■概要
14世紀初頭に勝連按司によって築かれた城とされます。(12世紀には既に築城が始まっていたとされる説もあり)
10代目勝連按司・亜麻和利(あまわり)の城として有名です。亜麻和利は悪政をしいていた9代目勝連按司の茂知附按司に対してクーデーターを起こして10代目勝連按司となりました。亜麻和利は、琉球では麒麟児(天才児)とうたわれ、当地に善政をしきましたが、勢力拡大に危機感を感じた琉球国王の尚泰久は、重臣である護佐丸を対岸の中城城に住まわせてけん制しつつ、娘の百度踏揚(ももふくとふみあがり)を嫁がせることで懐柔しようとしました。
しかし、亜麻和利は、中城城の護佐丸に謀反の疑いがあると王府へ讒言して護佐丸を自害させて除き、その後自身も王府打倒へ動き出しますが、妻の百度踏揚に察知され、差し向けられた王府軍によって滅ぼされます。
以降、勝連城は廃城となりますが、城内の御嶽は地域の人びとの拝所として残ります。
■見どころ
半島の丘陵上の断崖に築かれた城郭で、遠くからでも石灰岩で作られた白亜の城壁を見ることができます。現地では、緑の芝生に映える西洋の城塞のような曲線を描いた城壁に圧倒されます。
山頂に位置する一の曲輪からは、遮るものもなく、周囲が海に囲まれた抜群の眺望を見ることができます。
■写真&散策記
勝連城跡休憩所に車を停めて、続日本百名城の記念すべき200番のスタンプを押してから散策スタートです。
散策ルートは、西原御門から入って一の曲輪をめざしていく流れです。
防御田地と呼ばれる場所です。
かつて勝連城の周辺は底なし沼といわれるほどの湿地帯で、城の防御ラインとして活用されました。
平時においては田地として利用し、収入にも繋げていました。
「門口のカー」です。
カーとは沖縄では井戸のことを指します。門口のカーは入城者の手足を清めるための場所でした。
「マチダ・ナゲージガー」
こちらはカーの中でも神々に繋がる泉として300年以上続く神聖な祈りの場です。
四の曲輪は西側に更に低めの城壁で区切られた曲輪があります。
右上に見えているのは、やはり井戸の「ウタミシガー」です。
勝蓮城の城壁をバックに。
グスク独特の湾曲した城壁です。
西洋の城塞みたいです。見たことありませんが・・・
こちらは「ミートゥガー(夫婦ガー)」という井戸です。
男女が逢瀬を楽しんだ場所から転じて、縁結びの神様の位置づけになっています。
三の曲輪には、「トゥムヌトゥ(神々の腰掛け)」があります。
旧暦2月と5月に行われるウマチー(収穫祭)のときに、神人(カミンチュ)が腰かけた石です。
こちらは三の曲輪から数段登った二の曲輪。
二の曲輪は役所の役割をしていたといわれており、建物の柱の跡があります。
ウミチムン(火の神)です。
どこのグスクにも火の神が見られますが、沖縄では「かまどの神」として各家庭の台所にも祀られたそうです。
一の曲輪に到着!
本日はあいにくの天気ですが、周りには何も遮るものがなく、とても気持ちが良いです。
一の曲輪は貴重品を保管する倉庫などがあったと言われています。
「玉ノミウヂ御嶽」と呼ばれる、按司(地方の首長)の守り神です。
二の曲輪の洞穴(ウシヌジガマ)まで繋がっているとも言われています。
以上で散策終了!
■公式パンフレット
コチラからダウンロードできます。
- 城名 勝連城(かつれんぐすく)<続日本百名城No.200>
- 種別 山城
- 登城日 2019年7月6日(土)
- 住所 沖縄県うるまし勝連南風原3908
- 電話番号 098-978-7373(勝連城跡休憩所)
- スタンプ設置場所 勝連城跡休憩所
- 公式HP 勝連城跡公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 40分程度
- 混雑度 中
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★★☆☆(単独丘陵に造られた堅固な山城です)
- 歴史に浸れる度 ★★★★☆(護佐丸・阿麻和利の乱の歴史に思いを馳せる)
- 他では見れない度 ★★★★☆(西洋の城塞のようです)
- 総合評価 ★★★★☆
- アクセス性 ★★☆☆☆(レンタカーは必須)
- 登城のしやすさ度 ★★★★☆(山城とはいえ整備されていて回りやすい)
- 分かりやすさ度 ★★★★☆(解説板も綺麗に整備されています)
- 景観度 ★★★★★(一の曲輪からの眺望は抜群)
- 女性と行ける度 ★★★★☆(ミートゥガーに行きましょう)
- 総合評価 ★★★★☆
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