幕府軍をおびき寄せ、一斉に落石を浴びせて一網打尽にする戦法をとった
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<千早神社ご利益>
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<本丸跡から見下ろす急峻な崖>
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<千早城本丸から金剛山頂へ向かうルートの千早城入り口>
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<千早城から金剛山頂(国見城跡)に向かう道中にある楠木正儀墓>
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<公式パンフレット(?)>
山麓まつまさで貰える、なかな時代を感じる体裁の資料

チラシ表
チラシ裏

■あわせて巡りたい

・国見城跡(金剛山頂)
千早城からさらに1時間程度登山(全部階段)したところにある千早城の詰めの城だったといわれる場所だが、城跡っぽさは無い。山頂売店で買って食べるカップラーメンが絶品。更なる充実感を得たい方はぜひどうぞ。

■100名城スタンプラリーの方は

・高取城(No.61)
下道で東に1時間程度

■城データ

  • 登城日       2017年9月18日(月)
  • 住所        大阪府南河内郡千早赤阪村千早950(山麓まつまさ)
  • 電話番号      0721-74-0015(山麓まつまさ)
  • 公式HP      山麓まつまさ
  • 入場料       無料
  • 駐車場       有料
  • 所要時間の目安   90分程度
  • 混雑度       極小
  • 注意点       国見城跡(金剛山頂)に行かれる方はトレッキングに適した服装と十分な準備運動を。
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★★★(800人で10万の兵を撃退した城です)
  • 歴史に浸れる度   ★★☆☆☆(遺構がもう少しあれば・・・)
  • 他では見れない度  ★★☆☆☆(遺構がないので普通の山と神社にしか見えない)
  • 総合評価      ★★★☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★☆☆☆☆(大阪とは思えないへんぴな場所です)
  • 登城のしやすさ度  ★★☆☆☆(600段の階段をのぼります)
  • 分かりやすさ度   ★☆☆☆☆(解説などはほとんど無し)
  • 景観度       ★☆☆☆☆(標高600mあるのに景色は見えません)
  • 女性と行ける度   ★☆☆☆☆(山ガールでなければやめておきましょう)
  • 総合評価      ★☆☆☆☆

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