■概要
出石そばで有名な兵庫県の出石町に建つ城で、有子山城は戦国期に建てられた山城で、出石城は有子山の麓に江戸期に建てられた平城です。
有子山城は、南北朝時代には日本全国66か国中11か国を支配し、「六分の一殿」と呼ばれた山名氏が築城した城です。山名氏は、戦国期にはかなり衰退しており、但馬国の守護でしかありませんでした。
<最盛期における山名氏の勢力>
(Wikipediaより引用)
当主であった山名祐豊は、織田信長軍の中国方面軍団長であった羽柴秀吉の侵攻にあい、当時本拠地であった此隅山城を追われ、代わりに有子山城を築城して本拠地とすることになります。
山名氏が、但馬の王者であったことから「獅子の城」と呼ばれますが、前述の通り、強大な信長軍から追われて移転した本拠地であるというのが実際のところです。しかも、有子山城についても築城からわずか6年で再び羽柴秀吉の侵攻を受けて落城します。
以後は、豊臣政権下において、前野長康、小出吉政が城主を務めますが、関ヶ原の戦い後の小出吉英の代に山麓に居館を建築して出石城とし、山頂の有子山城は廃城とします。その後、松平(藤井)忠周を経て漫画「センゴク」で有名な仙谷氏(政明)が信州上田から入城して出石城下町が整備され、その後明治の廃藩置県まで仙谷氏が代々城主を務めることとなります。
<仙谷権兵衛秀久の肖像>
■見どころ
山城と平山城がセットになっている事例は多くありますが(鳥取城など)、山城・平城・城下町がこれほど綺麗にセットで残っている事例は少なく、戦国期から江戸期への城郭の発展過程を見ることができます。
また、出石城・有子山城については日本百名城選定の際にも最後まで候補に残っていたが、ぎりぎりで落ちてしまい、続日本百名城選定の際は、真っ先に選定された名城です。
ちなみに「有子山」の由来は、「此隅山」=「こぬすみやま」=「子盗み山」で縁起が良くないことから、「子有り山」=「有子山」と命名されたそうです。
■写真&散策記
まずは出石城に最も近い「大手前駐車場」に車を停めて散策スタート!
出石の城下町には駐車場が4か所ありますが、どこも同じ値段(400円/日)のためお城に近いこちらをおススメします。続日本百名城のスタンプも同じ敷地内のいずし観光センター内にあります。
ちなみに、10分ほど歩きますが、「ドライブインいずし」というところにも駐車場があるので、買い物や食事をこちらでされるのであれば、散策中も無料で停めさせてもらえるかもしれません。
登城橋の手前からの風景です。
橋を渡ったところの登城門は江戸期には埋門があった場所なので、登城橋と登城門は後から作られたものだそうです。
バックの山頂に有子山城があります。
続日本百名城の横断幕もちゃっかりあります。
登城門をくぐって城内へ。
登城門付近の石垣です。
門内から振り返ったところ。
左側が西の曲輪。
二の丸に向かって登っていきます。
奥に見えるのが西隅櫓です。
二の丸から見上げる西隅櫓。
二の丸は主に役所として使われていました。
二の丸を通り抜けて山里丸へ。
出石城内では最も新しい石垣とのことです。
一番新しい石垣とはいえ野面積み(乱積み)ですが、綺麗な稜線の石垣です。
山里丸の一段上の曲輪の石垣。
山里丸から斜め上の本丸方面を眺める。
本丸方面へ登っていきます。
ここは「お城坂(稲荷参道)」とよばれ、最上段の稲荷曲輪にある有子山稲荷への参道として江戸時代に使われていたそうです。
まるで伏見稲荷大社のようで、157段の石段に37基の鳥居が設置されています。
本丸の入り口。
本丸内にある東隅櫓と出石城碑です。
本丸には城主御殿があったそうですが、小高い場所にあるせいか、ほとんど使用されなかったそうです。
本丸の塀には狭間もつけられています。
本丸から眺める見事な稲荷曲輪の石垣。
本丸にある出石藩主・仙谷家の祖である漫画「センゴク」でもおなじみの仙谷権兵衛秀久の木造が安置されている「感応殿」です。御殿自体は明治期に仙谷家旧臣が作ったものですが、木像は小諸城主時代からのものと伝えられています。
本丸は一部発掘調査中とのことで、ブルーシートが掛けられています。
城内で最も立派な稲荷曲輪の石垣です。
最上段の稲荷曲輪です。
こちらは城内鎮護のために建てられた有子山稲荷社があります。
有子山登山の無事を祈願して、いざ有子山城へ!
有子山城の入り口は稲荷曲輪の横の御手水のあたりにあります。
階段を上っていきます。
そこかしこに「熊出没注意」の看板が。。
そういえば今日熊鈴持ってくるの忘れた。。。
大きな音を鳴らしていけば問題ないだろうという事でスマホのLINEミュージックをガンガン鳴らしながら登っていきます。(すれ違った登山客に若干不審な目で見られる)
どんどん登っていきます。
特に眺望も無い名ばかりの展望台。
更に上がっていきます。
山頂の本丸まであと1キロ!
