概要
天下に名だたる鉄砲傭兵集団として織田信長を苦しめ続けた紀州勢(雑賀・根来衆)を、信長死後に羽柴(豊臣)秀吉が紀州征伐において討伐した後に、秀吉が弟・秀長に築城を命じた城。普請奉行は織田・豊臣配下の築城名人で知られる藤堂高虎。1586年(天正14年)、桑山重晴が3万石を与えられ、城代に据えられました。その後、江戸時代に出火と再建を繰り返しますが、明治の廃城令にて多くの建造物が破却され、第二次大戦におけるアメリカの和歌山大空襲にて天守を焼失します。戦後、県民を中心に町のシンボルとなる天守復興の機運が高まり、1958年(昭和33年)に天守群鉄筋コンクリートにより再建されました。
見どころ
広大な敷地に張り巡らされた高石垣と多聞櫓に囲まれた大規模な連立天守で、表坂・裏坂から登城することで藤堂高虎が築城した名城の堅城ぶりを感じることができます。個人的には、1県に1城しかない百名城で、かつ鉄筋コンクリート造りなのであまり期待はしていなかったのですが、和歌山の町のシンボルとしてふさわしい壮大で見ごたえのあるお城でした。駐車場から天守付近への近道として「新裏坂」というものがありますが、近世になって建築された坂であるため、戦国時代の歴史に浸るためには、多少遠回りになりますが「表坂」もしくは「裏坂」から登城ください。

正面から見上げる天守

別の角度から見上げる天守

門内櫓
公式パンフレット
あわせて巡りたい
・根来寺
根来衆の中心拠点であり、豊臣秀吉が紀州征伐の際に僧兵が最後まで抵抗した拠点
・雑賀城
雑賀衆の頭領であり、「孫一」の名で知られる鈴木佐太夫が築城した山城
(遺構はほとんど残っておらず、ぱっと見た感じただの公園の裏山なので、マニア向け)
城データ
- 登城日 2017年6月3日(土)
- 住所 和歌山県和歌山市一番丁3番地
- 電話番号 073-422-8979
- 公式HP 史跡 和歌山城
- 入場料 有料
- 駐車場 有料
- 所要時間の目安 90分程度
- 混雑度 中
- 注意点 特になし
※管理人が登城時の情報です
管理人の勝手な評価
~城として~
- 難攻不落度 ★★★☆☆(市街地ながら山上に高石垣を張り巡らして築城)
- 歴史に浸れる度 ★★★☆☆(藤堂高虎築城の堅城ぶりを感じることができます)
- 他では見れない度 ★☆☆☆☆(一般的な近世城城であり、コンクリート復元天守)
- 総合評価 ★★☆☆☆
~行楽地として~
- アクセス性 ★★★★☆(和歌山市街地の中心にありアクセス容易)
- 登城のしやすさ度 ★★★★☆(表坂・裏坂から昇る場合ちょっとだけハード)
- 分かりやすさ度 ★★★★☆(解説やパネルは豊富)
- 景観度 ★★☆☆☆(天守より和歌山市の街並みが見れます)
- 女性と行ける度 ★★★☆☆(日本庭園や御橋廊下など、女性も十分楽しめます)
- 総合評価 ★★★☆☆
コメント