中城城 ~護佐丸が築いた琉球最大規模のグスク

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■概要

14世紀後半頃迄に先中城按司(さちなかぐずくあじ)が数世代にわたり南の郭・西の郭・一の郭・二の郭の主要部分を築いたのが、中城城(なかぐすくじょう)の始まりといわれています。当時貿易港であった屋宜港から2kmと近く、標高160mの見晴らしの良い丘陵に作られた山城でした。

その後、尚氏による統一琉球の時代に、勝連城を根拠地とする茂知附按司(もちづきあじ)が勢力を拡大すると、尚氏は勝連城に睨みをきかせるために、築城名人であった有力家臣の護佐丸盛春を座喜味城から中城城に移し、城の修築を命じました。護佐丸は三の郭、北の郭を増築し、現在の形を完成させたと言われています。

しかし、1458年に護佐丸は、勝連城の阿麻和利の讒言により王府より謀反の疑いを掛けられ、王府軍としてやってきた阿麻和利の軍勢に中城城を包囲されます(護佐丸・阿麻和利の乱)。護佐丸の部下は応戦を進言しますが、護佐丸は「王府軍と戦うことは出来ない」と言って自害することで身の潔白を証明しました。護佐丸は、中山王・尚巴志のもとで琉球統一に多大な貢献をしつつも、謀反の疑いを前に潔く自害したことから、武将の鑑として今でもその忠節をたたえられています。

その後、中城城は、中城王子の居城⇒番所と役割を変え、幕末である1853年に日本に開国を迫ったアメリカのペリー提督が、浦賀への来航前に沖縄本島を訪れ、中城城も訪ねた際に、城壁・アーチの門の建築土木技術水準の高さに驚嘆したと言われています。

明治の廃藩置県では、一の郭に中城村の役場が置かれましたが、第二次大戦の沖縄戦において米軍によって焼き払われて、城としての軍事的・政治的な役割を終えました。

■見どころ

中城城は、現在沖縄のグスクの中では最も遺構が良く残っている城として有名です。
建物は残っていませんが、うっそうとした亜熱帯の植物が侵食する石垣は、まるでラピュタの世界のようです。
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それにしても「グスク」って本土では「城」の意味なんですが、中城城(なかぐすくじょう)ってわざわざ「城」の文字を重ねる必要ありますかね?(わざわざ「しろ」を2回言っているような・・・)

英語の看板で、淀川が「Yodogawa River」になっているぐらいの気持ち悪さがあります。

個人的には「中城(なかぐすく)」だけで良いと思っていますが、書籍にも現地にも「中城城(なかぐすくじょう)」って書かれてあるので本ブログでもそれに従うようにします。

■写真&散策記

駐車場に車を停めて散策スタートです。本日もあいにくの雨です。
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管理事務所で入場料を支払うと、なんと麓からゴルフ場のカートのような車で送ってくれるようです。
雨にも濡れないのでありがたいです。
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南の郭の外側あたりまであっという間に届けてくれます。
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とても気持ちの良い草原です。
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西の方を見ると何やら怪しげな廃墟が建っています。
あそこは「中城高原ホテル」という1970年代にわずか2か月だけ営業された後、廃業となった伝説のホテル跡だそうです。今は既に立入禁止になっていますが、全国の廃墟マニアの侵入が止まらず、2019年度末までに撤去し、公園になる予定との事です。
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沖縄戦のときの日本軍の壕です。
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岩盤の下部に穴が見えるのは「カンジャーガマ」と呼ばれる鍛冶屋跡です。
ただ、城の設備なのか、集落のものかはわかっておりません。
護佐丸が阿麻和利に備えるためにここで武具を作っていたとも伝えられています。

