■概要
宇和島8万石の藤堂高虎が関ヶ原合戦前夜の慶長元(1596)年に築城を開始し、関ヶ原の戦い直後の慶長6(1601)年に完成させたお城。藤堂高虎は関ヶ原の戦いで西軍に与した功で、今治12万石を加増されて、伊予20万石の大名に昇進しています。
<築城名人で立身出世の代名詞とも言われた藤堂高虎(津城公園にて)>
標高74mの丘陵の頂上に本丸を置き、周辺を二ノ丸・藤兵衛丸・代右衛門丸・長門丸といった曲輪群で固めていました。さらに、築城当時、西側は海に接しており、丘陵の周辺は海水を引き込んだ水堀としていました。更に外側は、城下町を囲う形で神田川・辰野川が天然の外堀となり、さらに外側は山に囲まれていたため、攻めようにも攻めるルートの無い城だったと思われます。
また、宇和島城の縄張りは外から見ると四角形に見えますが、上空から見ると実は五角形になっています。これは、寄せ手を錯覚させることで、死角となっている一角から攻撃を繰り出したり、矢弾を貯蔵したり、敵の意表を突くことを目的とした、「空角の経始(あきかくのなわ)と呼ばれる藤堂高虎の設計です。
現在は海も堀も埋め立てられ、天守は、藤堂高虎に代わって、江戸時代に東北の英雄・伊達政宗の庶子・秀宗が宇和島藩主に封じられ、2代目宗利のときに再建築されたときのものが現存しています。
■見どころ
現存の天守は、泰平の江戸時代に作られたため、小さいながらも破風で装飾された華麗な外観です。
天守というより御殿のような外観です。
また、城の縄張りは高虎時代のものがそのまま使われており、難攻不落ぶりも同時に体感できることでしょう。
管理人が特におススメするのは、登城路で見られる生い茂った林の中に苔むした石垣が並ぶ景色です。
(こういうのを「幽玄の美」というらしいです)
高虎時代の難攻不落ぶりと、伊達宇和島藩の壮麗な天守、そして時代を感じさせる石垣を眺めながら、歴史に思いを馳せましょう。
■写真&散策記
松山から宇和島まで2時間弱車を走らせて、登城前に腹ごしらえということで、ご当地グルメの「宇和島鯛めし」を食べに、城下町の「ほづみ亭」にお邪魔しました。
愛媛県が誇るご当地グルメ「鯛めし」にも二種類あって、松山のあたりでは「松山(北条)鯛めし」、宇和島を含む南予方面では「宇和島鯛めし」が一般的です。
両者の違いは、ご飯の上に乗せる鯛が、松山鯛めしの場合は火が通してあって、宇和島鯛めしは生であるという点です。
個人的には、宇和島鯛めしの方が好きですが、松山の方の知人に言わせると「生の鯛なんか気持ち悪くて食えん」、だそうです。
余談はさておき、三ノ丸にある駐車場に車を停めて攻城開始です。
城門は、宇和島藩の家老だった桑折氏の武家長屋門です。
石垣と民家の間を通って天守へ。
鬱蒼とした林の石段を登っていきます。
石垣跡が見えてきます。
本丸へ登ると宇和島の海が見えてきます。
二ノ丸修復用と思われる採石が積んであります。
そして、奥が天守!
小ぶりですが、青空に映えてとても綺麗な天守です。
破風の装飾が、防衛用の城とは趣が異なっていて面白いです。
天守の一階。
なんと現存天守にも関わらず写真撮影可とのことなので、驚きです。
天守の最上階(三階)です。
年始ということで、かがみもち!が備えてありました。
再び登城口の桑折武家長屋門に戻ってきました。
長屋門近くの「海鮮割烹 一心」には三ノ丸の井戸跡があって、御手水に使えるようになっています。
「海鮮割烹 一心」は三ノ丸御殿が建っていたあたりになります。
<公式パンフレット>
宇和島市の公式HPからダウンロードできます。
- 城名 宇和島城(鶴島城)<日本百名城No.83>
- 種別 平山城
- 登城日 2019年1月4日(金)
- 住所 愛媛県宇和島市丸之内1丁目3−2(海鮮割烹 一心)
- 電話番号 0895-24-6698(海鮮割烹 一心)
- スタンプ設置場所 天守受付
- 公式HP 宇和島市公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 有料・100円/時間(市営城山下駐車場)
- 所要時間の目安 90分程度
- 混雑度 中
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★★★☆(築城名人・藤堂高虎の設計)
- 歴史に浸れる度 ★★★★☆(現存天守と苔むした石垣が素敵です)
- 他では見れない度 ★★★★★(装飾的な天守が独特です)
- 総合評価 ★★★★☆
- アクセス性 ★☆☆☆☆(宇和島って四国の中でも特に不便です)
- 登城のしやすさ度 ★★★☆☆(それなりに階段は登ります)
- 分かりやすさ度 ★★★★☆(解説板も豊富にあります)
- 景観度 ★★★★★(天守からの景色と天守そのもの、石垣)
- 女性と行ける度 ★★★★★(十分可能です)
- 総合評価 ★★★☆☆
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