■概要
南北朝時代にこの地は「岸」と呼ばれる場所でしたが、建武元(1334)年に楠木正成一族の和田高家が城を築いてこの地を治めたことから、「岸の和田殿」がなまって「岸和田」という地名になったと言われています。
岸和田城は、16世紀初頭に信濃泰義(しなのやすよし)によって築かれた城です。戦国時代末期(16世紀半ば)には、当時泉州地域を治めていた松浦氏の居城となっていました。
その後、羽柴秀吉は、紀州征伐の前線基地として岸和田城を再築城し、ここを拠点に根来寺を焼き討ちするなどして秀吉に抵抗する紀州の雑賀衆・根来衆を滅ぼしました。
紀州征伐後の岸和田城には秀吉家臣・小出秀政が入城し、秀政は城下町を整備し、城内に五重天守を作り上げました。豊臣氏の滅亡後、松平氏を経て、寛永17(1640)年、戦国時代に今川・武田にも仕えた岡部氏が入城します。その後岡部氏が13代にわたって藩主を務め、岸和田半5万3千石を治めます。しかし、文政10(1827)年、落雷によって天守閣は焼失し、以後長らく再建しませんでしたが、昭和29年に鉄筋コンクリート造りで三層の天守閣が再建されます。
■見どころ
天守や櫓はすべて昭和期の復興ですが、石垣は江戸時代の姿をそのまま残しています。
小ぶりな三層の天守もコンクリート造りとは思えない優雅なたたずまい。
城の周りは細い路地が多くてアクセスは不便ですが、「だんじり」で有名な荒くれ者の多い岸和田のシンボルとなっています。
岸和田だんじり祭り(九月祭礼)の宮入れの際には、このようにだんじりと岸和田城とのコラボが見れるそうです。ぜひだんじり祭りの季節に行ってみたいものです。
(「岸ぶら」より)
■写真&散策記
岸和田市のシンボルでありながら、大阪市方面から来ると行き方が結構分かりにくいです。
細い道を通って岸和田城の横を抜けてくると天守が見えてきます。
しかし、バイクで来たのですが、駐輪場がありません・・・
仕方なく、二ノ丸にあるレストラン?の横に停めて登城することに。
(ちなみに、堀の周りは路駐だらけでした)
天守へのアクセス性は抜群です。
二ノ丸には「心技館」という武道館があります。
前に停まっているバイクがシブい。
なんと、二ノ丸多聞櫓跡はトイレです。
建物の有効活用ってことですかね。
岸和田城の写真で良く使われる東隅からのショット。
今日は青空に天守が良く映えています。
本丸への橋は二ノ丸側(北西側)に掛かっていますが、反対の北東側にも本丸への階段が設けられています。しかし、当時も橋は掛かっていなかったようで、あくまで犬走りに下りるためのルートだったようです。
なんかよく知らない人の記念碑。
「八陣の庭」です。
三国志で有名な諸葛亮孔明の考案した八陣法を模した庭だそうです。
当時からあったものではなく、昭和期の復元時に有名な庭師の重森三玲という方が作ったものだそう。
天守内部への入り口は残念な自動ドア付きです・・・
コンクリート復元なので覚悟はしていましたが・・・
以上で散策終了!
- 城名 岸和田城(千亀利城)<続日本百名城No.161>
- 種別 平城
- 登城日 2019年1月14日(月)
- 住所 大阪府岸和田市岸城町9-1
- 電話番号 072-431-3251
- スタンプ設置場所 岸和田城天守閣
- 公式HP 岸和田城公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 最初の1時間無料、以降100円/時間(市役所第四駐車場)
- 所要時間の目安 60分程度
- 混雑度 小
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★☆☆☆(あまり分かりませんでした)
- 歴史に浸れる度 ★★★☆☆(紀州征伐の歴史に思いを馳せましょう)
- 他では見れない度 ★★☆☆☆(特筆すべきは無いです)
- 総合評価 ★★☆☆☆
- アクセス性 ★★★☆☆(大阪からもそこそこ遠いです)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(平城で敷地も広くない)
- 分かりやすさ度 ★★★☆☆(解説はそれなり)
- 景観度 ★★★★☆(美しい天守です)
- 女性と行ける度 ★★★☆☆(ありだと思います)
- 総合評価 ★★★★☆
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