米子城 ~山陰の中央に建つ「海を臨む天空の平山城」

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■概要

日本で一番人口の少ない(失礼)鳥取県で、鳥取市の次に人口の多い「米子市」にある城です。

鳥取県は東西に長く、県庁所在地である鳥取市は県の東部に、米子市は島根県と隣接する西部に位置しています。「鳥取・島根の区別がつかない!」という方はとても多いかと思いますが、「全県にディーラーがある」と豪語する某外車メーカーでも鳥取・島根は2県で1店舗しかないという扱いのひどさです。

米子はそんな山陰地方のちょうど中央あたりに位置し、島根県の県庁所在地である松江市とお隣関係にあって両者で山陰地方の中心的存在を担っているため、やはり鳥取市派閥からのヤッカミを受けるという構図になっています。(どこの県でも似たようなのありますね・・・)

そんな米子市のランドマークとなっている「天空の城」(自称)が米子城です。
城のパンフレットが三種類もあり、しかもなかなかセンスが良いのが意外(失礼)でした。
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米子城跡は戦国時代の山城と、近世城郭の二つに分かれています。
上の写真で言うと、左下にある小さい山(国道9号線南側)を飯山と言い戦国時代に砦が築かれ、右上の海に開けている山(国道9号線北側)を湊山と言い、米子藩の政庁にもなった近世城郭が築かれました

築城は古く、応仁の乱のときの1470年頃に伯耆国(現在の鳥取県)を治めていた山名氏によって飯山に砦が築かれたとされています。

その後、戦国時代においては尼子氏と山名氏の間で攻防戦が繰り広げられ両者の間で城主が入れ替わります。尼子氏が毛利氏によって滅ぼされた後に、尼子氏再興を掲げた山中鹿之助は時の米子城主だった山名之玄と結びますが、毛利方の猛将・吉川元春に攻められて落城します。その後、吉川氏が米子城を領し、元春の子広家の代に、湊山で築城が始められます。

しかし、関ヶ原の戦いで西軍に与した広家は岩国に転封となり、代わりに東軍に参加した中村一氏の嫡子・一忠が伯耆国17万5千石を与えられ、米子城に入城します。中村一忠は初代米子藩主となり、湊山の新・米子城を完成させますが、幕府が一忠の後見人として派遣した横田内膳を他の家臣が手討ちにしたこともあり、その後一忠が急死となった後は一忠の子への領国継承は認められず、米子藩は廃藩となります。その後、加藤氏・池田氏による支配を経て、明治時代に地元士族に払い下げられ城としての役目を終えます。

■見どころ

「海を臨む天空の山城」という看板に偽りはないです。
晴れた日であれば、周囲に遮るものの無い平山城の石垣は青空に映えてとても素晴らしいです。

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近世城郭の湊山だけでも十分見応えがありますが、戦国ファンであれば湊山だけでなく、ぜひ戦国時代の山城である飯山の方にも行って頂きたいです。(実は管理人は諸事情により頂上まで行けていないので偉そうなことは言えませんが・・・汗)

