湯築城 ~伊予の大名・河野一族の歴史ある名城

stamp

■概要

戦国時代まで、伊予国の守護であった河野氏が本拠地として築いた城です。

戦国時代末期の天正9年(1581年)以降、四国統一を目指す長曾我部元親が伊予国に侵入しましたが、河野家当主・通直は、毛利氏の援軍を得て何とか湯築城を守り抜きました。

しかし、天正13年(1585年)、天下統一を目指す羽柴秀吉が四国征伐に乗り出し、河野通直も湯築城で約1か月籠城しますが、小早川隆景の説得により降伏します。

その後、秀吉の子飼いであった福島正則が城主となりますが、正則は国分山城に本拠を移したため、湯築城は廃城となります。

慶長7年(1602年)、伊予藩主となった加藤嘉明は、現在の松山市街地に松山城の築城を開始し、伊予の本拠は松山城に移ることとなります。

■見どころ

松山城のような雄大な「城」とは対照的な、掻き上げの土塁と質素な武家屋敷によって構成される、戦国時代らしい無骨な「砦」です。

松山城も現存天守でもちろん素晴らしいお城ですが、どちらかというと江戸時代(しかも現存天守は江戸末期)のお城なので、戦国ファンとしてはこの湯築城にロマンを感じるのではないでしょうか!?

「信長の野望 創造」でも伊予国の本城はこの湯築城になっています!

伊予国に君臨する大名でありながら、最初に四国統一を目指す長宗我部に攻められ、その後天下統一を目指す秀吉に攻められるなど、戦国の歴史の荒波に揉まれたお城に思いを馳せましょう。

<公式パンフレット>
コチラからダウンロードできます。

■写真&散策記

湯築城は、松山では有名な道後温泉の温泉街にあります。
天守閣のような分かりやすい遺構は無いため、おそらく城に興味が無い方は素通りしてしまうでしょう。
(100名城スタンプラリーを始める前の管理人もそうでした)
現在は公園として整備されていて、松山市民の憩いの場としての性格の方が強そうなスポットになっています。

<湯築城大手門(東口)付近の広場>
DSC_2435

駐車場は北口と西口の2か所あります。(いずれも30分100円)
道後温泉本館もセットで行く方は、道後温泉本館駐車場に1時間は無料で停められるのでそちらがおススメです。

近隣の無料の駐車場としては、10分程度歩きますが、時期によっては「松山観光臨時駐車場」が開放されていますので、歩きが苦にならない方はコチラがおススメです。(開放時期は決まっているので、松山市公式HPで事前にご確認ください)

map

管理人はかなりの倹約家(ケチ?)なので、もちろん無料の松山観光臨時駐車場に停めて散策開始です。
湯築城公園の周りは道後温泉の観光客と思われる車がバンバン走っています。

DSC_2377

外堀を渡って城内に入ります。
戦国大名・河野通直が作ったとされる外堀です。
DSC_2380

案内看板がひっそりと立っています。
DSC_2381

外堀と土塁は土を掻き上げて作った原始的なものでした。
土塁のすぐ内側は道路になっていました。
DSC_2382

こちらは搦手門にあたる部分です。
DSC_2384

昔は木橋が掛かっていましたが、途中で外堀を埋め立てた土橋に変わったとの事です。
DSC_2385

DSC_2387

ここからは復元地区になっています。
手前は日本百名城スタンプも押せる湯築城資料館です。
スタンプ台の前にボランティアガイドの方がいらっしゃったので嫌な予感はしましたが、予想通り絡まれました。まぁ必要経費ですね。
ガイドの方の「100名城スタンプを押す瞬間ほど人生で緊張する瞬間は無い」という名言が妙に印象に残りました。
DSC_2390

土塀と武家屋敷。
DSC_2399

武家屋敷入口。
DSC_2401

なかなか広そうに見えますが、作りとしては1DKぐらいです。
DSC_2402

とはいえ結構広いです。
DSC_2403

こちらは「円形石積遺構」。何に使われていたかは不明とのことです。
トイレに見えますが、トイレだと必ず寄生虫の化石が見つかるけど、ここでは発掘されなかったそうです。考古学ってスゴイと感心しました(笑)
DSC_2404

