■概要
元々は、中国地方と北九州地方を制した毛利氏が築いた城で、高橋鑑種(大友氏)や毛利勝信(豊臣氏)らが城主を務めました。関ヶ原の戦いの後に、東軍で参戦した功により細川忠興が豊前・豊後39万9千石で入封し、1602年に掛けて改築に着手し、7年で完成させました。
細川氏は本城を豊後の中津城に置いていましたが、細川氏が肥後に転封後、豊前15万石で入封した小笠原忠真は、小倉城を本城として居城しました。
以後幕末まで小笠原氏が城主を務めますが、幕末に掛けて天守閣が焼失し、それ以降天守は再建されませんでした。しかし、明治時代以降は、城内の松ノ丸に陸軍の司令部が置かれるなど、引き続き軍事機能は果たしました。
戦後、北九州市民の熱望により復興天守が作られましたが、細川忠興が築いた城では破風は天守の最上階にしか付けられていないノッペラボーな城だったのを、地元商工会からの「破風が無ければ天守らしくない」という強い要請により、大入母屋破風や千鳥破風・唐破風などの破風が追加されてしまったため、史実とは大幅に異なる天守の外観となってしまいました。
<史実を元に再現された小倉城天守のイラスト>
(出典:Wikipediaより)
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■見どころ
40万石の細川氏が作っただけあって、地方都市でありながら豪華な城であったことが推測できます。
しかしながら、せっかく予算を掛けて復興天守を築く際に、史実にはなかった破風などを大量に付けてしまって、他の都市におある凡庸な模擬天守に近いような位置づけにしてしまっているのが残念です。
折角、珍しいノッペラボーな外観であったなら、ぜひそのまま復元して頂いて個性を主張して頂きたかったものです。
■散策記&写真
昨日、鹿児島出張があり、自腹で一泊して久留米城⇒水城⇒小倉城の順に攻城しておりまする。
JR西小倉駅を下りて、まずは北堀から散策スタート。
当日、小倉は雪でした。全国的に大寒波が来襲している日ではありましたが、九州で雪まで降っているのは小倉のみでした。カメラを持つ手も寒いため、足早での散策です。
当時、北ノ丸のあった八坂神社から入城して、多聞口門⇒着見櫓⇒天守閣⇒槻門⇒大手門の順に回っていくことにします。
当時、北ノ丸のあった八坂神社です。
どデカいお多福が出てますが、節分祭のためのものだそうです。
本丸石垣と本丸堀です。
当時は水堀になっていましたが、今は空堀になっています。
なんと!
管理人が見学に行った際は、天守閣のリニューアルとエレベーター設置工事のため、入館不可でした。
残念・・・
続日本百名城スタンプは庭園の方で押せるようです。
しかし、天守にエレベーターを設置するのはいただけませんね。。
名古屋城の例を見習ってほしいものです。
こちらは本丸⇒天守閣の入り口となっていた「槻(けやき)門」。
「大手門」から城外へ。
やはり福岡第二の都市の城だけあって規模も大きいですね。
大手門前も「しろテラス」なる土産屋&観光案内所建設中でした。
続日本百名城スタンプは、当時「馬屋」のあった小倉城庭園で押すことが出来ました。
このまま小倉駅の方まで歩いていきます。
最寄りは西小倉ですが、小倉も歩いて20分ぐらいで行けます。
小倉城と小倉との間には「柴川」と呼ばれる大きな川が流れており、小倉城の天然の堀となっていました。(小倉城の堀も柴川の水を引き込んでいました)
小倉城のある西小倉の側には侍屋敷、小倉駅の側には町人屋敷という風に町割りがされていましたが、町人屋敷のあった小倉駅側が発展して現在に至っているようです。
以上で散策終了!
- 城名 小倉城(勝山城、湧金城)<続日本百名城No.181>
- 種別 平城
- 登城日 2019年1月26日(土)
- 住所 福岡県北九州市小倉北区城内2-1
- 電話番号 093-561-1210
- スタンプ設置場所 天守
- 公式HP 小倉城公式HP
- 入場料 有料(天守閣/大人350円)
- 駐車場 なし(周辺有料P利用)
- 所要時間の目安 60分程度
- 混雑度 中
- 注意点 特になし
~城として~
- 難攻不落度 ★★★☆☆(大規模な惣構えのお城です)
- 歴史に浸れる度 ★★☆☆☆(江戸期のお城なので・・・)
- 他では見れない度 ★★☆☆☆(当時の天守を復元してほしかった)
- 総合評価 ★★☆☆☆
- アクセス性 ★★★★☆(新幹線駅からも歩けます)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(それほど広くない平城です)
- 分かりやすさ度 ★★★☆☆(解説もそこそこあります)
- 景観度 ★★☆☆☆(眺望はありません)
- 女性と行ける度 ★★☆☆☆(北九州観光とセットで)
- 総合評価 ★★★☆☆
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