■概要
元は鎌倉時代の地頭・長井氏によって作られた城であるが、室町時代のはじめに伊達氏によって攻め滅ぼされ、伊達家の中心拠点となる。戦国時代に伊達政宗が生まれたのも、この米沢である。
天正17年(1589年)、伊達政宗は会津の蘆名義広を破り黒川城に本拠を移すが、豊臣秀吉の惣無事令に反していたため、会津は召し上げられ再び米沢城に戻ってくる。その後、政宗は大崎葛西の一揆についての嫌疑をかけられ、秀吉によって岩出山城へ転封を命じれられる。
その後、米沢は秀吉子飼いの蒲生家によって治められるが、後に蒲生家は下野に転封となり、伊達・徳川方への抑えとして上杉景勝が会津に転封し、米沢城には重臣「直江兼続」が入城する。
「直江状」でも有名な、関ヶ原の戦い前夜において徳川に宣戦布告を行った上杉景勝は、戦後大幅に減封となり、米沢城を本拠地とする米沢藩主となる。上杉家は、減封になりつつも家臣を解雇しなかったため藩の財政は大幅にひっ迫し、武将たちも半農の仕事をして何とか日々の生活をしていたが、「なせばなる」の名言で知られる9代上杉治憲(鷹山)の代に抜本的な藩政の改革が行われ、破綻寸前の藩財政を立て直した。
■見どころ
城は四角形の堀に囲まれたこじんまりとした平城であり、本丸跡は上杉謙信、上杉鷹山を祀る上杉神社となっている。
上杉景勝は、春日山城に甲冑を着たまま埋葬された父・謙信の遺体を米沢まで移送して再度埋葬し、祠堂を建てたといわれ、今も築山には祠堂跡がある。
個人的には伊達政宗生誕の地を見に行ったつもりだったが、米沢城は現在上杉神社となっていることからも分かるように、城内は上杉一色であり、伊達政宗生誕の地を示すものは碑が一つ建っているだけである。上杉神社といっても、あの戦国最強の上杉謙信が祀られているとは思えないほど小規模な城であり、関ヶ原において西軍に与して敗れた寂しさを感じてしまう。
少し遠いが、越後の謙信本拠地・春日山城とセットで回って頂き、上杉家の栄枯盛衰の歴史に思いを馳せて頂ければと思う。
<伊達政宗生誕の地碑>
<上杉神社鳥居>
<同じく本丸内にある春日神社>
■事前学習コンテンツ
城内は大河ドラマ制作記念の上杉景勝・直江兼続の銅像あり。
■城データ
- 城名 米沢城(上杉神社)
- 登城日 2017年8月22日(火)
- 住所 山形県米沢市丸の内1-4-13
- 電話番号 0238-22-3189
- 公式HP 山形県観光情報ポータル
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 60分程度
- 混雑度 小
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★☆☆☆☆(こじんまりした平城)
- 歴史に浸れる度 ★★☆☆☆(上杉ファンであれば)
- 他では見れない度 ★☆☆☆☆(あんまり・・・)
- 総合評価 ★☆☆☆☆
- アクセス性 ★☆☆☆☆(米沢って不便な場所です)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(敷地も広くなく平坦)
- 分かりやすさ度 ★★☆☆☆(城としての解説は少なめ?)
- 景観度 ★☆☆☆☆(うーん・・・)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(何しに来たのかわからない感じになるかも)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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