■概要
元々は畿内統一を果たした織田信長の北陸方面軍団長として任命された筆頭家老の柴田勝家が本拠地とした城で、当時は北ノ庄城と呼ばれました。
勝家の前に越前国を治めていた朝倉家は、山城に囲まれた一乗谷に本城をおいていましたが、勝家は、近代化の流れもあり、水運に便利で北陸道も近い現在の福井市街地に本城を移すこととしました。
(宮下英樹「センゴク 一統記」より)
織田信長が本能寺の変に倒れた後、羽柴秀吉と柴田勝家は信長の実質的な後継者の地位を巡って「賤ケ岳の戦い」を行います。しかし、圧倒的な物量差により、柴田勝家は敗走してここ北ノ庄城に逃れ、城に火を掛けて当時妻であった信長の妹・お市の方とともに自害します。
後に天下を統一した徳川家康の次男・結城秀康が越前に入封し、天下普請により築城したのが現在の福井城です。当時の城の縄張りは2km四方に及び、堀を5重に巡らせ、天守は4重5階の大規模なものでしたが、その後火事によって焼失し、幕府の財政難によって再建されることはなかったといいます。
ちなみに「福井」という名の由来ですが、江戸時代に、「北ノ庄」の「北」という字は「敗北」の「北」であり縁起が悪いことから、「福の居る場所」ということで「福居」に改められたという説と、福井城内に湧く名水「福の井」から名付けられたという説があるそうです。
<福井城天守再現模型>
(Wikipediaより引用)
■見どころ
福井城のあったところにすっぽりと福井県庁がおさまっているという城です。
戦国時代から現代に至るまで、建物だけが入れ替わりながら、この福井の地の政治の中心地をこの場所が担っていると思うとなかなか感慨深いです。
それにしても、防災拠点としては周りを堀に囲まれているのは、水害とか大丈夫なんでしょうか?
敵(?)が攻めてきたときは、安心だと思いますが。
戦国ファンとしては、織田家筆頭家老であり、上杉家と対峙した北陸方面軍団長であった柴田勝家の居城に思いを馳せたいところですが、福井城内には勝家時代の遺構はほとんど無いため、思いを馳せたい方は柴田神社にも足を運ばれることをおススメします。
■写真&散策記
福井城は下図のようになっています。
駐車場は無いので、周辺のコインパーキングに停められることをおススメしますが、ぶっちゃけ土日は県庁敷地内が閑散としているためか、普通に本丸内に停めて散策している方もおられました(真似しないように・・・)。
管理人は鉄馬での訪問だったので、西側にある市役所の駐輪場に停めさせて頂き、散策しました。
西二の丸の堀跡です。
この辺りは福井藩主の居住地となっていた御座所とよばれる場所です。
とても広く、子供たちがボール遊びをしています。
背後には巨大な福井県庁が見えます。
山里口御門の櫓には入ることができます。
こちらは櫓から見下ろす山里口御門です。
櫓を下りて本丸内へ。
背後に県庁が鎮座しています。
こちらは福井城の北西部に位置する天守台です。
残念ながら天守閣は現存していません。
「福井」の由来となったともいわれる名水「福の井」です。
管理人はやってませんが、くみ上げ体験もできるそうです。
瓦御門前には結城秀康の騎馬像があります。
最後に正門(瓦御門)に戻って、県警本部(左)と福井県庁(右)を拝んで帰る。
・・・。
■あわせて巡りたい
・柴田神社
羽柴勝家によって滅ぼされた柴田勝家とお市を祀った神社です。
柴田北ノ庄城の天守址のある公園となっています。
■日本百名城・続日本百名城スタンプラリーの方は
一乗谷・丸岡城・福井城はセットで回られることをおススメします。
・一乗谷(No.37) 同じ福井市内にあり、車で20分程度
・丸岡城(No.36) 福井城から北に25分程度
- 城名 福井城(北ノ庄城)<続日本百名城No.137>
- 種別 平城
- 登城日 2018年9月23日(日)
- 住所 福井県福井市大手3丁目17−1
- 電話番号 0776-20-2051
- スタンプ設置場所 福井県庁1F受付(土日は守衛室前で押印可)
- 公式HP 福井観光情報サイト
- 入場料 無料
- 駐車場 有料(周辺コインパーキング)
- 所要時間の目安 90分程度
- 混雑度 小
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★★☆☆(堅固な城だったのかと)
- 歴史に浸れる度 ★★☆☆☆(県庁の建物が・・・)
- 他では見れない度 ★★★☆☆(城と県庁のコントラスト)
- 総合評価 ★★★☆☆
- アクセス性 ★★★☆☆(福井北インターからほど近い)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(そんなに広くもない平城)
- 分かりやすさ度 ★★★★☆(解説などは豊富にあります)
- 景観度 ★★☆☆☆(特に景色はありません)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(なにか県庁に用事があれば)
- 総合評価 ★★★☆☆
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