佐和山城 ~国宝彦根城の裏にひっそりと佇む石田三成の遺構

600px-Japanese_Crest_Daiichi_Daiman_Daikichi_2.svg

■概要

関ケ原の戦いで西軍の盟主となって敗れた石田三成の居城として有名で、「三成に過ぎたるものは島の左近と佐和山の城」と言われたほどの名城です。

現在は佐和山城址の周囲は完全な陸地になっていますが、戦国時代には佐和山の西側のほとりまで湖が迫っており、琵琶湖の水運に接続されていました。また、東側は、後の中山道の原型となる東山道が走っており、畿内と北陸・東海方面をつなぐ場所となっていました。三成はこの水陸の要衝に位置する標高230mの山頂に五層の天守を築き、来たるべき天下分け目の合戦に備えたと言われています。

現在は建物は残っていませんが、豊臣政権の五奉行の本拠地でありながら、当時城内の広間は畳ではなく板張りで、壁はあら壁のままという質素な作りであったといわれており、見た目より実用性を重視する合理主義者の三成らしい城であったと言えます。

関ヶ原の戦いの後に佐和山城は落城し、徳川家の重臣・井伊直政が一時入城しますが、直政は三成統治を継承したと民衆に思われないように、あえて別の場所に彦根城を築城してそちらに移り、佐和山城を破却しました。ちなみに、三成はこの近江の地で善政を行っていたことから非常に民衆から慕われており、敵方の徳川家としては一刻も早く三成色を払拭したかったのかもしれません。

■写真&散策記

石田三成は管理人イチ推しの武将なので、佐和山登城は感慨深いものがありました。

佐和山城は彦根城とは目と鼻の先にありますが、ゆるキャラ「彦にゃん」で大成功し、連日観光客が押し掛ける国宝・彦根城とは異なり、ひっそりと佇んでいます。

まず、佐和山城の遠景が見られる、ふもとの佐和山会館へ。

奥に見える佐和山城と、手前が彦根城400周年を記念して作られた佐和山城の模型。
彦根城400周年で、なぜ佐和山城の模型?というのは疑問ですが、国宝の彦根城が間近にありながらも佐和山城もきちんと盛り立てている彦根市は素敵だと思います。

先ほども申し上げた通り、佐和山城はあら壁作りの質素な城だったため、このような白亜の天守ではなかったはずですが、細かいことは言わず、脳内で佐和山の頂上にこの天守を置いてみましょう。
DSC_0654

早朝に行ったので「佐和山会館」はまだ閉まっていましたが、昼間何をしている建物なのかはいまだに謎です。(ネットで調べても出てこない)
DSC_1324

東山公園グラウンドからパシャリ。
木が生い茂って佐和山城の看板に掛かっているのが残念です。
DSC_1320

車を移動させて佐和山城登城口の駐車場へ。
龍潭寺の正面にあります。
DSC_1328

龍潭寺の横から登っていくハイキングコースです。
×印のところは通行止めのようです。夏の台風や豪雨の影響でしょうか、結構通行止めが多いです。
DSC_1327

DSC_1325

「三成会議」という興味深い看板。
描かれている佐和山城は、一層目~五層目までほとんど同じ幅という構造的にかなり無理のある作りです。
DSC_1326

龍潭寺のすぐ脇にハイキングコース入り口があります。
DSC_1331

DSC_1332

関ケ原の戦い~佐和山城落城に至るまで石田三成に仕えて死んだ霊が祀られています。
DSC_1333

少し行くと石田三成の像です。
DSC_1334

信長の野望や戦国無双などのコーエー作品では、↓のような見た目の扱いになっているので、↑の像はなんか拍子抜けするほど地味ですね。まあ、当時の奉行はいまでいえば公務員の位置づけなので、こんなものでしょうか。

