首里城 ~琉球王国の栄華を誇った豪華絢爛な王宮

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■概要

約500年という長きにわたり琉球王朝の中心拠点となった城(ぐすく)で、県内最大規模を誇ります。
築城年代は、定かではありませんが14世紀頃と言われています。
琉球の三国志時代にあたる、三山時代においては、中山の本拠地となりました。
その後、中山王である尚巴志が琉球を統一した後も、首里は王国の首府として栄え、首里城は王宮としての機能を果たしました。

現在の縄張りは、第二尚氏の3代目・尚真王、4代目・尚清王のときに完成しますが、王位争いや失火で3度の火災に見舞われ再建が行われます。

その後、明治時代の沖縄県設置による琉球処分後は、陸軍の軍営となり、王宮としての役目を終えました。第二次世界大戦の沖縄戦においては、日本軍の司令部が置かれたことで、米軍からの徹底的な砲撃を受けて建物などを焼失しました。戦後は、跡地に琉球大学が設置され、多くの遺構が撤去もしくは埋められましたが、沖縄県民による再建運動により、守礼門など主要な建造物の復元が始まり、その後琉球大学の移転に伴い本格的な復元が行われて2019年完成に至ります。

2000年には他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されています。

■見どころ

三山時代を経て、琉球をはじめて一つに統一した尚氏の「王宮」であり、あくまで政治・軍事が目的である他の県内のグスクとは一線を画した豪華絢爛な造りです。琉球王国の最盛期に思いを馳せながら城を散策されてみてはいかがでしょうか。

個人的には、世界遺産である「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」と正殿の石垣遺構が一番見応えありました。
もう少し世界遺産でもある現存部分が注目されても良い思うのですが、どうしても豪華絢爛な復元正殿の方に目が行ってしまうんですかね。

ちなみに、尚氏の家系は現在も続いていて、末裔にあたる第二尚氏23代当主の方が沖縄の歴史文化に係る社団法人の理事として活動をされています。歴史ってすごいと思います。

■写真&散策記

地下駐車場に車を停めて、上階にあるレストセンター・首里杜館(すいむいかん)で日本百名城の記念すべき100番のスタンプを押して守礼門に向かいます。
概ね一般コースに沿って散策をしたいと思います。
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まずは「守礼門」から。第二尚氏4代目・尚清王の時に建造されました。
「守禮之邦」の額は、「琉球は礼節を守る国である」という意味で、はじめ中国からの冊封使が来ている期間にのみ掲げられ、その後常掲されるようになりました。

