■概要
中世に豊後国の守護であった大友氏泰が自身の居館として築いた館で、この館を中心に「府内」と呼ばれる城下町が作られました。
九州北半分を制した第22代大友家当主の義鎮(宗麟)は、キリスト教を保護し、南蛮貿易を行ったため、城下町には教会や神学校などが建設され、南蛮文化が花開きました。しかし、1586年(天正14年)の島津氏の侵攻により、府内は焼き払われ壊滅しました。
<大友宗麟公胸像>
大友氏館跡の前に位置する南蛮BVNGO交流館前にて
その後、大友宗麟は島津氏からの侵攻に抵抗しきれず、豊臣秀吉に助けを乞い、秀吉は大軍を率いて島津氏を攻めて降伏させ、九州征伐を完了させます。
九州征伐後、大友氏は秀吉により豊後一国を安堵されますが、宗麟の子・義統が朝鮮出兵で小西行長の援軍要請を無視して逃亡した嫌疑により改易となり、その後府内は蔵入地(秀吉の直轄地)となり、代官・早川長政が大友氏館に居住することとなります。
<大友氏館跡>
左側に主殿跡、右側に庭園跡があります。
(残念ながら、中には入ることが出来ません)
その後、臼杵より12万石に加増され、府内に転封となった豊臣家家臣・福原直高は、より堅固な城郭を求めて、大分川河口付近に府内城を築城して移り住み、大友氏館は役目を終えることとなります。
大友氏館跡は、長らく大友氏館跡の南側の丘陵に位置する上原館(うえのはるやかた)であると考えられてきましたが、1987年代に大分市史を作成する際に、現在の大友氏館跡(大分市顕徳町3丁目)の場所であることが判明し、以後発掘調査が行われ、2019年までに庭園跡を、2029年度までに主殿を復元して、当地を歴史公園とする計画が進められています。
■見どころ&写真
大分のランドマークとなるお城は府内城で、日本百名城となっていますが、戦国ファンとしてはぜひこの「大友氏館」にも訪れて頂きたいと思います。
2019年2月現在ではまだ庭園も出来ておらず、ただの荒れ地のようになっていますが、主殿の発掘現場や庭園の復元の様子などを見ることができます。
九州一円を制覇したかの戦国大名・大友宗麟がこの場所で政治・軍略を練っていたと思うと、とてもワクワクしませんか?
2019年が庭園の復元、2029年には主殿の復元と、だいぶ先の話では主殿が復元されたら是非また訪問したいと思っています。
<庭園跡>
2019年完成を目指して庭園の復元工事が行われています。
<大友氏館跡の前に立つ南蛮BVNGO交流館>
大友氏館跡や大友宗麟の歴史について学ぶことが出来ます。
館内には「センゴク」著者・宮下英樹氏のサインが!
ここにも来られたのでしょうか!?
デウス堂跡には現在高層マンションが建っています。
<JR大分駅前の宗麟公銅像>
足元にあるのは、当時の世界地図です。
当時の世界地図では、九州のところには豊後(BVNGO)と書かれており、大分が海外との玄関口となっていたことが分かります。
■公式パンフレット
- 城名 大友氏館(府内館)
- 種別 館
- 登城日 2019年2月9日(土)
- 住所 大分県大分市顕徳町3-2-45(南蛮BVNGO交流館)
- 電話番号 097-578-9191(南蛮BVNGO交流館)
- 公式HP 大分市公式HP
- 入場料 無料
- 駐車場 無料
- 所要時間の目安 30分程度
- 混雑度 小
- 注意点 特に無し
~城として~
- 難攻不落度 ★☆☆☆☆(平地の館なので・・・)
- 歴史に浸れる度 ★★★☆☆(大友宗麟公の歴史に思いを馳せましょう)
- 他では見れない度 ★★★☆☆(戦国大名の庭園跡は珍しいです)
- 総合評価 ★★☆☆☆
- アクセス性 ★★☆☆☆(大分駅からは近いです)
- 登城のしやすさ度 ★★★★★(広さもないです)
- 分かりやすさ度 ★★★★☆(交流館で情報収集しましょう)
- 景観度 ★☆☆☆☆(残念ながら景観はありません)
- 女性と行ける度 ★☆☆☆☆(厳しいでしょう)
- 総合評価 ★★☆☆☆
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