長浜城 ~「秀吉の出世城」と呼ばれる湖岸の城

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■概要

豊臣(羽柴)秀吉が初めて城持ち大名となった記念すべき城で、滋賀県北部の琵琶湖岸に建てられていました。

織田信長は、自身の妹・お市を嫁がせながらも信長を裏切った北近江の覇者・浅井長政小谷城に滅ぼし、浅井攻めに大功のあった秀吉に北近江の地を与えます。

<小谷城石垣>
山王丸石垣

秀吉は、堅固ではあるが経済発展に不向きな山城である小谷城を捨てて、琵琶湖岸の今浜の地に、築城します。その際に、秀吉は「今浜」だった地名を、信長公から一字もらい「長浜」に改称することで信長のご機嫌を取ったと言われています。

また、秀吉は城持ち大名に大出世したことを同僚に妬まれないように、「木下」であった自身の名字を、当時織田家の宿老であった丹羽・柴田の両名から一字ずつもらい、「羽柴」と改名します。

まさに出世するサラリーマンの鑑のような立ち回りであったと言えます。

羽柴と長浜

また、秀吉は築城にあたっても単に新築するのではなく、小谷城で使われていた資材をリサイクルするという経済的な手法を取りました。実り豊かな近江の地を得た秀吉は、この地を本拠として以降うなぎ上りに出世していくこととなります。

<長浜城天守から望む現在の長浜市街>
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以後、秀吉の中国攻めに伴って、秀吉の代わりに信長の側近・堀秀政が入城します。

信長が本能寺の変で倒れた後の清須会議では、柴田勝家が長浜城の領有権を主張し、秀吉は勝家の甥の勝豊が城主となることを条件に長浜城の領有権をあっさり譲歩しますが、その後秀吉は勝豊を調略して見事自軍側に取り戻すことに成功します。秀吉は天下人となった後も、この長浜を第二の故郷として大事に扱ったと言われています。

<長浜城本丸石垣と模擬天守>
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その後、山内一豊内藤信成・信正が城主を務めますが、大坂の陣終了後、長浜藩の本拠は彦根城となり、長浜城は廃城となります。

小谷城から移築されて出来た長浜城でしたが、彦根城の天秤櫓など、長浜城の建築物の一部はそのまま彦根城に移築されています。

<彦根城の天秤櫓>
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■見どころ

長浜城のあった場所には、模擬天守が建っていますが、残念ながら当時の姿を再現したものでは無く、犬山城などの他の城を参考にして建てられたものです。

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しかしながら、琵琶湖の雄大な景色と、琵琶湖の水運に直結して経済発展を狙った秀吉の知略と、天下取りの端緒となった長浜の地に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

<長浜城天守最上階からの眺望>
当時は城に舟を直付けすることが出来、琵琶湖の水運と直接接続されていました。
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■公式パンフレット
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■城データ
  • 城名        長浜城(今浜城)
  • 種別        平城
  • 登城日       2018年12月15日(土)
  • 住所        滋賀県長浜市公園町10-10
  • 電話番号      0749-63-4611
  • 公式HP      長浜城歴史博物館公式HP
  • 入場料       有料(大人400円)
  • 駐車場       無料(3時間以内)
  • 所要時間の目安   40分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★☆☆☆(防衛より経済重視)
  • 歴史に浸れる度   ★★★☆☆(模擬天守なのが残念)
  • 他では見れない度  ★☆☆☆☆(もう少し工夫がほしいところ)
  • 総合評価      ★★☆☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★★☆☆(名神ルート沿いの琵琶湖岸です)
  • 登城のしやすさ度  ★★★★★(何の苦労も無いでしょう)
  • 分かりやすさ度   ★★★★☆(解説など豊富にあります)
  • 景観度       ★★★☆☆(琵琶湖の眺望を楽しみましょう)
  • 女性と行ける度   ★★★☆☆(奥琵琶湖観光のついでに)
  • 総合評価      ★★★☆☆
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