■概要
南北朝時代より前に国人領主の秋山氏によって築城された城で、「秋山城」と呼ばれていました。
関白・豊臣秀吉の弟秀長の大和郡山入部に伴い、秋山氏は退去し、秀長家臣の伊藤掃部頭義之の居城となります。
その後、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種と城主が代わり、多賀秀種のときに秋山城と城下町が大幅に改修されます。
多賀秀種は、関ヶ原の戦いで西軍に与した罪で改易され、その後東軍の先鋒を務めた福島正則の弟・高晴が入城します。高晴は、秋山城を松山城と改め、城や城下町の改修に励みますが、藩政においては悪政が目立ち、家臣により徳川家康への直訴も行われるも、兄・正則の過去の功績により家康は目をつむります。
しかし、その後大阪夏の陣で、高晴は、兄が豊臣恩顧の大名でもあったことも災いしたのか、豊臣方との内通の疑い(密かに大坂城に兵糧を運び入れた嫌疑)を掛けられて改易されます。
松山城は高晴改易とともに破却され、廃城となりますが、このときの城割(廃城)に関する具体的な書状などの史料が多数残っており、全国的にも稀有な例として知られています。
■写真&散策記
大阪と名古屋を結ぶ名阪国道「針インター」から30分程度の場所にあります。
ちなみに名阪国道は無料の高速道路と誤解されている無法地帯として有名ですが、針インターに併設されている休憩所「針テラス」についても一見の価値ありです。
名阪国道を走る層がどのような人たちかが一目で分かるエリアになっています(笑)
車で行く場合は、ナビで「千軒舎」(奈良県宇陀市大宇陀拾生1846 TEL 0745-87-2274)をめざして行きましょう。
千軒舎の横には、どのように停めていいのか分からない無料の駐車場が一応あります。
千軒舎の中では休憩やトイレができるほか、続日本百名城のスタンプも設置されています。
建物の右奥から宇陀松山城跡見学路Aコースへ続いていきます。
千軒舎を左側に見ながら細い路地を抜けていきます。
綺麗に舗装された道を登っていきます。
今は車両通行止めになっていますが、将来的には頂上付近まで車で行けるようになりそうです。
10分程度で案内板のあるあたりに到着します。
ここは整備後の駐車場予定地のようです。
ここから山道に入っていきます。
裏側には旧称の「秋山城」の碑もあります。
山道を登っていきます。
やや険しいです。
堀切と思われます。
南西虎口(雀門)です。
桝形虎口となっていて、城郭中心部への入り口になっています。
西帯郭はブルーシートが掛けられています。
発掘作業中でしょうか?
西帯郭より奥は立入できなくなっていたので、これにて散策完了です。
立入禁止区域が多く、少し物足りない感じはしましたが、大阪の都心にまあまあ近くてコンパクトに回れる山城だと思います。
ちなみに、本日の奈良県の最高気温は36.7度という酷暑日であり、奈良が盆地であることもあって山城散策には過酷な一日でした。
まさに宇陀だけに「うだ」るような暑さでした。
以上
■日本百名城・続日本百名城スタンプラリーの方は
・大和郡山城<No.165>
関白・豊臣秀吉の弟である秀長の大和支配の本拠地となった城です。
大和郡山の市街地にあります。
・高取城<No.61>
壮大な高石垣に守られた大和郡山支配の詰めの城です。
大和郡山城とは対照的な堅牢な山城です。
- 城名 宇陀松山城(秋山城)<日本百名城No.166>
- 種別 山城
- 登城日 2018年8月4日(土)
- 住所 奈良県宇陀市大宇陀拾生1846(千軒舎)
- 電話番号 0745-87-2274(千軒舎)
- スタンプ設置場所 千軒舎(9時~17時)
- 公式HP 宇陀市観光協会情報サイト
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 60分程度
- 混雑度 小
- 注意点 軽い山歩きができる格好で。
~城として~
- 難攻不落度 ★★★☆☆(虎口郭もあり、なかなか堅牢かと)
- 歴史に浸れる度 ★★★☆☆(著名な歴史イベントや武将が関連していないのが残念)
- 他では見れない度 ★★☆☆☆(標準的かつコンパクトにまとまった山城です)
- 総合評価 ★★☆☆☆
- アクセス性 ★★☆☆☆(大阪に近いがあまり便利とはいえません)
- 登城のしやすさ度 ★★★☆☆(山城の中ではお手軽なほう)
- 分かりやすさ度 ★☆☆☆☆(解説やパネルが少なすぎ。今後の整備に期待)
- 景観度 ★★★☆☆(天守からの眺望はなかなか)
- 女性と行ける度 ★★☆☆☆(普通の女性だと少ししんどい。。)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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