武家屋敷の庭です。
排水溝のようなものも見えます。
DSC_2405

このように複数の屋敷が建っていて間が仕切られていました。
DSC_2407

右側は内堀の土塁です。
DSC_2409

内堀と内堀土塁も外堀と同様、掻き上げて作った簡易なものです。
高さ2メートル程度あります。
DSC_2411

外堀に戻ってきました。
道路と排水溝です。当時も今とほぼ同じ景色だと思われます。
DSC_2413

なんと城内には庭園や池もあったとのことです。
無骨な砦というイメージですが、意外と風情があったんですね~。
DSC_2416

こちらは「最大土坑」と呼ばれるもので、城内で最大の「ゴミ箱」だったとされています。
壊れた陶磁器や魚の骨、貝殻などが大量に出土しています。
DSC_2417

湯築城の一番の見せ場(?)である「土塁展示室」です。
DSC_2419

土塁の断面を内側から見せるという全国的にも珍しい試みです。
こうやって見ると相当な大きさですね。
DSC_2420

再び城内へ。
奥に見えるのは内堀の内側にある岩山です。
DSC_2421

ゴツゴツとしていて迫力がありますが、本壇にあたる場所からは特に何も発掘されていないそうで、この場所がどのような位置づけだったのかは不明だそうです。
城の中心部で山になっているので、さすがに城の中心となる曲輪があったとしか思えませんが。
DSC_2424

土杭(ゴミ箱)と復元屋敷です。
こんなに狭いお城なのにゴミ箱だらけですね。
臭いとか大丈夫だったのでしょうか!?
DSC_2427

湯築城の南東角にあたる部分に、裾石と呼ばれる土塁の基礎部分がしっかりと残っています。
DSC_2429

ぐるっと回って大手門(東口)の方へ向かいます。
大規模な遮蔽土塁が見えてきます。
DSC_2430

遮蔽土塁内側から。
大手門から入ってきたものに城内を見えないようにする工夫だったとされています。
高さもそれなりにあります。
DSC_2434

大手門の入ったところはグラウンドになっていて、松山市民の憩いの場となっているようで、城の面影はありません。
DSC_2435

本丸にあたる岩山に登っていきます。
岩崎神社という神社になっています。
DSC_2437

なかなかの傾斜です。
このあたりからめっきり人がいなくなります。
DSC_2438

岩崎神社の小さな祠です。
DSC_2439

更に上に登っていくと頂上に展望台が用意されています。
麓の公園と違って人が全くおらず、ひっそりとしています。
江戸期以降は「本壇」と呼ばれていましたが、特に遺構は見つかっていません。
DSC_2440

少し下りると「杉ノ壇」と呼ばれる丘陵広場です。
こちらも特筆すべきものはありません。
DSC_2444

最後に県指定文化財の「石垣湯釜」を見ていきます。
こちらは本館が出来る前のずっと古来から道後温泉の湯釜になっていました。
DSC_2446

良く見えませんでしたが、湯釜のてっぺんの宝珠には河野通直が一遍上人に書かせた「南無阿弥陀仏」が刻まれています。
DSC_2447

DSC_2448

という訳で、少し日も低くなってきたところで散策終了です!
DSC_2449

■城データ
  • 城名        湯築城(湯月城)<日本百名城No.80>
  • 種別        平山城
  • 登城日       2019年1月5日(土)
  • 住所        愛媛県松山市道後公園
  • 電話番号      089-941-1480
  • スタンプ設置場所  湯築城資料館(城内)
  • 公式HP      道後公園・湯築城跡公式HP
  • 入場料       無料
  • 駐車場       有料(100円/30分)
  • 所要時間の目安   60分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★☆☆☆(防衛力は感じませんでした)
  • 歴史に浸れる度   ★★★☆☆(戦国大名の城です)
  • 他では見れない度  ★★☆☆☆(戦国にふさわしい無骨な砦です)
  • 総合評価      ★★☆☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★★☆☆(松山の市街地からも近いです)
  • 登城のしやすさ度  ★★★★★(広さもそんなに無いです)
  • 分かりやすさ度   ★★★☆☆(それなりに解説もあります)
  • 景観度       ★★☆☆☆(展望台からは市街地を一望できます)
  • 女性と行ける度   ★★☆☆☆(ぜひ道後温泉とセットで!)
  • 総合評価      ★★★☆☆

コメント

タイトルとURLをコピーしました