DP39L6eU8AAqAqw
NEOGDS-179051

龍潭寺の山門を登っていきます。
DSC_1336

一瞬早朝なので閉ざされているのかと思いましたが、横の扉を開けていて通れそうです。
DSC_1337

再び登城ルートを確認。
やはり「拝観時間外は通行不可」と書かれていますが、こっそり開けて頂いているようです。
ありがたやありがたや。
DSC_1338

山門をくぐって龍潭寺の中へ。
龍潭寺は浜松の井伊家の菩提寺を分寺したものらしいですが、苔むしていてなかなか良い感じのお寺です。
DSC_1339

七福神。ありがたやありがたや。
DSC_1340

墓地の方へ抜けていきます。
DSC_1341

山城攻略では「熊注意」はよく見かけますが、「野猿注意」ははじめてですね。
群れでこられたら熊よりたちが悪いかも?
熊鈴は効くのでしょうか?
DSC_1342

墓地の横の急坂を登っていきます。
DSC_1343

山城なので当然トイレはありませんね。
DSC_1345

ここから階段です。
DSC_1346

狭い山道を登っていきます。
DSC_1347

分岐点に来ます。
右に行けば本丸。左も尾根伝いの登城路ですが、通行止めになっています。
DSC_1348

本丸方面へ。なかなかの悪路です。
DSC_1349

西の丸の端っこに位置する塩証櫓跡に到着です。
ここは火薬庫になっていたといわれています。
碑が折れて横たわっていて無残です。
DSC_1350

中央に大穴が空いていますが、なんのための穴かは定かではありません。
DSC_1352

DSC_1354

周囲は土塁になっています。
DSC_1355

さらに本丸方面へ登っていきます。
倒木が激しいです。
2018年夏の台風や豪雨の爪痕でしょうか。
DSC_1353

DSC_1375

めげずに本丸方面へ!
DSC_1356

こちらは西の丸の竪堀です。
DSC_1358

西の丸跡の説明板。
DSC_1357

さらに本丸方面へ登っていきます。
DSC_1359

本丸跡(山頂)へ到着!
DSC_1364

残念ながら見るべきところは少ないです。
DSC_1365

湖東の景色が良く見えます。
DSC_1366

見える景色は三成の眺めた景色と同じでしょうか。
DSC_1361

DSC_1363

DSC_0661

本丸散策もそこそこに再び龍潭寺方面へ下っていきます。
DSC_1368

樹々や倒木を避けながら下山。
DSC_0663

DSC_0665

再び龍潭寺に戻ってきました。
DSC_1376

よく見ると境内の壁は漆喰ではなく瓦が詰め込んである変わった造りです。
これは鉄砲を防ぐための造りだと言われています。
DSC_1378

再び三成公像。
DSC_1380

最後にこちらも井伊家の菩提寺である清涼寺に立ち寄ります。
石田家統治時代は島左近の屋敷があった場所になります。
DSC_1381

DSC_1382

早朝なので誰もいませんね。
DSC_1383

立派な作りの本堂です。
DSC_1384

三成オシの管理人としては、佐和山城は「ようやく来れたか」という思いでしたが、意外とアッサリ終わってしまい少し残念です。また、通行止めが解除されれば大手(東側)からのルートも攻略してみたいです。

<公式パンフレット>
コチラからダウンロードできます。

■事前学習コンテンツ

映画『関ヶ原』
上記の司馬遼太郎作品の映像化作品で、2017年8月26日公開。
3000人のエキストラと400頭の馬を使い、彦根城や姫路城などの国宝級の建造物をロケ地としてふんだんに使った撮った歴史大作。大迫力の作品であるため、是非、映画館での観覧をおススメしたい。
石田三成を主人公に置いており、演じているのは大河ドラマ「軍師官兵衛」で黒田官兵衛を演じた岡田准一です。はまり役です。

o0848120014018954049

■あわせて巡りたい

彦根城<日本百名城No.50>
関ケ原の合戦の後、佐和山城は落城し、徳川家譜代の井伊直政が佐和山城に一時入城しますが、すぐにこの彦根城を築城し、本拠を移します。以後、明治維新まで井伊家が藩主を務める彦根藩の藩庁が置かれます。どうせ佐和山城に来られるのであれば、目と鼻の先(2.2km、徒歩30分程度)にあるのであわせて訪れましょう。

■城データ
  • 城名        佐和山城
  • 種別        山城
  • 登城日       2018年10月7日(日)
  • 住所        彦根市古沢町1104(龍潭寺)
  • 電話番号      0749-22-2777(龍潭寺)
  • 公式HP      滋賀・びわ湖観光情報
  • 入場料       無料
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   90分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       登山に適した服装で。
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★★☆(びわ湖が天然の堀になっています)
  • 歴史に浸れる度   ★★★☆☆(意外と浸れなかった・・・)
  • 他では見れない度  ★★☆☆☆(もう一ひねりが欲しいところ)
  • 総合評価      ★★★☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★★★☆(名神高速沿いにあります)
  • 登城のしやすさ度  ★★★☆☆(山城の中ではやさしい方です)
  • 分かりやすさ度   ★★☆☆☆(解説板などは少なめ)
  • 景観度       ★★★☆☆(山頂からの景色は良い)
  • 女性と行ける度   ★★★☆☆(軽めのハイキングとして)
  • 総合評価      ★★★☆☆

コメント

タイトルとURLをコピーしました