■概要
南北朝時代に、南朝方の拠点として北畠親房が延元元年(1336年)に築いた砦が起源となっています。伊勢神宮を抑える拠点として、南北朝の間で激しい争奪戦が繰り広げられました。その後、砦は北朝方に攻め落とされますが、北畠氏の城として、田丸氏一族が居城することとなります。
戦国時代、天下統一を狙う織田信長は、永禄10(1567)年から3か年にわたって伊勢に侵攻して北畠氏を屈服させ、信長の次男・信雄を北畠氏の養子とすることで和睦を成立させます。
信雄は、田丸城の改修を進め、天正3(1575)年に三層の天守閣が完成した田丸城に入城しますが、その後奉行による放火で焼失し、信雄は松ヶ島城(松阪市)へ移ります。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いののち、松ヶ島城主となった蒲生氏郷の支配下にはいりますが、その後氏郷は奥州仕置により会津に転封します。
江戸時代には、稲葉氏が田丸藩の初代藩主となりますが、その後藤堂氏による支配を経て、紀州徳川家の支配(紀州藩)に移り、紀州徳川家の付家老・久野氏の一族が八代にわたって城代を務め、明治維新を迎えます。
■見どころ
漫画「センゴク」では無能の極みに描かれている織田信雄の築城技術が、意外と優れていたことを垣間見ることのできるお城です。本丸のへの入り口は直線的に登らせず、二ノ丸から直角に曲がって登ってくる形になっており、城の防御側は侵入してくる兵を横矢で攻撃できる仕組みになっていて、「桝形の原型」とも言われています。
■写真&散策記
まだ少し肌寒い花見シーズン直前の田丸に到着です。
ちなみに「田丸城跡」の看板のたっているところは、田丸の町でも数少ないグルメスポットの「とらや」さんの駐車場です。とらやは食べログ3.3を超える田丸有数のお食事処です。
管理人も、名物「伊勢うどん」を食していざ登城!
とらやから少し進むと城山に到着です。
城の前には駐車スペースが数台分あります。
花見シーズンに向けてぼんぼりが準備されています。
このあたりの石垣は低く、石も小さめです。
田丸城の中でも比較的初期の石垣でしょうか。
北ノ丸の石垣跡。
野面積みで石の規模もそれほど大きくありません。
二ノ丸側の本丸虎口。
こちらは打込接の大きな石を使った立派な虎口です。
石は切込接で積んであります。
田丸城の中でも新しい時代のものと思われます。
城址碑。
最後に村山龍平記念館でスタンプを押して散策終了!
小規模ながらなかなか見応えのあるお城でした。
■公式パンフレット
- 城名 田丸城<続日本百名城No.154>
- 種別 平山城
- 登城日 2019年3月22日(金)
- 住所 三重県度会郡玉城町田丸114−1
- 電話番号 0596-58-8212(玉城町教育委員会)
- スタンプ設置場所 村山龍平記念館
- 公式HP 玉城町公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 60分程度
- 混雑度 小
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★★★☆(信長の次男・信雄の築城技術)
- 歴史に浸れる度 ★★★★☆(伊勢侵攻の歴史に思いを馳せましょう)
- 他では見れない度 ★★☆☆☆(特筆すべきは無いです)
- 総合評価 ★★★☆☆
- アクセス性 ★★☆☆☆(便利とは言い難い場所)
- 登城のしやすさ度 ★★★★☆(登城は楽です)
- 景観度 ★★☆☆☆(桜があれば良いかと)
- 女性と行ける度 ★★☆☆☆(同上)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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