■概要
南北朝時代に北朝の武将、畠山義国の命で築城され、以降畠山氏の河内経営の拠点となります。
戦国時代になって、畿内一円は三好氏が支配しますが、室町幕府将軍・足利義昭を奉じて畿内に進出した信長によって三好氏は降伏させられ、若江城は信長に帰順して河内国北半国守護に任じられた三好義継に与えられます。
その後、信長は自身の天下事業の邪魔になった足利義昭を京より追放し、義昭の義弟にあたる三好義継に処刑させるため身柄を預けますが、義継は悩んだ結果義昭を紀州に逃がします。これに怒った信長は、義継の立て籠もる若江城を包囲しますが、義継は自害して果てます。
その後、石山本願寺と信長の対立により、信長は現在の大坂城のある石山本願寺の本拠地である石山御坊を攻めるべく、若江城を拠点として大阪市内へ出撃します。
石山本願寺が信長に降伏した後、若江城は跡形もなく廃城とされ歴史に幕を閉じますが、その後の大阪夏の陣のときには、豊臣方の若き将として活躍した木村重成が、「八尾・若江の戦い」において藤堂高虎、井伊直孝の両隊と激突し、奮戦するもここ若江の地で討ち死にを遂げることとなります。
ここ若江の地では、最後まで豊臣家に忠誠を誓って死んだ木村重成を偲んで、若江城跡の南側にある連城寺では木村重成が祀られている堂があるほか、交差点の名前にも「木村」の名前が使われています
■写真&散策記
若江城が建っていたあたりは、東大阪市の近鉄「若江岩田駅」という駅が最寄りになります。
「若江岩田」といっても、大阪地元の人ですら、「どこそれ!?」っていうぐらいのマイナーな場所です。大阪市街地と生駒山のちょうど間ぐらいでしょうか。
各駅停車でしかいけないので、距離の割りに恐ろしく時間が掛かります。
(いっそ奈良の方が便利かもしれません)
若江岩田駅を下りて徒歩15分ぐらいのところに、城跡があります。
本丸があったとされる場所に、かろうじて碑と社が建てられているのみです。
府道24号線を挟んで反対側には主郭が建っていたとされます。
現在は公民館と幼稚園になっていますが、土地自体が少し盛り上がっていて郭が建っていた当時を偲ばせます。
城跡碑を少し南に下ったところに蓮城寺と呼ばれるお寺がありますが、ここは八尾・若江の戦いにおいて、重成が本陣を置いた場所になります。
こちらには木村重成公を祀ったお堂があり、自由に参拝ができます。
木村重成は超絶イケメンだったと言われていて、当時には珍しく妻とは恋愛結婚でした。
秀頼とは幼馴染にあたりますが、最後まで豊臣家に忠誠を誓い、夏の陣においては勝ち目がないことを悟っていたため、兜の緒を切り落とし、頭髪にお香を焚いて出陣し、討ち死に後の首実検の際に徳川方に覚悟のほどを称賛されたと言います。
若江の戦いが行われた府道24号線には、奮戦の末に討ち死にした木村重成を偲んで「若江木村通」という名前の交差点があります。
このあたりに木村重成の像も立っていたようですが、残念ながら撤去されてしまったようです。
その他、若江城の遺構と呼ばれるものはほとんど何も残っていないのがとても残念なところです。
東大阪市民としてはぜひ「続・続日本100名城」への認定を狙いたいところですが・・・
■おススメグルメ
なんとランチ680円で、握り定食・お造り定食・天ぷら定食から選ぶことができます(土日もランチ営業あり・ご飯大盛無料)。若大将は河内の人らしく少しぶっきらぼうなので、初めて入店した方は面食らうかもしれませんが、きちんとしたお寿司屋さんなので魚のネタも料理もとにかく美味しいのでおススメです。(ちなみに若江近辺のランチは、だいたい700円未満という超コスパの良さです)
お造り定食ならマクドナルドより早いスピードで提供されます。
住所:大阪府東大阪市若江本町1-4-20
電話番号:06-6722-1086
- 城名 若江城
- 種別 平城
- 登城日 2018年6月24日(日)
- 住所 東大阪市若江北町3丁目3番16号(若江公民館)
- 電話番号 06-6722-6400(若江公民館)
- 公式HP 風雲・若江城
- 入場料 無料
- 駐車場 無し
- 所要時間の目安 30分程度
- 混雑度 無し
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★☆☆☆☆(まったくの不明)
- 歴史に浸れる度 ★★☆☆☆(せめて少し遺構が残っていれば・・・)
- 他では見れない度 ★☆☆☆☆(特にありません)
- 総合評価 ★☆☆☆☆
- アクセス性 ★★☆☆☆(若江って大阪のなかでは不便な場所です)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(特に何も残っていない平地です)
- 分かりやすさ度 ★☆☆☆☆(解説などもほとんどありません)
- 景観度 ★☆☆☆☆(ただの下町の風景です)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(柳寿司目当てならアリです)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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