■概要
築城者は、秀吉の天下統一後、豊前国12万石に封じられた稀代の軍師「黒田官兵衛(如水)孝高」ですが、国人一揆に悩まされて工事は停滞し、最終的に完成させたのは関ヶ原の合戦における東軍功労者の細川忠興です。
梯郭式の平城ですが、中津川に面して三角形に建てられていることから扇城とも言われています。
また、西側は中津川を天然の堀とし、それ以外の方角は、中津川を通じて周防灘(豊前海)からの海水を引き込んだ堀で囲ってあったたため、水城や海城とも言われます。築城者の黒田官兵衛は、中津川の河口に近いことから、豊前海から瀬戸内海を通ってわずか三日で大阪との間を行き来できる早舟の仕組みを整備し、上方の情報を迅速に国元に伝達できるようにしていました。
細川氏の転封後は、九州に多く配置された外様大名の監視役として、小笠原氏、奥平氏と徳川氏譜代大名が入城した。中津城跡に建つ模擬天守などの建築物は奥平氏の子孫が所有していたが、維持費の高騰により売却され、現在は福祉事業を行っている民間会社が所有している。
ちなみに、黒田官兵衛は、中国攻め、山崎の戦い、四国征伐、九州征伐のすべてに参加し、豊臣秀吉の天下取りを支えた最大の功労者ですが、秀吉による天下統一後、彼に与えられた地はわずかに豊前国(大分県)12万石でした。
秀吉は側近からの「なぜ官兵衛に12万石しかお与えにならないのですか?」という問いに対し、「官兵衛に100万石も与えてみよ。奴が天下を取ってしまうわ。」と返したと言われています。
この発言は創作である可能性が高いですが、秀吉がいかに官兵衛の才能を高く評価し、また警戒していたかを的確に表現しています。官兵衛は、そうした秀吉の警戒を察し、豊前国主となってからわずか2年で家督を息子の長政に譲って隠居し、自身は京都・大阪で居住することとします。
事実官兵衛は、秀吉の予想通り、自分自身が天下に号令できる最後のチャンスを虎視眈々と伺っており、秀吉の死後、石田三成が徳川家康との対立により挙兵したと見るや、官兵衛自身は早舟で中津城に戻って兵を挙げ、関ヶ原の戦いへの参戦のためカラになった九州諸大名の城を次々と攻め落としていきます(石垣原の戦い等)。最終的には、島津を残して九州内を平らげたところで関ヶ原の戦いがあっけなく一日で終結し、家康からの停戦命令が届いたことにより「もはやこれまで」と諦めて兵を解散します。
その後、官兵衛は天下取りの野望を諦めて隠居生活を送り、京都で天寿を全うしますが、功労者である官兵衛を西の果てに追いやった秀吉の配置戦略は実に的を得ていたと言えるでしょう。
<黒田官兵衛(如水)孝高の肖像>
(出典:Wikipediaより)
■見どころ
天守は残念ながら萩城などを参考とした模擬天守ですが、石垣は当時のままの姿を残しています。
特に、本丸石垣には黒田時代と細川時代の石垣が接した継ぎ目を見ることが出来ます。
<本丸石垣>
右が黒田時代、左が細川時代に後から積まれた石垣。
黒田官兵衛は、秀吉の死後、石田三成の挙兵と同時にこの中津城で、金銀をはたいて牢人どもを集めて挙兵し、わずか短期間で九州全域を席巻しました。
稀代の軍師官兵衛が人生最後のチャンスに望みをかけた城跡で、官兵衛と同じ景色を眺めながらぜひ歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
■写真&散策記
昨日は宮崎への出張でしたが、折角なので自腹であと一泊してJRの鈍行で小倉方面に向かいながら、延岡城⇒臼杵城⇒大友氏館⇒中津城の順に落としながら帰ることにしました。
途中、黒田氏も治めていた「宇佐」を通りますが、電車内の表示ではアメリカに来たような気分を味わえます。鉄道ファンにはちょっとだけ有名なネタだそうです。
というわけで中津駅に到着!
大分駅からだと鈍行で1時間半ほどかかります。。
このあたりは黒田時代に博多から承認が移住してきたことから「古博多町」と呼ばれています。
天守が見えてきます。
ヤシの木がちょっと不釣り合いです。寒いですし。
右が黒田時代、左が細川時代に後から積まれた石垣です。
黒田時代の方が整えられた四角形の石が使われていて新しいように見えますが、これは福岡の唐原山城と呼ばれる古代遺跡に使われている石を中津川の水運で運んできて積んだものだそうです。さすが官兵衛、賢いですね。
終生側室を設けず、本妻一筋だった官兵衛と正室・光(てる)の像です。
今では普通ですが、戦国時代には珍しい夫婦の例ですね。
黒田夫妻像と中津城天守。
ここからは、中津川の河口方面を望みます。
解説板を見て頂くと、わざわざ河口付近に城を設けた官兵衛の戦略が分かります。
リレー形式の早舟で、上方の情報をわずか三日で国元まで届けていたのです。
模擬天守が見えてきます。
右側には黒田官兵衛の資料館もあります。官兵衛ファンの方は訪問要です。(無料)
渡り櫓を通って天守内部へ。
天守内部ではやはり大河ドラマ「軍師官兵衛」のポスター。
少し色あせてますが、男前の官兵衛です。
中津城は、長篠の戦いで活躍した奥平氏の資料館という位置づけでもあることから、九州なのに長篠関連の展示物があります。こちらは、長篠の戦いで使用されたとされるほら貝です。(ほんまかいな)
(出典:中津城公式HP)
天守から豊前海の方面を望む。
官兵衛も同じ景色を眺めながら戦略を巡らせたのでしょうか。
椎木門。
中津城は大手門⇒黒門⇒椎木門を経て本丸にたどり着くルートでした。
こちらは水門跡。
このあたりにも中津川から堀へ海水が引き込まれていたとのことです。
大鳥居から駐車場への進入路を作った際の石垣の断面です。
内部にも石垣が残っており、後から石垣が継ぎ足されたことが分かります。
大鳥居から駐車場への進入路(城外から)。
当時の石垣がぶった切られて通路が作られています。
本丸北側の石垣。
四角形ではないものの、丸い石が規則的に積まれています。
大手門の石垣跡(城内側から)。城内で最も大きい石が使われています。
城下を抜けて中津駅に戻って散策終了!
■事前学習コンテンツ
大河ドラマ「軍師官兵衛」
黒田官兵衛の生涯を描いた作品です。
岡田准一演じる男前すぎる黒田官兵衛が逆に良くはまっています。
- 城名 中津城(扇城)<続日本百名城No.191>
- 種別 平城(海城)
- 登城日 2019年2月9日(土)
- 住所 大分県中津市二ノ丁本丸
- 電話番号 0979-22-3651
- スタンプ設置場所 模擬天守1F受付
- 公式HP 中津城公式HP
- 入場料 有料(大人400円)
- 駐車場 無円
- 所要時間の目安 60分程度
- 混雑度 中
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★★☆☆(あまり言及されていません)
- 歴史に浸れる度 ★★★★★(官兵衛と同じ景色を眺めましょう)
- 他では見れない度 ★★★☆☆(残念ながら模擬天守)
- 総合評価 ★★★★☆
- アクセス性 ★★☆☆☆(大分って不便なところ)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(そんなに広くもない平城)
- 分かりやすさ度 ★★★★★(解説豊富)
- 景観度 ★★★☆☆(中津川と周防灘の景色)
- 女性と行ける度 ★★☆☆☆(岡田准一のファンならば・・・)
- 総合評価 ★★★☆☆
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