■概要
永正17年(1520年)に武田信玄の父・信虎が築いた山城です。武田信虎は武力で甲斐を統一した守護大名として名高く、甲斐国の政庁の役割を果たした躑躅ヶ崎館(武田氏館)に対して、要害山城は詰めの城(敵が侵攻した際に立て籠もって防衛するための城)の役割を果たしました。
戦上手の信虎が作った「要害」という名前にふさわしい堅城です。
<平幹二郎演じる武田信虎(大河ドラマ「武田信玄」より)>
ドラマの中では大井の方へのパワハラがひどいです
要害山城は信虎・信玄・勝頼の三代にわたって使用され、武田家滅亡後も織田家家臣である河尻秀隆が入城、その後関ヶ原の戦いの後に甲斐国は徳川領となり、甲府城の築城とともに廃城となりました。
甲斐と国境を接していた駿河・今川家の武将・福島正成が甲斐に侵攻した際に、信虎の妻・大井の方は懐妊しており、信虎は大井の方を要害山城に避難させ、大井の方は要害山城で信虎の嫡男・晴信(のちの信玄)を出産したと言われております。
<若尾文子演じる大井の方(大河ドラマ「武田信玄」より)>
当時流行語大賞となった「今宵はここまでに致しとうござりまする」のセリフで有名な人
■見どころ
山の中腹から主郭に至る通路に沿って連続的に虎口や曲輪が設けられるほか、竪堀や堀切を要所に設置するなど、戦好きの信虎が築いた堅固な城のたたずまいを感じさせます。山城としては非常に保存状態が良く、石垣や竪堀、堀切についても当時の姿をくっきりと見ることが出来ます。特に主郭奥にある堀切跡は圧巻です。
■写真&散策記
躑躅ヶ崎館の詰めの城ということで、甲府市内から車で20分程度で要害山城の麓に着くことができます。
駐車スペース(?)は豊富にありますが、早朝という事もあって管理人の車一台のみでした。
武田菱を掲げる要害温泉の方に向かって歩いていきます。
ちなみに要害温泉はもう閉館しているらしいです。
レンタル杖があります。信玄公からのお気持ちということで、最悪持って帰っても良いとの事。
怒られそうですが・・・
ではいざ登城路へ!
右に行くと要害山城。
躑躅ヶ崎館跡である武田神社への案内も出ています。
写真だと分かりにくいですが、竪堀跡と土塁です。
登城口付近から遺構が見えるのは嬉しいですね。
埋まった石垣もそこかしこにあります。
保存状態が良い山城というのは本当ですね。
こちらが「不動曲輪」と呼ばれる曲輪。
文字通り不動明王が鎮座しています。
なんとなく「ここで終わりかな?」と思ってしまいましたが、まだまだ続きます。
さらに先へ。左に折れ曲がって二つ目の門が見えるため、ここも虎口であったことが伺えます。
要害山の碑。「山梨百名山」の一つだそうですね。
山梨の百名山なら結構な山が入りそうですが・・・
内部から。保存状態がかなり良いです。
管理人が内部に入ったところです。
先は崖になっていて行けませんが、かなりの長さ続いていそうです。
先ほどの堀切とあわせて山の背後からの敵の来襲に備えています。
竪堀の中へ下りていきます。
崩れた石垣の跡と思われる石がちらほら転がっています。
まだ奥に遺構があるのかもしれませんが、きりがないのにここまでにします。
同じ道をたどって戻ります。
最後に麓にある積翠寺とバックに立つ要害山城を撮影。
積翠寺は武田信玄の産湯をとった寺としても知られています。
■公式パンフレット
- 城名 要害山城(積翠山城)<続日本百名城No.128>
- 種別 山城
- 登城日 2019年4月20日(土)
- 住所 山梨県甲府市上積翠寺町
- 電話番号 055-223-7324(甲府市教育委員会)
- スタンプ設置場所 甲府市藤村記念館
- 公式HP 甲府市公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 90分程度
- 混雑度 極小
- 注意点 軽登山のため、適した服装を。(長袖長ズボン靴必須)
~城として~
- 難攻不落度 ★★★★☆(門や曲輪がいくつも連続した本格的山城です)
- 歴史に浸れる度 ★★★★☆(甲斐を統一した信虎と信玄誕生の歴史を堪能)
- 他では見れない度 ★★★★☆(遺構の保存状態が特に良い山城です)
- 総合評価 ★★★★☆
- アクセス性 ★★★☆☆(甲府市内からほど近い場所にあります)
- 登城のしやすさ度 ★★☆☆☆(軽登山です)
- 分かりやすさ度 ★★☆☆☆(案内板は少なく下調べ必須です)
- 景観度 ★★☆☆☆(山頂からの眺望も期待できず)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(厳しいかと思います)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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