■概要
「清州城」「清須城」両方の書き方がありますが、どっちでも良いようです。
本記事は清「州」城で統一しております。
室町時代の1405年(応永12年)尾張国の守護であった斯波義重が、守護所であった下津城の別郭として建設したのが清州城の始まりと言われています。
1476年(文明8年)に守護代であった織田家の内紛により下津城は焼失し、1478年(文明10年)守護所が清州城に移転することで、清州は名実ともに尾張国の中心地となります。
一時期、織田弾正忠家の当主・織田信秀が居城しますが、その後信秀は古渡城に移り、代わって清州織田家の織田信友が入城します。しかし、信秀の子・信長は、叔父・信光と組んで信友を殺害し、以降、信長は那古野城から清州城に移り、清州を本拠地とします。1560年(永禄3年)には、ここ清州城から桶狭間の戦いにも出陣しています。桶狭間の戦いで今川家が倒れた後、1562年(永禄5年)には信長と徳川家康がここ清州城で同盟を結びます(清州同盟)。
信長は美濃の斎藤氏を攻めるために小牧山城に移り、以降信長は天下統一に邁進しますが、志半ばにして本能寺の変で倒れ、その後後継者を決める会議がここ清州城で行われます。(清州会議)
結果、尾張国は次男・織田信雄の所領となり、信雄は清州城を天守閣を備えた、東西1.6km、南北2.8kmの巨大な城塞都市に生まれ変わらせます。
その後城主は、豊臣家から豊臣秀次、福島正則と移り、関ヶ原の戦いでは東軍に与した福島正則による東軍最前線の城となります。
関ヶ原の戦い後、城主は松平忠吉(家康四男)、徳川義直(家康九男)と移りますが、義直は家康の命令により築城された名古屋城に移り、町の建物・機能のすべてが名古屋城下に移転する「清須越」が行われます。名古屋城築城に際し取り壊した清州城の資材が再利用され、特に名古屋城御深井丸の西北隅櫓は、清州城天守の古材で作られたたてめ「清州櫓」とも呼ばれています。
現在、清州城はコンクリート復元されているが、創建当時の絵図が残っていないため、当時を想像して造られた模擬天守です。2010年1月に、フィギュアスケート選手で、自称・織田家の末裔の織田信成が名誉城主に就任しております。
■見どころ
天守閣は想像による模擬天守となりますが、わずかではありますが発掘された当時の石垣が展示されております。また、城内の展示は面白い趣向となっており、さすが信長を産んだ尾張の城という感じがしました。信長が天下取りに動き出した城で歴史に思いを馳せましょう。
■写真&散策記
駐車場に車を停めて、川をわたって本丸に向かいますが、実は当時の本丸は駐車場側にありました。
下のマップで言うところの清州城古城公園が本丸のあったところです。
写真で言うと本当の天守閣は写真の手前側になります。
マップにある通り、清州城の本丸はJR東海道線で分断されており、残念ながら本来の位置で復元が出来なかったようです。
というわけで川の手前側に発掘された本丸の石垣があります。
こっち側に天守復元してくれたら良かったのに・・・とても残念。
清州城の天然の堀であった五条川をわたって模擬天守に向かいます。
模擬天守とはいえなかなか立派です。
青空と枯山水の庭園が良い雰囲気を出しています。
「信長塀」です。
あの桶狭間の戦いで、熱田神宮に戦勝祈願をし、勝ったお礼に奉納した塀をモデルにしたもの、だそうです。
天守の中は色々と趣向がこらしてあり面白いです。
石落としの人がいるのにびっくりしました。
なんと戦国スポーツ新聞。本物の名古屋の新聞社(中日新聞)がプロデュースしてます。
個人的には台湾ツアーの旅行会社が九鬼水軍ってところにツボりました。
天守閣最上階からの眺望。川の向こう側が本来の本丸ですが、見事にJRに分断されてしまっています。
天守閣を後にして、当時の本丸跡(清州古城公園)の方にやってきました。
城址碑がひっそりと建っています。
模擬天守とは言え、本来の位置での復元であれば、織田信長の天下統一の出発点であり、清州会議が行われた重要な城であることを鑑みると、もしかしたら続百名城ぐらいは取れたかもしれませんね。
模擬天守が結構立派なものだっただけに、少し残念でした。
以上で散策終了!
■事前学習コンテンツ
- 城名 清州城(清須城)
- 種別 平城
- 登城日 2019年8月10日(土)
- 住所 愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
- 電話番号 052-409-7330
- 公式HP 清洲城公式HP
- 入場料 有料(大人300円)
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 60分程度
- 混雑度 小
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★★☆☆(堅固だったのだと思いますが・・・)
- 歴史に浸れる度 ★★☆☆☆(せめて天守が元の位置にあれば)
- 他では見れない度 ★★☆☆☆(天守閣内の展示は面白いです)
- 総合評価 ★★☆☆☆
- アクセス性 ★★★★☆(車でも電車でもまあ便利です)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(無問題です)
- 分かりやすさ度 ★★★★★(解説や案内豊富にあります)
- 景観度 ★☆☆☆☆(まったく期待できず)
- 女性と行ける度 ★★☆☆☆(そもそも歴史に興味がないと厳しいかも)
- 総合評価 ★★★☆☆
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