■概要
豊臣秀吉の亡き後、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」で勝利し、天下の覇権を握った徳川家康が、豊臣家を滅亡に追い込むために起こした「大坂冬の陣」で、激戦となった出城「真田丸」のあった場所です。
幽閉先である九度山を抜け出し豊臣方に加勢した真田信繁(幸村)は、大軍で攻め寄せる徳川軍から大坂城を守るために、大坂城の南側に出城を築くことを進言します。
<真田丸の模型>
(Wikipediaより引用)
なぜ南側かというと、地図を見て頂ければお分かりかと思いますが、大坂という街は、広大な平野にありながら、北側に淀川、東側は生駒山系、西側は大阪湾という天然の要害になっており、唯一南側が手薄であるというのが理由です。
真田信繁(幸村)はここに、徳川の大軍をおびき寄せる出城を築き、その狙いは見事に成功します。
徳川方の先鋒・前田利常の軍勢が、真田勢の挑発に乗って真田丸を攻撃し、続いて井伊直孝、松平忠直らの軍勢も攻めかかりますが、真田勢は真田丸に徳川方を十分に引き寄せたところで、城内からの火縄銃の一斉射撃を行い、竹束や盾など十分な装備をせずに攻め込んだ徳川方に大打撃を与えます。しかも徳川方は大軍で攻め寄せたために、撤退もスムーズに運ばず、総勢1万以上の大損害を受けて「真田丸の戦い」は終了します。
その後、「大阪冬の陣」は豊臣方と徳川方の和議により終結しますが、真田丸を脅威に感じた徳川方は、和議の条件として、大坂城の堀の埋め立てに加えて真田丸の破却を行い、最強の出丸は短い歴史を終えることとなります。
続く「大阪夏の陣」において豊臣方は徳川方に完膚なきまでに敗れ、豊臣家は歴史から消えることになりますが、真田信繁は、堀が無いという悪条件の中でも最後まで善戦し、徳川家康を自害寸前まで追い込んだことから「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」として歴史に名を残すこととなります。
(コーエーテクモゲームス「信長の野望 創造」より)
■見どころ
真田信繁(幸村)が「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と呼ばれる理由となった大坂冬の陣「真田丸の戦い」の決戦地です。
今は大阪市内の閑静な住宅街となっていますが、ぜひ激戦の歴史に思いを馳せましょう。
■写真&散策記
「真田山」は大阪城より南に2キロ程度のところにあります。
最寄り駅はJR環状線の玉造駅になります。車で行く場合は、周辺のコインパーキングに停めましょう。
(心眼寺は、南の坂を下ったところに、一応公式駐車場が数台分あります)
管理人は三光神社入り口にあるコインパーキングに駐車しました。
三光神社入り口付近の案内板。
三光神社の参道を登っていきます。
こちらは、大坂城から真田丸に抜ける穴があったとされる場所です。
参道のあちらこちらにも真田の六ツ連銭のノボリが立てられています。
真田幸村の像です。左下が抜け穴。
大河ドラマ「真田丸」を見ていた方には、少しイメージが違う「おっさん」ぽい幸村像です。
六ツ連銭の盾が並べられていて、雰囲気が出ています。
抜け穴は過去に一般公開されたこともあるそう。
大阪城まで続いているとのことですが、入って数メートルで行き止まりだそうです。
その先は、落盤により進めないとか・・・(ホンマか!?)
実はこの抜け穴は、大阪城からの抜け穴という説はほぼ伝説レベルで、徳川方が戦略上必要なため掘った坑道か塹壕の跡であるという説が有力だそうです。
そういえば、「真田の抜け穴」は九度山にもありましたね。
社務所でおみくじとお守りをゲットします。
ちなみに大吉は妻のです・
(私は小吉という平凡極まりない結果に・・・)
三光神社を出て、次は真田信繁・大助父子の墓所がある心眼寺に向かいます。
「真田丸」は周囲を空堀で囲んだ出城でしたが、このあたりの地名は「空堀町」です。
電柱名も関電は「真田西」、NTTは「カラホリ」になっています。
大阪市内で、「真田山」という地名にもとても惹かれます。
「パークヒル真田山」は1971年築と少々古いですが、SUUMOによると1DK18畳で6.05万円と、大阪市内ではお安めの物件です。戦国ファンの一人暮らしの方、いかがですか?
空堀町を抜けて心眼寺へ。
「真田幸村 出丸跡」の碑が。
門を入ってすぐのところに真田信繁(幸村)の墓があります。
ナンマイダ~。
やはり六ツ連銭の賽銭はお約束。
幸村は「世界一のバリスタ」は飲まないと思うが・・・
せめてワンカップ大関とかにしてあげられなかったものか。
庭も手入れが行き届いています。
最後は「まんなおし地蔵尊」に参拝していきます。
「まんなおし地蔵」とは「間の悪い」人を直してくれるお地蔵だそうです。
まさに管理人にピッタリ。
真田幸村も、間が悪いことがあったときに参拝したそうです。
奥にやはり大河ドラマ「真田丸」のポスターが貼られていました。。
心眼寺を出て坂を少しだけのぼった道沿いに真田丸顕彰碑があります。
右側の建物は、真田丸があったとされる明星学園です。
真田丸跡地となる明星学園は出城を構えるにはぴったりの小高い山にあります。
最後は、悪縁を断つ寺として有名な「鎌八幡」のある円珠寺に立ち寄ります。
真田幸村が、攻め寄せる徳川方を前に、戦勝祈願をした場所とされています。
尚、境内は撮影禁止のため写真は残っていませんが、ご神木に鎌が多数突き刺さった異様な光景を拝むことができ、一見の価値ありです。
何でも「ぜんそく」に御利益があるとのことで、軽いぜんそく持ちの管理人もしっかり祈願してきました。
■事前学習コンテンツ
・真田丸(NHK大河ドラマ)
武田氏滅亡から大阪夏の陣までの真田信繁(幸村)の半生を描いた作品です。
豊臣氏の繁栄から大坂冬の陣、夏の陣で滅亡に至るまでのプロセスが現代風に描かれていて、時代劇に慣れない方も安心して見ることができます。
- 歴史スポット名 真田山(真田丸跡、三光寺、心眼寺、鎌八幡など)
- 種別 出城跡
- 登城日 2018年8月11日(土)
- 住所 大阪市天王寺区玉造本町14番90号(三光神社)
- 電話番号 06-6761-0372(三光神社)
- 公式HP 三光神社公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 有料(周辺コインパーキング)
- 所要時間の目安 120分程度
- 混雑度 小
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★★★★☆(難攻不落だったのだと思います)
- 歴史に浸れる度 ★★★★☆(真田幸村の戦に思いを馳せましょう)
- 他では見れない度 ★★★★☆(真田の抜け穴や鎌八幡など多数)
- 総合評価 ★★★★☆
- アクセス性 ★★★★☆(大阪市内の便利な場所です)
- 登城のしやすさ度 ★★★★☆(多少のアップダウンはあります)
- 分かりやすさ度 ★★★★☆(解説なども多数あり)
- 景観度 ★★★☆☆(景色はとくにありません)
- 女性と行ける度 ★★☆☆☆(興味が無いと微妙かも?)
- 総合評価 ★★★☆☆
コメント