長篠・設楽原古戦場 ~織田・徳川vs武田激突の近代戦発祥の地

■概要

西上作戦の途上で亡くなった武田信玄の跡を継いだ勝頼は、武田家臣団を掌握するため、外征による領国拡大にひた走ります。

しかし、もともと地方豪族の集まりであり、信玄の強烈なカリスマによってかろうじて求心力を保っていた武田家中の分裂は避けることが出来ず、ついに徳川領国との境にある長篠城主の奥平貞昌が徳川方に寝返ります。

勝頼は積極的な外征により挽回をはかるべく、織田領の東美濃の16の支城を陥落させ、父信玄も落とせなかった徳川領遠江の高天神城を落として武田家史上最大の版図を手にします。

そして、万全を期して徳川方に寝返った長篠城を奪還するべく1万5千の兵で包囲しますが、徳川方が8千、織田方も3万の援軍を繰り出して設楽原に延々と馬防柵を築いて布陣し、両軍は設楽原の中央を流れる連吾川を挟んでにらみ合います。

織田・徳川軍はまず家康配下の酒井忠次に別動隊を率いさせて、長篠城の南方にある鳶ヶ巣山砦を急襲して陥落させ、長篠城の包囲を解きます。

長篠城の包囲を解かれて焦る勝頼は、設楽原に布陣する織田・徳川軍を粉砕するべく騎馬兵で正面から粉砕しようと突撃しますが、織田信長はこの決戦のために全国から3千挺の鉄砲を調達して配備しており、正面から突撃してくる騎馬隊を鉄砲で次々に撃ち落とし、武田家は兵1万という壊滅的な被害を被って甲斐に敗走することになります。

この戦いを機に、信長は常に東の脅威となっていた武田家の呪縛から解き放たれ、天下統一への道を確実に進めることとなります。逆に武田家は、この戦いを機に急速に衰え、1582年(天正10年)の甲州征伐において織田・徳川軍に完全に滅ぼされ、勝頼は天目山で自害して武田家は断絶します。

■見どころ

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長篠・設楽原古戦場跡には、合戦の様子を今に伝える様々な遺構や施設があります。

特に設楽原は現在もほとんど開発されておらず、当時そのままの農村風景が広がっているため、十分に合戦の歴史に思いを馳せることができるでしょう。

主な歴史スポットは、長篠城跡・馬防柵・勝頼本陣跡(医王寺)・信玄塚・首洗池などです。

<公式パンフレット(設楽原歴史資料館)>
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■写真&散策記

長篠城
古戦場の東側、豊川と宇連川が合流する箇所にあり、天然の要害になっています。
小規模ながら堅固な要塞になっていて、奥平貞昌は500の兵で武田家1万5千の包囲から耐え抜きました。
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②医王寺
武田勝頼が本陣を置いた寺です。
のどかなお寺ですが、合戦の際は背後の山頂に陣屋が築かれました。
現在は展望台が置かれています。
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陣屋跡に向かう山道。やや急峻な階段を上っていきます。
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少し登ると物見櫓風の展望台が見えてきます。
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山頂からは長篠・設楽原を見晴らせます。
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麓に山県三郎兵衛息継ぎの井戸があります。
赤備えの猛将・山県三郎兵衛昌景はこの戦で命を落とします。
何を息継ぎしたのかは不明?
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③馬防柵
長篠古戦場といえばココだと思います。
もちろん当時ほどではありませんが、延々と馬防柵が作られていて、戦国気分を高めてくれます。
どこで鳴らしているのか、たまに銃声音も聞こえてくるという凝りようです。
周辺住民の苦情にならないのでしょうか??
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ちなみに土曜日の晴れでしたが、客はゼロです。
マイカーを馬防柵の内側に横停めするという傍若無人ぶりでした。
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ところどころにいろはカルタが書かれています。
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武田家重臣の土屋昌次もあまりの鉄砲の威力にさぞびっくりしたでしょう。
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「鉄砲構え」は身を隠す塹壕と馬防柵の組み合わせになっていたようです。
ついでに火縄銃の模型も置いておいてもらえると、構えて楽しめると思うのですが。
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④首洗い池
合戦当時、戦利品である首を洗ったため、血で赤く染まったと言われる池です。
現在は浄化されたきれいな池になっています。
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余談ですが、このあたりの電柱は名称が「信玄支」になっています。
厳密に言うと信玄は関係ないのですが・・・
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⑤信玄塚
長篠合戦で亡くなった1万6千の戦死者を弔うため地元住民が建てた塚。
こちらもなぜか「勝頼塚」ではなく「信玄塚」。
歴史資料館のすぐ裏にあることを気づかず、車であちこちさまよいました。。
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毎年8月15日(終戦記念日?)に戦死者の魂を弔う「火おんどり」が行われる。
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■事前学習コンテンツ

・NHK大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」

管理人もまだ全部見ていませんが、緊張の大迫力で長篠の戦いが描かれています。
勝頼が故郷の諏訪太鼓隊を従軍させていて、騎馬隊突撃前にお諏訪太鼓が演奏されるのが印象的。

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・歴史ミステリー「長篠の戦いは存在しない」

なんと、近代戦の歴史に残る長篠の戦いが実在しなかったとする説を唱える学者が出演する番組。
長篠古戦場から鉄砲の弾丸が発見されない、木曽馬=タダのデブ馬であることなどを論拠にトンデモ学説を展開します。

 

■古戦場データ

  • 古戦場名      長篠・設楽原古戦場
  • 登城日       2018年月3日17日(土)
  • 住所        愛知県新城市竹広字信玄原552<設楽原歴史資料館:ナビ用>
  • 電話番号      0536-22-0673<設楽原歴史資料館:ナビ用>
  • 公式HP      キラッと奥三河観光ナビ
  • 入場料       無料
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   180分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~古戦場として~
  • 難攻不落度     ★★☆☆☆(平地なので一触即発です)
  • 歴史に浸れる度   ★★★★☆(いまも田舎なのが良いです)
  • 他では見れない度  ★★★☆☆(鉄砲の鳴り響く馬防柵は必見)
  • 総合評価      ★★★☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★★☆☆(新東名で便利になりました)
  • 登城のしやすさ度  ★★★★★(広いだけです)
  • 分かりやすさ度   ★★★☆☆(解説などもまあまああります)
  • 景観度       ★☆☆☆☆(まあ、微妙ですかね・・・)
  • 女性と行ける度   ★☆☆☆☆(退屈されることでしょう)
  • 総合評価      ★★★☆☆
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