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大洲城 ~伊予国攻防の歴史と美しい木造天守

■概要鎌倉時代の守護であった伊予宇都宮氏当主の宇都宮豊房によって築城された城で、当時は「地蔵ヶ岳城」と呼ばれました。宇都宮氏は、以後二百年以上にわたって南予地方を支配しますが、永禄末期の毛利氏と中予の支配者である河野氏との連合軍に敗れて滅亡...

湯築城 ~伊予の大名・河野一族の歴史ある名城

■概要戦国時代まで、伊予国の守護であった河野氏が本拠地として築いた城です。戦国時代末期の天正9年(1581年)以降、四国統一を目指す長曾我部元親が伊予国に侵入しましたが、河野家当主・通直は、毛利氏の援軍を得て何とか湯築城を守り抜きました。し...

松山城 ~賤ヶ岳七本槍が築城した難攻不落の平山城

■概要伊予国正木城主であり10万石の大名だった加藤嘉明が、関ヶ原の戦いの戦功により20万石に加増され築城した、日本三大平山城(姫路城・和歌山城・松山城)にも数えられる、壮大な平山城です。現在の松山市内の中心部にある標高132mの勝山の山麓に...

宇和島城 ~藤堂高虎と宇和島伊達家ゆかりの南予の名城

■概要宇和島8万石の藤堂高虎が関ヶ原合戦前夜の慶長元(1596)年に築城を開始し、関ヶ原の戦い直後の慶長6(1601)年に完成させたお城。藤堂高虎は関ヶ原の戦いで西軍に与した功で、今治12万石を加増されて、伊予20万石の大名に昇進しています...
その他

佐和山城 ~国宝彦根城の裏にひっそりと佇む石田三成の遺構

■概要関ケ原の戦いで西軍の盟主となって敗れた石田三成の居城として有名で、「三成に過ぎたるものは島の左近と佐和山の城」と言われたほどの名城です。現在は佐和山城址の周囲は完全な陸地になっていますが、戦国時代には佐和山の西側のほとりまで湖が迫って...
その他

長浜城 ~「秀吉の出世城」と呼ばれる湖岸の城

■概要豊臣(羽柴)秀吉が初めて城持ち大名となった記念すべき城で、滋賀県北部の琵琶湖岸に建てられていました。織田信長は、自身の妹・お市を嫁がせながらも信長を裏切った北近江の覇者・浅井長政を小谷城に滅ぼし、浅井攻めに大功のあった秀吉に北近江の地...

鞠智城 ~古代にタイムスリップできる肥後の山城

■概要朝鮮半島で行われた「白村江の戦い」(唐・新羅vs日本・百済)で大敗した日本軍が、勝ちに乗じて唐・新羅軍が日本に侵攻してくることに備えて築城した城の一つです。同時期に作られた城は、大野城(福岡県)・水城(福岡県)・基肄城(佐賀)・鞠智城...

八代城 ~「虎殺し」加藤清正の息子が築城した南肥後の防衛線

■概要南北朝時代には、現在の八代城の東側の山岳地帯に城塞群が築かれ南朝方の重要拠点となっておりましたが、戦国時代には大名・相良氏がここに「古麓城(ふるふもとじょう)」を築いて居城しました。当時「八代城」といえばこの古麓城を指すものでした。相...

赤木城 ~北山一揆の鎮圧拠点となった天空の城

■概要戦国時代に、羽柴秀吉の弟で紀伊国を治めていた秀長が、当地で発生していた熊野牢人衆の一揆(天正の北山一揆)を鎮圧する目的で、天正17年(1589年)頃に、築城名人・藤堂高虎に命じて作らせた堅固な山城です。後に関ケ原の戦いの功で、浅野家当...
その他

大津城 ~関ヶ原の戦いの前哨戦の舞台

■概要元々近江の中心拠点は、明智光秀が築いた坂本城でしたが、豊臣秀吉によって廃城にされ、この大津に城が築かれました。廃城となった理由は明らかにされていませんが、大坂城を築城したことにより、淀川や東海道を通じた北陸地方からの物資の運搬などの利...
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