概要
元々は平安時代に平清盛が建立した平楽寺と呼ばれる大寺院があった場所ですが、その後、伊賀守護職の統治所が置かれ、室町時代以降は伊賀国人衆が当時の守護を追い出して統治していました。戦国時代になって織田信長の次男・信雄が8千の兵力で平定に乗り出すも伊賀衆の前に敗れ、1581年(天正9年)に織田信長が4万5千の兵力で伊賀を平定(天正伊賀の乱)し、その際に寺院も消失しました。その後、本能寺の変の後に天下をとった羽柴秀吉に伊賀の統治を任された筒井定次(秀吉が光秀を破った山崎の合戦において、どっちつかずの立場で参戦したことで有名な筒井順慶の息子)が伊賀上野城を築城しました。秀吉没後、大阪城を包囲するための前線拠点として築城の名人・藤堂高虎を伊予宇和島より呼び寄せて大規模な改築を行わせており、城下町を含めて綿密に設計された名城です。
見どころ
盆地に位置する伊賀上野市街地の中の標高184mの丘の上に築かれた平山城で、徳川家康が築城名人・藤堂高虎に築城させた防御要塞に思いを馳せてみてください。
特に、安土城以降に建てられた城でありながら、家康が豊臣家との最終決戦のために改築させた城であるため、美観より防御面での実用性に重きを置いた武骨な作りになっています。
特に、「高石垣」といわれる内堀の石垣は大阪城に匹敵する日本で一二を争う高さ(30m)であり、全長約400mにわたって張り巡らされています。城郭の敷地は約7千坪であり、家康は大阪の陣で敗れた際はここで籠城する心づもりで大規模な兵力を収容できる広さの城に拡張させたと言われています。
大阪の陣では徳川方が圧勝し、結局この城で防衛戦が行われることはありませんでしたが、大阪の陣の前線基地としての歴史に浸って頂ければと思います。城内では藤堂家の兜として有名な唐冠形兜(とうかんなりかぶと)も展示されています。唯一残念なのは復元天守ではなく、模擬天守であることでしょうか。。
城のほかの見どころとしては、伊賀上野公園内に「伊賀流忍者博物館」があるので、是非あわせて訪れて頂ければと思います。(後述)
公式パンフレット
あわせて訪れたい
伊賀流忍術博物館(管理人イチオシ)
伊賀上野公園の敷地内にあり、要人暗殺やスパイ活動など戦国の歴史の裏舞台で活躍した忍者について知ることができる施設です。手裏剣や鎖鎌などの忍者道具の展示のほか、隠し扉や隠し部屋、隠し通路などを備えた忍者屋敷の実物展示がされており、当時ではある意味軍隊より重要な存在であった忍者について、体験しながら学ぶことができます。入場料金は少々高いですが、他ではなかなか無い施設なので、戦国時代きってのスパイ集団である「伊賀忍者」の歴史に浸ってほしい。
さらに、入場料金にプラス500円程度で「忍者ショー」も見ることができます。忍者ショーというと子供向けに聞こえるかもしれませnが、手裏剣や鎖鎌投げ、刀を使った対決など、当時の忍者の活躍を実際に再現した、他ではなかなか見ることのできない迫力満点のショーを見ることができます。こちらのショーも管理人イチオシなので、騙されたと思って是非見ていってください。
城データ
- 登城日 2017年7月8日(土)
- 住所 三重県伊賀市上野丸之内106
- 電話番号 0595-21-3148(伊賀文化産業協会)
- 公式HP 伊賀上野城公式HP
- 入場料 有料
- 駐車場 有料
- 所要時間の目安 150分程度(忍者博物館含む)
- 混雑度 中大(特に忍者博物館はまあまあ混んでます)
- 注意点 特になし
管理人の勝手な評価
- 難攻不落度 ★★★☆☆(築城名人・藤堂高虎の設計)
- 歴史に浸れる度 ★★★☆☆(家康が籠城を覚悟した大阪の陣の前線基地)
- 他では見れない度 ★★★☆☆(日本で一二を争う高石垣は圧巻)
- 総合評価 ★★★☆☆
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