どえらい急こう配を登っていきます。
途中から虎ロープが登場します。
写真では伝わりにくいですが、かなりの勾配です。
これがあと1キロも。。
パンフレットの地図を見ていただくと、麓から頂上付近に向かってほぼ直線で上がっていくため、このようなえげつない勾配になってしまっています。
途中、見事な堀切があります。
土橋を渡っているのは管理人妻です。
上部から見た堀切。
そんなこんなでようやく最下段の曲輪に到着します。
久しぶりの平地でほっとします。
続日本百名城の旗が寂しくたなびいています。
もうちょっとしっかり固定できなかったのか?
ここからは少しなだらなかな細道を抜けて井戸曲輪に向かいます。
井戸曲輪への道は、道が細いうえに上から崩れてきた土砂が溜まってきているので、結構危険です。
当時は水の手(水の補給場所)であった井戸曲輪に到着です。
絶壁に石垣が残っています。
井戸曲輪からの風景。
曲輪自体はとても狭いです。
更に登っていきます。
木の枝などが散乱しています。
大雨の影響でしょうか。
土嚢が積まれた上に石垣。
主郭に向かって曲輪群が続いていきます。
ようやく、主郭と千畳敷の分岐に出ます。
ひとまず主郭(本丸)方面へ。
このあたりからは眺めもかなり良いです。
主郭を上がっていきます。
主郭の展望台が見えてきます。
ようやく頂上!
疲れもあいまって主郭からの眺めは格別です。
有子山城の最も大きい見どころの「大堀切」です。
幅28m、高さ12mもある巨大な堀切です。
背後に見える千畳敷との間を分断しています。
一応堀切にも下りれるみたいですが、半端ない急こう配なので迂回することに。
先ほどの分岐まで戻って、千畳敷方面へ。
ほどなく大堀切の下に到着します。
下から見ても圧巻です。
最後に千畳敷です。
山城ながら、千畳以上あるんじゃないかと思われる広大な空間です。
千畳敷側からの大堀切。
(奥に見えるのが主郭です)
帰りも同じルートですが、先ほどの直線路を下っていくのは非常に骨が折れました。
行きはなんとか活用せずに済んだ「虎ロープ」を要所で使いながら下っていきます。
稲荷曲輪まで下りたところで、杖の貸し出しサービスがあったことに気づく。
これがあれば帰りはだいぶ楽やったなぁ。。。
鳥居をくぐって城下町まで下りていきますが、鳥居のスポンサーで気になるものが。
「有限会社 出石城」って、出石城は会社だったの!?
なんと漫画「センゴク」作者の宮下英樹先生もスポンスされています!
お城坂の一番下まで来ました。
出石城の解説板です。
登城橋の下を流れる谷山川は江戸期には無かったものだそうです。
風鈴がたくさん釣られていて涼し気です。
三の丸付近にある解説板。
最後に大手門桝形跡に建つ「辰鼓楼」です。
三の丸大手門の石垣を再利用して明治に作られた時計台です。
運動の後は、やはり「辰鼓楼」の横の「登城」で出石そばを堪能して〆。
10分で50皿食べると、永久に出石そばが無料になるそうです。
なんだかいけそうな気もするが・・・後の行程も考えてやめときます。
- 城名 出石城・有子山城(石城・高城)<日本百名城No.162>
- 種別 平山城・山城
- 登城日 2018年8月15日(水)
- 住所 兵庫県豊岡市出石町内町104-7(いずし観光センター)
- 電話番号 0796-52-604(いずし観光センター)
- スタンプ設置場所 いずし観光センター
- 公式HP 但馬國出石観光協会公式サイト
- 入場料 無料
- 駐車場 有料・400円/日
- 所要時間の目安 180分程度
- 混雑度 小
- 注意点 有子山城へは登山の格好で。
~城として~
- 難攻不落度 ★★☆☆☆(結構簡単に落とされちゃっているのが・・・)
- 歴史に浸れる度 ★★★★☆(但馬屈指の山城をどうぞ)
- 他では見れない度 ★★★★★(平山城と山城と城下町をすべて堪能できます)
- 総合評価 ★★★☆☆
- アクセス性 ★★☆☆☆(大阪方面からだとインターからも遠いです)
- 登城のしやすさ度 ★☆☆☆☆(かなり急こう配の登山です)
- 分かりやすさ度 ★☆☆☆☆(有子山に関しては少なめです)
- 景観度 ★★★★★(本丸からの眺望は最高!)
- 女性と行ける度 ★★★☆☆(眺望があるので個人的にはありだと思いますが)
- 総合評価 ★★★☆☆
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