No.28 小諸城

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■概要

小諸城は、信濃守護代・大井氏(武田信玄の母・大井夫人の家)によって築城され、武田信玄の領国における東方面防衛のため、山本勘助によって縄張りされたとされる城である。普通の城は、城下町より高い位置に曲輪が位置するのが一般的であるが、小諸城は市街地より低い場所に位置することから、通称「穴城」と呼ばれる。武田信玄・勝頼の両時代において、親族衆が城主・城代を務めていたことから、武田氏領国経営の重要拠点であったことがうかがえる。

織田・徳川氏による甲州征伐の際には、武田氏一門衆の下曾根浄喜(しもぞねじょうき)が城代を務めていたが、浄喜は小諸城に逃げ込んできた親族衆・武田信豊の首を斬って信長に献上して降伏開城。その後、織田家重臣の滝川一益が周辺一帯の小県(ちいさがた)郡を含めて治めることとなるが、本能寺の変で信長が倒れると、関東の支配者・北条氏政は滝川一益が支配する上野に侵攻し(神流川の戦い)、敗れた滝川一益は小県郡を捨てて、伊勢長嶋に逃亡。

その後、佐久郡の国人衆・依田信蕃(よだのぶしげ)が小諸城を治めるが、信蕃の死後、徳川家康が統治することとなる。徳川家康は、秀吉の九州征伐において敵前逃亡の罪により秀吉から追放されていた仙谷秀久(せんごくひでひさ)が、復帰戦である小田原征伐で勲功のあったことにより小諸城主5万石に取り立てられ、二の丸、黒門、大手門を作り、城下町を整備するなどの大改修を行った。

関ヶ原の戦いにおいては、3万3000人の兵を率いて東海道を西進する家康隊とは別に、3万8000人の本隊を率いて嫡男・秀忠が中山道を経由して西進したが、秀忠隊が上田城に籠る真田昌幸の少勢に阻まれ(第二次上田合戦)、結局関ヶ原の戦いに間に合うことが出来なかったというエピソードは有名な話であるが、上田城攻め際に徳川秀忠隊が本陣を張ったのが、この小諸城・二ノ丸である。

<参考:小諸城公式パンフレットより抜粋>
小諸城パンフ見開き

後に、仙谷秀久は上田城に転封され、その後は松平氏をはじめとする小諸藩主が藩庁として居城した。

防御施設としてみると、小諸城は城郭区域全体が深い谷に囲まれてあり、さらに二の丸~本丸間も紅葉谷と呼ばれる谷で分断されている。また、大手門からみて最も奥の部分にあたる本丸・天守台については、谷の奥に千曲川も流れており、攻め落とすのは一筋縄ではなかったと推測される

また、小諸は北国街道の宿場町であったが、大手門前を南北に走る北国街道からは標高差が約30mあり(小諸城の方が低い)、かつ小諸城の周囲を取り囲む深い谷の周りをさらに武家屋敷で囲んでおり、街道からは城の設備が見えないようにできているため、城の構造を容易に知ることができなかったといわれている。

■見どころ

城跡は現在「懐古園」とよばれる公園に整備されており、園内には動物園や遊園地もあり、しなの鉄道小諸駅は、大手門と三の門の間を走るしなの鉄道の駅であり交通も至便なため、このあたりの中心的なレジャー施設の様相を呈しているが、戦国マニアのあなたは、動物園や遊園地の観光客に惑わされることなく、日本で唯一といわれる不思議な「穴城」を存分に堪能していただきたい。

懐古園チケット

※ちなみに、「懐古園」という名称は徳川家16代当主家達が名付けた名前で、三の門に彫られている「懐古園」の額は家達の筆によるものだそう。

見どころとしては

・仙谷秀久が作った「大手門」(現存)
・徳川秀忠が第二上田合戦で駐屯した駐屯した「二の丸」(石垣が現存)
・黒門跡橋・黒門跡をわたって本丸・天守台跡へ(石垣が現存)
・穴城を取り囲む「紅葉谷」

