■概要
四国から進出して畿内統一を果たした三好家重臣であり紀州・熊野水軍でもあった安宅(あたぎ)氏が室町時代後期に築城した城です。
1581年(天正9年)に織田信長配下であった羽柴秀吉に攻められて安宅氏は滅亡し、その後秀吉家臣の仙石秀久に与えられます。
仙石秀久は秀吉による九州征伐の際に敵前逃亡の罪で高野山に追放され、その後脇坂安治が入城し、大改修が行われます。
淡路水軍は豊臣家が保有する水軍のなかではとても重要な位置を占め、大阪城の海上防衛の役割を担っていたほか、秀吉による小田原征伐(北条攻め)の際の小田原城沖の海上封鎖や、朝鮮出兵の際の水軍としても活躍しています。
関ヶ原の戦い以降は、姫路城主である池田氏、次いで阿波国主の蜂須賀氏が淡路を治めることとなります。
■見どころ
漫画「センゴク」で有名な仙石秀久が初めて大名となった城です。
淡路島は大坂城の海上防衛を担う重要な拠点であり、淡路島で最も栄えている洲本市の小高い丘(三熊山)に位置しており、天守台から大阪湾を見下ろすことができます。
敷地内は綺麗に整備されていて、石垣も豊富に残っており、観光客も少ない(登山客の方が多い?)ので十分に戦国の歴史に思いを馳せることができます。
ひとつだけ残念なのが、山頂の模擬天守・・・。
雰囲気を出すのは重要ですが、テーマパークの建物のようで少し興ざめです。
昔は展望台の役割もあったようですが、現在は閉鎖されていて入れません。無い方がいいかも。
<公式パンフレット>
洲本市の公式HPにあります。
■写真&散策記
まずは駐車場に愛車を停めて散策スタートです。
が、見ての通り駐車場は私の愛馬一台のみ・・・
続日本百名城の旗が虚しくたなびいています。
南の丸東隅櫓です。
脇坂氏が城主となった際に増築した跡の稜線が残っています。
曲がりくねった道を登っていきます。
奥に見えるのが中務母儀(安治の母)郭跡です。
再び登っていきます。
本丸へ登る大石段。
天守台から見える洲本八景の一つです。
(あとの七つは不明です)
洲本の街並みと大阪湾が見えます。
天守台の全貌が見えてきます。
う~ん。微妙。。
なんかちゃちい感じですね。
遠くから見ると雰囲気出てるのですが。
休日にも関らず茶店や売店もすべてシャッターが閉まっていて寂しい感じです。
昔はボランティアガイドもいらっしゃったようです。
本丸の南側を守る南の丸です。
こちらも脇坂時代に拡張されたものだそうです。
こちらが搦手口です。
麓からの三熊山の登山ルートはここに通じています。
搦手口の石垣です。
ここからは草木の茂った荒々しい石垣が見えてきます。
搦手口の石垣から見上げる天守。
こうした絵のためには模擬天守もあった方が良いんでしょうね。
本当は登山道を下って西の「登り石垣」も観たいところでしたが、革ジャンにブーツのため暑くて断念。。
東の丸付近をぶらぶらして帰路へ。
あまりに観光客が少ないためか、タヌキのような小動物が横切るのを目撃しました。
(速すぎて撮れませんでしたが)
東二の門跡です。
さすがに大手門にはかないませんが、頑丈な虎口になっています。
二段の郭らへんに石を砕いたあとのようなものが散乱。
石垣の復元用??
バイクで麓に下りて洲本市立淡路文化史料館でスタンプを押して帰ります。
ちなみにこの史料館は江戸時代に洲本城が麓に移った平城の跡地に建てられていて、ここにも石垣や堀が残っています。
■事前学習コンテンツ
仙石秀久が秀吉の寄騎から淡路国を統一して初めて大名となり、洲本を拠点として長曾我部との攻防戦を繰り広げる様子が描かれています。
- 城名 洲本城、三熊城(続日本百名城No.164)
- 種類 平山城
- 登城日 2018年5月26日(土)
- 住所 兵庫県洲本市山手1-1-27
- 電話番号 0799-24-3331
- 公式HP 洲本城WEBガイド
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- スタンプ設置場所 洲本市立淡路文化史料館
- 所要時間の目安 120分程度(麓の平城(史料館)から登山するのであれば180分程度)
- 混雑度 小
- 注意点 登山路は整備されていますが、スニーカー等動きやすい服装で。
~城として~
- 難攻不落度 ★★★★☆(海に面した堅固な山城です)
- 歴史に浸れる度 ★★★☆☆(模擬天守が少し残念)
- 他では見れない度 ★★★☆☆(登り石垣を見たかった・・・)
- 総合評価 ★★★☆☆
- アクセス性 ★★★☆☆(高速道路はありますが島なので・・・)
- 登城のしやすさ度 ★★★☆☆(山城にも車で行けます)
- 分かりやすさ度 ★★★☆☆(解説や案内は少なめ?)
- 景観度 ★★★★☆(天守から大阪湾を一望できます)
- 女性と行ける度 ★★★☆☆(ありだと思います)
- 総合評価 ★★★☆☆
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