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いよいよ正門に向かいます。
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城壁が見えてきます。
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正門から入っていきます。右側に城址碑もあります。
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城址碑と城壁をパシャリ。沖縄の城は、「石垣」というより「城壁」という言い方がマッチします。
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いよいよ城内へ。
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ここは城内で最も広い郭である西の郭です。
階段を右に折れて南の郭へ向かいます。
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振り返って正門を撮影。
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城内に八か所あると言われる拝所の一つ「トモヤグラノ御イベ」です。
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南の郭に向かいます。とても立派な石垣です。

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南の郭門が見えてきます。
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両側に石がせり出した堅牢な門です。
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南の郭門から正門を見下ろした図。
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南の郭に到着。奥に拝所(火の神)があります。
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城壁のところどころに狭間のようなものが見えます。
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晴れていれば海が綺麗に見えそうです。P7061025

こちらも拝所「雨乞いの御嶽」です。
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いよいよ一の郭へ。アーチ門が異国情緒あふれています。
アーチ門は護佐丸による修築時に造られたと言われています。
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一の郭。バラバラの石に番号がつけられています。石垣の復旧工事かと思われます。
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一の郭門を振り返ったところ。
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既に積まれた茶色い石もあります。
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ここからも中城高原ホテルが良く見えます。
当初はここ一の郭に建てられる予定だったそうですが、当時の米軍占領下の琉球政府により却下されたようです。(良かった・・・)
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正殿跡です。廃藩置県後は、村役場が建てられていましたが、沖縄戦で焼失しました。
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一の郭の拝所「中城ノ御イベ」です。
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二の郭へ向かう前に、一の郭の城壁に上がってみます。
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一の郭城壁から見下ろす二の郭です。
城壁の曲線の美しさが二の郭の売りです。
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それでは二の郭へ。
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二の郭です。
一の郭よりは少し狭いですが、それなりの広さです。
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忠魂碑。二の郭の城壁も上がれるようになっているようなので上がってみます。
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二の郭の城壁から見下ろす三の郭。だいぶ狭いです。
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二の郭から三の郭に行くには一度西の郭に下ります。
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北の郭へ向かいます。
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こちらが北の郭です。
左に大井戸(ウフガー)に下りていく階段がありますが、雨天のため通行禁止になってました。
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三の郭です。
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再び北の郭に戻り、裏門より城外へ。
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裏門はペリー一行が「エジプト式」と評したと言われるアーチ式門です。
これも護佐丸の時代に増築されたものです。
と言いますか、そもそもペリーが浦賀来航前に沖縄に来ていたのなんて知らなかったですね。
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外側から見る三の郭の城壁です。護佐丸時代に増築されたことから、新城(ミーグスク)とも呼ばれています。琉球グスクのなかでも石積み技法の最も進んだ「あいかた積み(亀甲乱れ積み)」によって築かれています。
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裏門の外は記念運動場になっています。
城の模型がありました。
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こちらはグスク風ですが、ただのトイレです。

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以上で散策終了です!

■公式パンフレット
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■城データ
  • 城名        中城城<日本百名城No.99>
  • 種別        山城
  • 登城日       2019年7月6日(土)
  • 住所        沖縄県中頭郡北中城村字大城503
  • 電話番号      098-935-5719(中城城跡共同管理協議会)
  • スタンプ設置場所  管理事務所窓口
  • 公式HP      中城城公式HP
  • 入場料       有料・大人400円
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   50分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★★☆(築城名人・護佐丸の築いた城)
  • 歴史に浸れる度   ★★★☆☆(琉球の歴史にあまり詳しくありません)
  • 他では見れない度  ★★★★★(本土の城とは一線を画す琉球グスク)
  • 総合評価      ★★★★☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★☆☆☆(レンタカーは必須)
  • 登城のしやすさ度  ★★★☆☆(回りやすいですが、滑りやすい場所も少しあり)
  • 分かりやすさ度   ★★★☆☆(案内、解説も十分あります)
  • 景観度       ★★★★☆(グスク自体がとても美しいです)
  • 女性と行ける度   ★★★★☆(城目的だけでも全然いけます)
  • 総合評価      ★★★☆☆
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