■写真&散策記

湊山公園駐車場に停めて散策スタートです。
5月ですが、とても暑いです。。
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ここから登城です。
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緑に覆われているので、涼しくてよいですね。
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登っていきます。
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やがて本丸(頂上)に行く道と内膳丸に行く道との分岐点が出てきます。
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まずは内膳丸に行ってみます。
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内膳丸入り口の石垣が見えてきます。
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入っていきます。
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内膳丸は奥にも石垣があり、二段になっています。
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奥の段の入り口。
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内膳丸の奥の段まで到着!
ここは中村一忠の家老 横田内膳が築いたため「内膳丸」と呼ばれます。
横田内膳村詮は一忠の最有力家臣で米子の礎を築きましたが、その成果を妬んだ他の家臣の讒言により殺害されます。
内膳丸は中海側に向かってせり出していて本丸を防衛する役割を担っていました。
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戻って本丸に向かう事にします。とても立派な虎口です。
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本丸(頂上)へ!
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どんどん登っていきます。
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石垣が見えてきます。
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本丸番所跡の石垣です。
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立派な打込接の石垣です。
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番所跡から米子市街を見下ろします。
意外にも結構都会です。
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天守台が見えてきます。
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整然とした立派な天守台。
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番所跡です。
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天守台へ。
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左に下りていくと9号線を挟んで飯山(戦国時代の砦)に行くことができます。
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飯山側の本丸入り口です。やはりなかなかの規模で迫力あります。
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天守台へ登っていきます。
右は四重櫓跡。
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鉄門(くろがねもん)跡です。
かなりの規模の桝形虎口になっています。
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平山城でこの規模の虎口だと相当の防御力であったに違いありません。
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いざ天守台へ。
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天守台に到着!
遮るものがなく、眺望がすばらしいです。
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中海側の眺望。
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天守台の虎口。
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柵のような無粋なものがないのが良いですね。
まさに「海に臨む天空の城」にふさわしい城です。
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天守台の礎石です。
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見下ろすと米子の城下町が迫ってきます。
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雲一つない青空でとても気持ちいいですね!
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石垣群も見事です。
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余談ですが、続日本百名城のスタンプは天守台の四阿にありました。
城に登らなくてもスタンプが押せる城の中でも、自力で登らないとスタンプを貰えないということに交換が持てますね!
(追記:と思っていたら、近くの米子市立山陰歴史館でもスタンプ貰えるそうです・・・残念)

続いて城の裏手にあたる水手御門へ向かいます。
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水手御門は城の船着き場であり、深浦水軍を配置していた御船手郭(深浦郭)に通じています。
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本丸を後にして駐車場に戻っていきます。
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それにしても立派な石垣群でした。
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本丸番所跡から見下ろして手前のグラウンドが二の丸、奥のグラウンドが三の丸です。
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駐車場からバイクでぐるっと周って二の丸桝形虎口跡に来ました。
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とても重厚な桝形虎口です。
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中もとても広く、侵入した敵兵を四方から射撃できる仕組みになっています。
ここから本丸に向かう事もできます。
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二の丸桝形虎口の正面に戦国時代の砦があった飯山が見えます。
飯山は戦国時代に砦が置かれ、湊山に近世城郭が築かれた後は湊山の出丸の位置づけとなりました。
折角なので向かってみることに。
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飯山に到着。
どうやら結構な悪路になっているので、バイクで登るのは厳しい。
バイクを停められる平地も無いので、登城は断念します・・・
飯山が戦国時代の砦なのでぜひ見ておきたかったですが。。
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というわけで米子城、攻略完了です!

■公式パンフレット

コチラから三種類の米子城パンフレットをダウンロードできます。

■城データ
  • 城名        米子城(湊山金城、久米城)<続日本百名城No.169>
  • 種別        平山城
  • 登城日       2019年5月3日(金)
  • 住所        鳥取県米子市久米町
  • 電話番号      0859-22-7161(米子市立山陰歴史館)
  • スタンプ設置場所  天守台四阿、米子市立山陰歴史館
  • 公式HP      米子市公式HP
  • 入場料       無料
  • 駐車場       無料
  • 所要時間の目安   90分程度
  • 混雑度       小~中
  • 注意点       特に無し
  ※管理人が登城時の情報です。登城の際は必ず公式HPで最新情報をチェックして下さい。

■管理人の勝手な評価

~城として~
  • 難攻不落度     ★★★★☆(石垣群に防御された堅固な平山城です)
  • 歴史に浸れる度   ★★☆☆☆(残念ながら戦国の歴史は少なめです)
  • 他では見れない度  ★★★★☆(石垣群は一見の価値ありです)
  • 総合評価      ★★★★☆
~行楽地として~ 
  • アクセス性     ★★☆☆☆(米子自体が結構不便な場所ですね)
  • 登城のしやすさ度  ★★★☆☆(軽登山ですが、全然余裕です)
  • 分かりやすさ度   ★★★☆☆(頑張ってくれています パンフ3つもあります)
  • 景観度       ★★★★★(天守台からの眺望は最高!)
  • 女性と行ける度   ★★★★☆(全然アリです)
  • 総合評価      ★★★☆☆

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