河後森(かごもり)城 ~土佐一条氏と長宗我部元親がしのぎを削った南予の山城

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■概要

戦国時代に西土佐を治めた土佐一条氏から養子に出た河原淵教忠(かわらぶちのりただ)が治めたお城です。その後、土佐一条氏は四国統一を目指す長宗我部元親によって攻め滅ぼされますが、天正13年(1585年)に、豊臣秀吉は四国に出兵して平定し、宇和郡一帯は小早川氏・戸田氏・藤堂氏・冨田氏の所領となり、その間それぞれ城代が置かれました。

藤堂氏の時代には、河後森城の天守が宇和島城の月見櫓に移築されます。

そして、元和元年(1615年)の幕府による一国一城令により廃城されますが、宇和島藩への伊達氏入封後は、付家老・桑折氏が居住したと言われています。

■見どころ

標高約171mの山頂に本郭を置き、その周囲を多数の曲輪で囲み、山全体を要塞としたお城で、愛媛県内最大級の規模を誇る山城です。

無名な山城ですが、草刈りなどの整備が行き届いていて、往時の山城の姿を見ることができる貴重なお城です。更に、地元小学生の手作りの解説板や、厩舎の馬の模型、本郭の復元建物(床のみ)など、地域の人びとの頑張りが伝わってくるお城です。

地域の人びとに愛されるお城であることがひしひしと伝わってくる、心和むお城です。

■写真&散策記

河後森城は、ちょうど馬の蹄のような形をしたU字型のお城ですが、登城の際は、U字の真ん中部分にあたる風呂ヶ谷(大手門とは反対側)の方から攻めるのが一般的です。

<公式パンフレット(表面)>
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<公式パンフレット(裏面)>
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風呂ヶ谷駐車場に車を停めて散策スタート!
先客はお一人のみでした。
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風呂ヶ谷に入っていきます。
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このあたりがちょうど河後森城のおへそ部分にあたります。
周囲を曲輪で囲まれています。
西の曲輪から時計回りに回って風呂ヶ谷に戻ってくるのが順路です。
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まずは谷の奥に位置する井戸跡へ。
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少し登ります。
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井戸跡は右のわき道を進んだところです。
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井戸跡です。今も水が出ていてテンションが上がります。
それなりの規模があります。
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背後には山が迫っています。
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地元小学生による解説板。
なんと深さ11mもあるんですね!
駐車場からの距離表記がやけに細かい・・・
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階段で曲輪に向かって登っていきます。
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まず「掘立柱建物」のある西第十曲輪に向かいます。
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入り口は最もオーソドックスな「平虎口」(横矢掛かりのみの虎口)になっています。
冠木門が復元されているのが嬉しいです。
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地元小学生によるセンスあふれる解説板。
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西第十曲輪に到着!
続日本百名城スタンプ設置場所にもなっている「掘立柱建物」(復元)があります。
草も綺麗に刈られていて、当時の姿に近いのではないでしょうか。
大変失礼ですが、地方の町の山城とは思えない整備度合いです。
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土塁も復元されています。
こちらは半立体表示といって完全な高さの復元ではありません。
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左が完全復元の土塁です。完全復元で高さ約90㎝です。
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昔は土塁のみでしたが、時代が新しくなると多聞櫓が建っていました。
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写真では分かりづらいですが、西第十曲輪の外周は堀切になっています。
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掘立柱建物の復元です。左側は厩舎、右側が居住スペースになっています。
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厩舎にはかわいらしい段ボールの馬が繋がれてあります。
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西第九曲輪、第八曲輪、第七曲輪方面へ登っていきます。
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何度も言いますが、綺麗に草が刈られているのが良いですね。
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第六曲輪以降は、帯曲輪(曲輪間の連絡通路)を通っていきます。
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西第五曲輪まで来ました。
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西第四曲輪。
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西第三曲輪と西第二曲輪の間は堀切になっています。
保存のため遺構の上から土を被せているため、本当はもっと深い堀切だったとのこと。
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堀切ほど写真で伝えにくいものはありません・・・
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土嚢がびっしり。夏の豪雨対策でしょうか。
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西第二曲輪まで来ました。
第二曲輪はかなりの広さです。
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本郭方面へ。
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やっと本郭まで来ました。
河後森城で初めての石垣です。
右側の細い道が本郭への入り口(虎口)です。
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本郭への入り口は食い違い虎口になっています。
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本郭です。奥に建物の復元が!
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当時の主殿の様子が再現されています。
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当時の席次。農民は主殿に上がれなかったと思いますが・・・
でも試み自体は面白いです。
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主殿の奥からは松野町の市街地方面が一望できます。
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またまた小学生によるセンスあふれる解説板。
小学校の行事で武家儀礼の再現がされているみたいですね。
素晴らしい取り組みだと思います。
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奥から見た主殿。
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違い棚の床の間もちゃんと再現されてます。
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虎口を通って本郭を出ます。
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本郭の貴重な石垣です。
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本郭を下りて古城方面へ。
当時の岩盤を削って作った階段が右側に再現されています。
河後森城は、こうしたちょっとした工夫が随所に施されていて山城ファンとしてはとても楽しめますね。
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古城方面へ帯曲輪を通って行きます。
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東第二曲輪、東第三曲輪、東第四曲輪が段々になっています。
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東第四曲輪と東第二曲輪の間は堀切になっていて、城内最大規模の掘立柱の門が建てられていました。
門の規模からして、大手門もしくは搦手門であったと推測されています。
門は道に対して斜めに設置されていて、敵の侵入を防ぐ工夫がされてました。
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1400~1500年の間に建てられた城内で最も古い曲輪にあたる「古城」です。
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古城には城内で最も大きい建物(番小屋)が建てられていました。
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最後に、「新城」に向かいます。
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「新城」です。
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広い曲輪です。「新城」という名前からして伊達時代の曲輪でしょうか?
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新城は城の最南部に位置しており、土佐方面からの進軍を見張ることができたといいます。
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新城は周囲が帯曲輪になっているのが特徴です。
周囲は竪堀や堀切が巡らされ、防御型の曲輪であったことが伺えます。
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再び、風呂ヶ谷に下りていって散策終了!
整備も大変行き届いていてなかなかに楽しめる山城でした。

■城データ
  • 城名        河後森城<続日本百名城No.179>
  • 種別        山城
  • 登城日       2019年1月4日(金)
  • 住所        愛媛県北宇和郡松野町富岡75(やまぶき庵)
  • 電話番号      0895-42-1118(松野町教育委員会)
  • スタンプ設置場所  西第十櫓 掘立柱建物内
  • 公式HP      松野町公式HP
  • 入場料       無料
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   60分程度
  • 混雑度       小
  • 注意点       ハイキングに適した服装で。(長袖、長ズボン、靴など)
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★☆☆(愛媛最大規模の山城です)
  • 歴史に浸れる度   ★★★★☆(草刈りが行き届いて、復元門や建物など有)
  • 他では見れない度  ★★★☆☆(山城としてはオーソドックスな内容)
  • 総合評価      ★★★☆☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★☆☆☆☆(陸の孤島・宇和島の中でもさらに僻地)
  • 登城のしやすさ度  ★★★☆☆(整備が行き届いていて巡りやすい)
  • 分かりやすさ度   ★★★★☆(解説板いっぱい頑張ってくれています)
  • 景観度       ★★★☆☆(本郭からの眺望がなかなか良いです)
  • 女性と行ける度   ★★☆☆☆(少し厳しいかも)
  • 総合評価      ★★☆☆☆

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