2017-10

日本百名城

会津若松城(黒川城) ~奥州の名家・蘆名氏の本拠

■概要会津国の守護であり、南奥州の覇者であった蘆名氏が「黒川城」として築いた城。天正15年(1587年)佐竹からの養子であった蘆名義広が蘆名氏当主となったが、その後、天正17年(1589年)に北奥州の覇者であった伊達政宗との勢力争いに敗れ(...
番外編

信玄堤 ~甲斐を洪水から救った信玄の偉業

■概要甲斐を統一した父・信虎を追放した武田晴信(信玄)が甲府盆地の洪水問題を解決するために作った治水施設。甲府盆地は御勅使川(みだいがわ)と釜無川が合流する地点で、大雨になるとすぐに川が氾濫して付近の住民は悩まされていた。甲斐国は甲府盆地と...
日本百名城

武田氏館(躑躅ヶ崎館)~戦国最強・信玄の本拠地

■概要言わずと知れた戦国時代最強大名・武田氏の中心拠点となった城(館)跡であり、通称「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」と呼ばれる。(甲府市HPより)このブログのタイトルにもなっている武田信玄の名言「人は城 人は堀 人は石垣」の通り、信玄は...
日本百名城

松代城(海津城) ~信玄が謙信と対峙した最前線の城

■概要信濃国を統一に向けて北進を続けた武田信玄が、北信濃の豪族を庇護する終生のライバル・上杉謙信との決戦に備えて越後との国境に設けた城であり、当時は「海津城」と名付けられた。信濃・越後の国境は常に不穏であったことから、信玄は山本勘助に命じて...
その他

信貴山城 ~戦国の大悪党・松永久秀爆死の地

■概要河内(大阪東部)と大和(奈良)を結ぶ交通の要衝に築かれた広大な山城。はじめ当地の守護代・木沢長政が築城し、その後三好長慶に大和一国の支配を任されていた天下の大悪党・松永久秀が本拠地とし、防御性に乏しいこの城の大規模な改修・強化を行った...
日本百名城

千早城 ~「難攻不落」の代名詞となった畿内の山城

■概要鎌倉時代に討幕軍の名将・楠木正成が幕府軍から防衛するために築いた山城であり、難攻不落の城の代名詞とされる。鎌倉時代末期、元寇により弱体化した鎌倉幕府の討幕をめざす後醍醐天皇の呼びかけに応じた楠木正成は畿内で挙兵し、畿内の反幕府勢力の増...
その他

砥石城(戸石城) ~信玄を退けた難攻不落の山城

■概要信濃小県郡の豪族だった真田氏が築いた城であるといわれるが、真田氏はお隣の信濃埴科郡の豪族・村上義清によって駆逐され、義清により大改築が行われる。村上義清は父親を追放し信濃侵攻を開始した甲斐国主・武田晴信(のちの信玄)の軍勢をこの砥石城...
日本百名城

彦根城 ~赤備えの猛将・井伊直政が築いた堅城

■概要関ヶ原の戦い後に、徳川四天王で赤備えの猛将・井伊直政が近江北部を与えられ築城した城。西の関ヶ原方面に伸びる中山道と、北陸方面に伸びる北国街道が交わる要衝に建てられている。近江北部は元々、石田三成の所領であり、三成が本拠としていた佐和山...
日本百名城

安土城 ~信長が天下に号令した幻の城

■概要いわずとしれた織田信長が自身の本拠地として琵琶湖畔に築いた山城であり、天下に号令するためのシンボルとした絢爛豪華な城であったといわれる。信長が天下統一を控えた1576年(天正四年)に建造し、三年後の1579年(天正七年)に完成したが、...
日本百名城

観音寺城 ~六角氏が治めた国内最大級の山城

■概要年代は不明だが、戦国時代よりずっと前に近江の名家である佐々木六角氏によって築城された城。六角義賢は戦国時代において大規模な改修を行うが、足利義昭を将軍に奉じて上洛する信長に反抗(観音寺城の戦い)して破れ、本拠地であった観音寺城を捨てて...
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