は是非見て頂きたい。

個人的には、本丸北側の酔月橋付近から眺める紅葉谷が圧巻だった。

<酔月橋付近から眺める紅葉谷と水の手展望台>酔月橋から見る堀切と水の手展望台

大手門は三の門から見て懐古園の反対側になるため、しなの鉄道の線路を渡って(地下通路)行く必要があるのでご注意を。大手門の横で三の丸石垣も見れる。
ちなみに大手門・三の丸石垣・三の門については無料で見ることができる。

ちなみに、懐古園は散策・駐車ともに有料で、私も勿論それぞれお金を払いましたが、閉園時間(17時)を過ぎた後は誰でも園に入場できるようになっていました(閉園後を見計らって犬の散歩に入ってくる地元民の姿も・・・)。そして、有料Pではなく、園前のスペースに停めて散歩されている方も・・・・

小諸きっての一大レジャーランドも閉園時間を過ぎると無法地帯となるようですが、皆さんはあまり参考にされないよう(笑)

<三の門(大手門側から)>
三の門2

<三の門(懐古園側から)>
三の門

<二の丸石垣>
二の丸石垣

<二の丸へ>
二の丸へ向かう階段

<秀忠が第二次上田合戦で本陣を張った二ノ丸>
二の丸

<黒門跡から本丸へ>
黒門橋から本丸跡へ

<本丸跡>
本丸跡の小諸城址碑

<天守台石垣>
天守台石垣2

<天守台跡>

天守台跡

<小諸射院>
小諸懐古射院

小諸懐古射院3

<大手門>
大手門2

<おまけ:大手門付近に住みついていると思われる猫>
大手門に定住している猫

<懐古園公式パンフレット>
懐古園パンフ表

懐古園パンフ裏

■事前学習コンテンツ

・大河ドラマ「真田丸」
武田氏が滅亡し、真田氏が大名として独立してから大阪の陣で真田昌幸・幸村親子が
滅びるまで真田氏の一連の歴史を知ることができます。
第二次上田合戦についても描かれています。
草刈正雄演じる一癖も二癖もある真田昌幸の謀将ぶりをご堪能ください。


■おすすめグルメ

・レストラン真田乃庄
(住所:長野県東御市和1543-1 TEL:0268-62-3980)
小諸城から車で20分ぐらいのところにある家庭的な定食屋さんです。
真田にあやかった名前の店ですが、真田らしきメニューは無くハンバーグやカレーなど一般的なレストランメニューです。おススメが「馬肉うどん」で、たっぷりの馬肉が入ったすき焼き風だしのうどんですが、なんと630円という破格の安さ!
小諸城から上田城に移動される方はぜひお立ち寄りください。

箸袋

■城データ

  • 城名        小諸城(こもろじょう)
  • 登城日       2017年8月17日(木)
  • 住所        長野県小諸市丁311
  • 電話番号      0267-22-0296(懐古園事務所)
  • 公式HP      小諸城址・懐古園
  • 入場料       有料 ※ただし閉園時間後は無法地帯に・・・
  • 駐車場       有料
  • 所要時間の目安   120分程度
  • 混雑度       中
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★☆☆(なかなか堅固な作りです)
  • 歴史に浸れる度   ★★☆☆☆(第二次上田合戦の秀忠軍本陣跡です)
  • 他では見れない度  ★★★★★(日本で唯一の「穴城」です)
  • 総合評価      ★★★★☆
~行楽地として~
  • アクセス性     ★★★★★(インターからも駅からもとても近い)
  • 登城のしやすさ度  ★★★★★(広いですが、きちんと整備されています)
  • 分かりやすさ度   ★★★★★(解説パネルやパンフも充実。分かりやすい)
  • 景観度       ★★★★☆(富士見台から富士山が見えるかも!?)
  • 女性と行ける度   ★★★★★(動物園・遊園地もあります)
  • 総合評価      ★★★★★

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