No.194 佐伯城 ~江戸時代には珍しい大分最果ての山城

概要

江戸時代初期にあたる1606年(慶長11年)に築かれた山城です。
豊臣秀吉子飼いの家臣であった毛利高政が東軍に与した功で佐伯2万石を与えられ、前領主佐伯氏の旧居城であった栂牟礼城に入城しましたが、統治に不便であったため新たに佐伯城が築城されました。1606年(慶長11年)にはほぼ完成しましたが。1617年(元和3年)、二の丸より失火して、本丸と天守を焼失しました。その後、麓に三の丸を新築したり、山上の建物も修復したりされますが、明治に佐伯県庁が設置されたことで、佐伯城は廃城となります。

見どころ

戦国の世も終わり、この頃には統治のしやすい平城もしくは平山城が主流になっていましたが、佐伯城は総石垣造りの堅固な山城になっています。戦国山城ファンであれば、楽しめる一城でしょう。

写真&散策記

佐伯城は大分県佐伯市というところにあります。「佐伯」の読み方は一般的には「さえき」ですが、大分では「さき」と呼ぶことに注意が必要です。間違えて読むと地元の人に「さえきじゃないけぇ!」と怒られるので注意しましょう。

佐伯市は大分県の一番南に位置しています。九州では「陸の孤島」として有名な宮崎県延岡市と接しており、九州屈指の不便なエリアでもあります。管理人は転勤で大分に来ておりますが、大分市内からも車で一時間以上かかります。人口も7万人と少ないですが、なんと面積は九州の市町村ナンバーワンです。

さて、佐伯城にやってきました。佐伯城山文化ホールの駐車場にバイクを停めます。
ここは三の丸館があった場所となります。

佐伯城山文化ホール(三の丸跡)

三の丸の櫓門は天保年間に改築されたものですが、当時のものが現存しております。立派な櫓門です。

三の丸櫓門

三の丸櫓門のバックが佐伯城山文化ホールです。

三の丸櫓門(正面)
三の丸櫓門(正面)と佐伯城山文化ホール(バック)

まずはスタンプ設置場所でもある佐伯市歴史資料館で情報収集してから登城することに。

佐伯市歴史資料館

資料館ではもともと佐伯氏による統治の中心であった栂牟礼城の立体AR(仮想現実)を見ることができます。大友氏による栂牟礼城攻めを佐伯軍が撃退する様子を見ることができます。

栂牟礼城はガチの戦国山城です。外観がそそられますね。

毛利高政の具足が展示されています。徳川家康が着用していた金ピカの具足ととてもよく似ていますね。

大鉄砲と呼ばれる江戸時代に造られた銃身の長い銃も展示されています。

佐伯城の空撮写真です。栂牟礼城は写真の一番奥の山あたりにありましたが、佐伯城は一番手前の山になります。山城とはいえ市街地が近く、防衛よりも統治を意識したお城です。

とはいえ、結構な山城ですね。麓に立派な三の丸館ができてからは、山上の建物は荒廃してしまったそう。やっぱりそうなりますよねー。

山上の曲輪群です。

藩主毛利氏が住んでいた屋敷の一部が復元されています。

情報収集も終わったので、いよいよ山城に登っていきます!

登城口になります。
佐伯城の近くにある、高校野球の強豪校佐伯鶴城高校の野球部員が坂道ダッシュをやっていました。すれ違うたびに体育会系の挨拶をしてくれるのが気持ちいいです。

このあたりまでは平たんな公園という感じです。

ここから登城路は三つに分岐しています。
左から、翠明の道・登城の道・独歩碑の道となっていて、左から急峻な順になっています。
管理人は当時の登城路であった「登城の道」(真ん中)から登ることにします。