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守礼門のすぐ近くにある「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」です。
国王が出御のとき、道中の安泰をこの石門前で祈願しました。
実は世界遺産なのですが、通り過ぎていく人がほとんどです。もったいない・・・
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世界遺産の碑とともに。
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少し進むと今度は歓会門が見えてきます。
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「歓会門」です。
外からの来訪者を歓迎するという意味が込められていました。
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次は「瑞泉門」です。
「立派なめでたい泉」という意味だそうです。
泉は後述する湧水(龍樋)にちなんだものです。
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瑞泉門の脇に「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧水があります。
王宮の大切な飲料水でした。
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瑞泉門をくぐっていきます。
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あちらに見えるのは「久慶門」です。
首里城の建造物は全体的にめでたい名前がついています。
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つづいて「漏刻門(ろうこくもん)」です。
櫓の中の水時計で時刻を計ったことからこの名前がついています。
身分の高い役人も国王に敬意を表してここで籠を下りていったと言われています。
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続いて「広福門(こうふくもん)」です。
東側には戸籍を管理する「大与座(おおくみざ)」、西側には寺社を管理する「寺社座」が置かれていました。王宮だけあって防御的な機能性を持たせていないところが面白いですね。
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「日影台(にちえいだい)」(いわゆる日時計)です。
従来の漏刻だけでは不十分なため設置されました。
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こちらは「万国津梁(ばんこくしんりゅう)の鐘」です。
正殿に掛けられていた鐘の復元です。
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こちらは「首里森御嶽(すいむいうたき)」です。
沖縄のグスクではお馴染みの礼拝所です。
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消防用の雨水を貯めていたとされる「天水甕」の復元です。
奉神門の前に少なくとも4つ置かれていました。
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ついに正殿に到着!人がいない写真を撮るの苦労しました。
正殿は琉球王国最大の木造建築で、日本と中国の様式を取り入れた「和漢折衷」と言われる特徴的な建物です。
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城内へ。
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城内から見る「御庭(うなー)」
御庭では様々な儀式が行われましたが、色違いの列は諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割を担っていました。
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城の内部は庭園があり、招かれた冊風使が鑑賞しました。
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二階にある「御差床(うさすか)」と呼ばれる国王の王座です。様々な儀式や祝宴が行われた場所です。
本土の城にはない豪華絢爛さです。さすが王宮。
和漢折衷とは言いますが、どちらかというと中国の影響を強く受けているように感じます。
ちなみに勿論復元です。
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1階の御差床。ここは政治や儀式が行われる際の玉座でした。
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正殿の遺構です。
実は世界遺産となっているのは地下に埋まっているこの部分だったりします。
とても貴重なものを見られた気分です。
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正殿を出て、今度は「御内原(おうちばら)」へ。
ここは王宮の最奥部に位置し、国王とその家族が住むところで、国王と家族以外は男子禁制だった場所です。ここでは王妃を頂点に女性がすべてを取り仕切る、本土でいうところの「大奥」や「御裏方」の位置づけでした。写真手前は王妃の住居であった「世添殿(よそえでん)」跡で、写真奥は即位の礼を行う「世誇殿(よほこりでん)」です。
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「世誇殿(よほこりでん)」
です。
国王が亡くなると即位の礼が行われましたが、普段は未婚の王女の居室として使われました。
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さらに内門を抜けて奥に向かいます。
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こちらは寝廟殿(国王の遺体安置所)に通じる「白銀門」です。
国王だけが通ることを許された門です。
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ここは首里城の最奥に位置する「東(あがり)のアザナ」と呼ばれる物見台です。
ここから首里城一帯と城下町を見下ろすことが出来ます。
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御内原を出て外に向かいます。
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ここは、「寄内の御嶽(ミヤガモリノ御イベ)、寄内の御嶽(カミジヤヤマジヤデラノ御イベ)」となっており拝所です。本当に沖縄の城は城内に拝所が多いです。沖縄の人は信心深いんですね。
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最後に木曳門を見て帰ることに。
途中で琉球大学跡の碑を見つけました。
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最後に「木曳門(こびきもん)」です。
王国時代に資材の搬出入用に使われた門ですが、使われないときは石を詰めて閉じられていました。
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以上で散策終了です!

■公式パンフレット

コチラからダウンロードできます。

■城データ
  • 城名        首里城<日本百名城No.200>
  • 種別        平山城
  • 登城日       2019年7月6日(土)
  • 住所        沖縄県那覇市首里当蔵町3
  • 電話番号      098-886-2020(首里城公園管理センター)
  • スタンプ設置場所  首里杜館、系図座・用物座、北殿
  • 公式HP      首里城公式HP
  • 入場料       無料
  • 駐車場       有料・円
  • 所要時間の目安   100分程度
  • 混雑度       大~極大
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★☆☆☆(防御施設は特に見られません)
  • 歴史に浸れる度   ★★☆☆☆(琉球王朝の歴史に浸りましょう)
  • 他では見れない度  ★★★☆☆(本土では見られない城、というか王宮です)
  • 総合評価      ★★☆☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★★☆☆(沖縄の中ではとても便利な位置。車なしでも可)
  • 登城のしやすさ度  ★★★★★(観光客が多いことを除いては・・・)
  • 分かりやすさ度   ★★★★★(案内や解説はとても充実しています)
  • 景観度       ★☆☆☆☆(あえて言うなら東のアザナからの眺望)
  • 女性と行ける度   ★★★★★(何といっても沖縄のメイン観光地です)
  • 総合評価      ★★★★☆
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