急に険しい山道に入っていきます。

土砂崩れ防止用の構造物がラピュタのようです。

さらに険しい山道を登っていきます。

石垣のようなものがちらほらと見え始めます。

ここからは石畳。

頂上が近づいてくると石垣が増えてきます。

西出丸の虎口に到着です。

西出丸の虎口と佐伯の町並みです。

西出丸の風景。

ここは櫓台の跡でしょうか。

佐伯城の海運と天然の堀の役割を担っていた番匠川が良く見えます。

ここは大井戸の跡かと思いましたが、戦時中に高射砲台が置かれた跡とのことでした。

二の丸へ向かいます。

二の丸虎口です。敵の侵入を防ぐために幅を狭く作ってあります。
当時は両側に渡櫓が設置されていました。
石垣に石畳というのがたまらなく良いですね。

かなり狭くて侵入する兵士の勢いを削ぐことができます。

二の丸に到着です。向こうに本丸虎口が見えます。

いよいよお城らしくなってきます。

廊下橋を渡って本丸へ。本丸に入るには二の丸を通ってこの狭い廊下橋を渡り、幅の狭い階段を上らなければならず、有事の際には廊下橋を落として敵の侵入を防ぐといわれました。
本丸を守るうえで、とても堅固な施設になります。

確かに階段はかなり狭いです。

階段を上から見下ろしたところです。

本丸天守台です。三重三階の天守台が建っていました。

天守台には小さな鳥居が祀られています。

本丸外曲輪に降りていきます。

本丸外曲輪から見下ろす佐伯の町並み。
2008年にここで釣りバカ日誌のロケが行われたようです。
佐伯は「佐伯の殿様浦でもつ」と言われたほど魚がおいしいところなので、釣りバカ日誌のロケにはピッタリかもしれませんね。

小説家・詩人の国木田独歩が教師として佐伯に赴任したことを記念して独歩碑が建てられています。

本丸外曲輪から本丸への階段です。

石垣に苔が蒸していていい感じです。管理人は苔が大好きです。

北出丸に向かいます。向こう側に細長くのびているやつです。

本丸外曲輪と北出丸との間の虎口です。食い違い虎口のようになっています。
本丸の守りはかなり固く作ってありますね。
江戸時代に作った城とは思えない。。

こちらが北出丸になります。

北出丸から望む本丸。

石垣に登って遊んでいる子供たちがいます。
「兄ちゃんカメラマンなん?」と声をかけられると、悪い気がしません。
都会と違ってとても純粋そうな子供たちでした。

下城していきます。控えめに城址碑がありました。

緩やかな「独歩碑の道」で下城します。

案内板はありませんが、ここは「捨曲輪」と呼ばれた場所と思われます。
捨曲輪は城から打って出るときに拠点として使われる場所で、塀を設けないため、防御に回るときは放棄することから、捨曲輪と呼ばれました。

さらに緩やかな道を降りていきます。

ところどころ石垣のようなものも見られます。

三の丸城山文化ホールまで戻ってきました。

今更気づいたんですが、ここって閉館してたんですね。
どうりで少しさびれた感じが出ていると思いました。。
佐伯の市街地のほうに新しいホールが建てられてこちらは廃館になったようです。

以上で散策終了です!
江戸時代の城ながら戦国ファンにも見ごたえのある堅固な山城でした。
高校球児が坂道ダッシュに使っていたり、子供が城山で遊んでいたりと佐伯市民に親しまれる城という印象でとてもほのぼのとした気持ちになりました。

公式パンフレット

城データ

  • 城名        佐伯城 <続日本百名城No.194>
  • 種別        山城
  • 登城日       2022年3月12日(土)
  • 住所        〒876-0831 大分県佐伯市大手町1丁目2番25号
  • 電話番号      0972-22-0700(佐伯市歴史資料館)
  • スタンプ設置場所  佐伯市歴史資料館
  • 公式HP      佐伯市観光ナビ
  • 入場料       無料
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   90分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       山城のため長袖長ズボン・歩きやすい靴でお出かけください。

  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

管理人の勝手な評価

~城として~

  • 難攻不落度     ★★★★★(本丸は鉄壁の守りです)
  • 歴史に浸れる度   ★★★☆☆(江戸時代の城なので・・・)
  • 他では見れない度  ★★★☆☆(廊下橋は見ごたえあります)
  • 総合評価      ★★★★☆

~行楽地として~

  • アクセス性     ★☆☆☆☆(延岡とならぶ不便度です)
  • 登城のしやすさ度  ★★★☆☆(山城の中では散策しやすいお城)
  • 分かりやすさ度   ★★★☆☆(登城前に歴史資料館で情報収集をしましょう)
  • 景観度       ★★★☆☆(佐伯の町並みや海を見ることができます)
  • 女性と行ける度   ★★☆☆☆(そもそも何しに佐伯に来てるのかという話ですが・・・)
  • 総合評価      ★★★☆☆

コメント

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